カウンセラーの先生に教えて頂いた + 先生への文章

・・・NARMカウンセリングの先生に教えて頂いた・・・

 僕は父の影響で、裏の意味を読み取ることが多い。下の方に書いた高齢者施設で介護士さんにお膳を下げてもらえなくて怒ったのも悪意をものすごく汲んで・くんで しまっていたから。実際に介護士さんに悪意があるかどうかより、僕自身が悪意を読み取り、過剰反応するところがあります。
 それについてNARM先生に相談したところ、僕は時間かがかると思いますが と聞くと、意外にも簡単だすぐできるみたいな返答が帰ってきて、教えて頂きました。
 僕はものすごく勉強になったのでここに載せます。

・表の意図をよく汲む・くむ
・裏の意図も読み取る

☆どちらが汲んでみて、より健康的か?
 社会でまっとうか?
 自然でまっとうか?

★裏の意図を読み取るのはやらない

※必ず善意の方を選ぶ

というものです。自分の中で、2つ作り、必ず意図的に選ぶ。恣意的にやってはいけない。

 こうすると楽ではないかと言われたと思った。僕は必ず、悪意を裏の意味として読み取って相手の意見としてきたから。必ず善意を選べが疲れないと思う。

 ここを読んで何とも思わない方もおられるとは思いますが、僕にとってはアメリカ大陸発見! くらいのインパクトがある先生の教えでした。
<おわり>


・・・ここからは、EMDRカウンセリングの先生へあてて書いた文章・・・

○○先生、よろしくお願いします。

〇 高齢者施設で、入居者様 / 介護士さんの空間に入る時に挨拶をして入り、出る時も挨拶するようにしました。介護士さんは最初の2日間くらいは挨拶を返してくれましたが、そのあとは僕の調子の悪さもあったのか返してくれなくなった。

 けれど、この挨拶作戦の決定的にいいところは、挨拶することで空間に対して僕自身が積極的に参加している気持ちになれることです。挨拶しなかった前より、精神衛生上とても気分が良かったです。だから、介護士さんが黙っていても、自分のために挨拶し続けたいです。

 
〇 次も施設での話です。5階の女性トイレで、僕は補充に回っていたのですが、物凄く女くさい。たぶん生理の臭いだと思う。それで終わった時に上司に、「5階の女性トイレが女くさく、たぶん生理のせいで興奮する匂いだった。みんなで行ってみるといいですよ」、と言ってみた。すると上司は、○○さんも興奮したのと聞いてきたので、逃げるのも癪・しゃく なので、興奮しましたと自己の責任を引き受けてみました。
 この性的な話を上司にしたというのが画期的でした。男所帯の・おとこじょたいの 清掃部門なので、こういう話はOKだと思って、上司に話しました。


〇 この次も施設の話で、モップ作業をしていました。いつも食事の遅い入居者さんのお膳がいつまでたっても下げてもらえない。もう食事していない気がしたけれど、掃除するのはためらわれる。それでそこだけモップをしなかった。
 これは、介護士さんがわざと僕に対して攻撃しているためだと思われた。そう判断しました。文句を言おうと思いましたが、その時介護士さんはいなかった。待てなかったのでトイレ掃除に移行しました。介護士さんに文句を言いたかったけれど、次の洗面掃除に移行したので文句を言えず仕舞い・じまい だった。結局、最後に言おうとしたら、もうお膳は下げられていた。
 僕は怒ってしまっていて、介護士さんを睨み・にらみ つけた。トイレ空間でも、空を・くう をキックしました。
 反省として、いつまでも文句を言わないであと伸ばしにしたので、怒りが溜まり介護士さんを睨んだ。もうちょっと早いタイミングで介護士さんに文句を言ったほうが良かったのではないかと思いました。
○○先生はこのような場面では、どのように思われるでしょうか。
 うらへ↓
 ラグビー日本対サモア、時間帯が良く、部分的に見ました。最初の日本トライは見ました。

 エビアンの水を買ってみました。500ml・1本100円位で楽天で買いました。高いですが、一度買ってみたかったです。

 1972年、フランス映画、書白態変(←)というのをアマゾンがすすめたので、500円ですがDVDを買ってみました。画像は色が古ぶるしく、そんなにイヤらしくなかったです。
 誰かがアマゾンレビューで褒めていたので、見ようと思ったのですが、感想として悪くはなかった・まあまあでした。500円損したとは思っていません。

 インターネットでノルポを見ていて、んの宮涼 という優女VAを知りました。この女の子に入れあげて、デビューDVDを買いました。そして、アメリカからDVD裏を取り寄せる注文をしました。まだ届いていませんが、たぶん届くでしょう、サイトの作りがしっかりしてたのと、発送連絡がありました。決済は、三井住友VISAカードスマホ・Vポイントを利用したので、情報が洩れても最小限で済むようにしました。

 ウエストサイドストーリーを見ていますが、ナイフで刺し合ってしまう場面まで見ました。音楽がすごくいいです。映画自体も面白いです。はじめは踊っていて面食らい・、めんくらい ましたが。

 忘れていましたが、アサーティブを受けています。昨日1日目で、今日が2日目です。怒りを取り上げてもらい、役に立つといいなと思っていますが、言葉がすぐ出てくるかなあと感じています。
3回目も受けたいと思っています。それで、カウンセリングを10/29日曜日にして頂きたいです。

 父母の骨が家にありますが、墓に入れて欲しいと言われているような気がするので、11月には入れたいです。

 読んで頂きありがとうございました。

氷山にたとえた、僕の人間関係

ご無沙汰しています。

カウンセラーの先生向け文章:先生には、僕は調子の悪い時といい時の差が大きいと、これを読んで言われました。僕もそう思います。


  先生、よろしくお願いします。

〇 施設での今週は、トイレ掃除がきつく感じ、20歳の頃のカウンセラーの先生だった  ?先生に、23歳くらいの頃手紙を書いて返事をもらい、その内容の楽しくやる、というので打開できました。
 手紙の返事を頂いたころは  パンの夜勤をしていて、それを楽しくやるというのが上手く想像できませ年でした。けれど今ならトイレ掃除の便器に溜まる水は水遊びに繋げられたし、自分の手の感覚を通して楽しくするというのが少しできました。まあ、あまりやりたくないという本音はありますが(一日ノルマ12個の便器)、それはどうしようもないので、やるからには楽しくしないとこちらの身も持たないので無理やり楽しくやりたいと思っています。

〇 あと、施設で介護士さんが敵になっており、その戦いに明け暮れていましたが、それを  先生に話すと、部屋に入って行って挨拶しないのかと聞かれました。僕はしないと言いました。それで前にも聞いていた、「袖(そで)触れ合うも多少の縁(えん)」? という、日々会う人との関係性の重要性?みたいな内容のことを教えて頂きました。挨拶しようという。
 僕が介護士さんに一番最初に挨拶しないで掃除を始めたのは、そのころだと媚び・こび を売りそうだという感覚があったのと、どうせ嫌われるだろうというのがありました。
 しかし、いま、敵対し毎日戦う状態なのでなんとか打開したいと強く思っていました。それで  先生の教えを頂いて、挨拶の大事さ、挨拶しないで無言でいると敵に思われるという話を聞いて、挨拶してみようと思いました。
 とりあえず、入居者のいる空間に入る時は(8つの大きい空間がある、2~5Fの各回2つずつ)、誰も見えていなくても声に出して挨拶してみました。すると、意外に返事が返ってくることが多かったです。それに、作業がしやすくなりました。変な緊張が取れた。挨拶って大事なんだなと思いました。同僚の若い人にも、最後にお疲れ様と声をかけると、向こうも和んだ・なごんだ 感じに見えました。
 たった挨拶だけで、劇的に変化する感じがします。挨拶するにはちょうどいいタイミングの時の気がします。こんな簡単なことで変わるんだと思いました。教えてもらってよかったと思いました。

〇 カイロの 先生に背中をゴリゴリ揉(も)んでもらい、次の日背中に羽が生(は)えたように感じられました。先生は疲れたと仰っていましたが。姿勢が良くなった・前屈みが少し良くなった気がします。

〇 施設のトイレットペーパー、ペーパータオル、ハンドソープの補充をしていますが、それが一杯になっている、誰かが僕の前に補充をしているという件があります。これは前から上司に聞いて、上司はやっていないという話だったのですが、今回も前に補充をしている人がいて上司だろうと疑いました。
 でも、今回は、たとえ上司だろうと介護士さんだろうと構・かま わない。僕の側が相手に橋をかける、相手への働き掛けを続ける、というのが大事だと思いました。20歳の頃よく読んでいた、人生相談の加藤諦三・たいぞう さんの言葉のように、相手への橋を壊すのは良くない、橋をかけようとすることが大事だ、という話を思い出しました。


〇 図を参照してください。
 あと、自分で思いついたのですが、見えているのは海に浮かぶ大きい氷山のほんの少しで、あとは海の下に大きい部分がいっぱいある、という勉強していると必ず出てくる絵の話です。
 僕はみんなが嫌いだ、敵だと思えるのはその人のほんの少しの部分・海の上に出ている部分で、その人というパーソナリティーはもっと海の下にたくさんある、僕の知らないその人のいいところなどが大きく海の底にあるという絵です。
 僕が自分を相手が敵だと思っているのは、自分を大きい氷山だとすると、その海の上に出ているほんの少しの部分で、その部分で相手を敵だとしている、自分のわずかの部分しか使っていない。相手の見えている部分もほんの表面上だけ・敵だとみなしている部分。お互いほんのちょっとの表面上だけでやり取りしている。けれどお互いパーソナリティーはもっと大きい海の下の大きい部分がある。という絵を思いつきました。
 相手と自分はお互い、海の上に出ているほんの小さな見えている自分の部分でやり取りしている。だから熱くならないで、もっと自分の使っている部分を意識しながら相手も自分もみようよ、相手の見えている部分だけで判断して、相手の全部と思わないようにしよう、という考えです。


 僕は相手に悪意を感じるという事が多いように思っています。補充の話です。なぜ相手に悪意を感じるのでしょうか。父との経験からでしょうか。


 ワールドカップ イングランド対日本 ラグビー 時間帯が良く、見ました。

読んで頂きありがとうございました。

ハゲTを街に着ていった:自作(絵文字だけ:Tシャツ本体はユニクロU)と、アサーティブ2実践編 他

 ハゲT完成しました。作ると言ってから2年くらいかかってしまいましたが、ユニクロのエンジ色のU Tシャツにアクリル絵の具を使ってハゲキャラクターを描き、文字を書いて完成させました。
 ハゲキャラクターはボール紙に絵を描いて、カッターで穴を開けて、そこにアクリル絵の具で塗って絵を作りました。
 文字はアマゾンのアルファベットの転写のような文字集にアクリル絵の具で縫って文字を完成させました。ハゲという文字はぜひ入れたかったので手で書きました。そのほかドットとボーダーラインも手で書きました。
 これを街に着ていきました。カウンセリングの先生は格好いいと言ってくれました。(お世辞かどうかわからないけれど)  自分ではまあまあのできかなと思います。

 これを商標登録にかけ、販売したいです。売れないかもしれないけれど、売ってみたい。なので公開できません。失礼ですがごめんなさい。



カウンセリングの先生向けにアサーティブ他の文章を作った:::


 施設でハンドペーパー・トイレットペーパー・ハンドソープの補充の作業をしていますが、減っているはずのが全然減っていない。重いそれらを持ち歩いて、やられたと思いました。上司だろうと。

 前から上司には僕にずっと補充をやって欲しいなどと、ニコニコ言われて、怪しいと思っていました・その時も減っていない時期でした。
 減らないのは、誰かが補充しているわけで、それは上司だろうと疑った。

 今回も上司がやったのだろうと頭から決めつけ、重いのを持ち歩いたその日は怒りがこみ上げた。

 そしてそれに対してどうするか。上司と話すと良いだろうと思った。上司が配っているのでしょう。僕は重くて大変だったから、そのことを言ってくれと。
 でも、そのうち、言うのより報復するのが良いだろうと思えてきた。いつも僕はゴミ回収を火曜から金曜まで一人でやっている上司のために、ゴミを捨てやすいように配置替えを行っていた。2F~5Fの各階のゴミ置き場で。それを報復として止めればいいと。その方が効果的だろうと考えた。次の日の出勤後の施設でもそう考えていた。


〇しかし、アサーティブで習ったのに、誠実というのがあったなと。たぶん自分にも他人にも誠実であれ、というないようだろうと。それに照らすと報復は誠実ではないなと。溝を作るやり方。いつもと違う行動で、相手をやり玉に挙げる・やりだまにあげる(つるしあげる) やり方だと。
それで報復もやめることにして、話しをしようと思った。話は誠実だと。
 話しました。上司がやっているのではないのかと。上司は否定しました。それでも信じられませんでした。

 責任も思い出しました。責任とは、話し合って自分が相手と良好なコミュニケーションを取る責任です。不誠実や報復などではなく。このまま帰れば、話し合う機会を捨てることになる。
 帰り際、コンビニから戻った上司に。ふざけてやったんだと言ってください、と言ったら、やってないからやったとは言えないと。今度は嘘などではないと思えた。上司に誠実さがありそうだと。それで、介護士さんを疑うことにしますと、矛先を・ほこさき を向け変えることにしました。それで終わりです。

 この点で良かったのは、僕は上司を疑ったのですが、対話を持ったこと。納得いくまで話しかけたことです。カウンセリングの先生に勧められて、アサーティブを受けといてよかったです。助かりました。

・One driveだから、消しても仮想空間のだからいいのだろうと、バンバン消していました。まてよ、ワン ドライブ 一つのドライブだから仮想もパソコン上も両方なくなるのかな、と確認を取った。そしたら、だいぶなくなっていて、慌てて復元しました。助かりました。わからないものは理解したうえでしないと、失敗するという教訓でした。

 ・昨日は、地下鉄で正面に座った男が、立ち上がってこちらに来たので、こちらも立ち上がって戦うぞ、という姿勢を見せたら、後ずさって椅子に腰かけた。
 そいつらは3人組でみな僕より一回り大きいいい体格の男たちだった。特に嫌だったのは2人目の男でがっしりしていた。だがそいつも今回は戦いを見送ったらしく、終着駅で去って行った。
 最近僕が立ち上がらないと攻め込んでくるやつらばかりで辟易・へきえき(嫌になる) しています。最近は地下鉄の椅子から立ち上がって何回も撃退しています。
 たぶん今までは僕と周りの差が大きく、見下し・みくだし やすかったけれど、最近は僕も上向いてきたので差が小さくなり、相手と同じ土俵に乗りつつあるからだろうと思います。その割には、僕は叩きやすいのでしょう。しばらくは続きそうです。


自分史:道新夕刊が廃刊になります。確か10月ころから。

 確か、作るのが大変になったか、読者が減ったからで廃刊になります。

 母は、新聞の夕刊だけはとるといいよと、僕に勧めました。文化が多く、芸術とかの記事が多いからだというようなことを言いました。
 僕がパソコン作業所に通いながら、粘土を家で作り、半年くらいアップロードし続けた、作った粘土を写真にしてアップし続けた。実際にはサイトに来る人は、1人か2人でほとんど来なかったが続けた。あの時は頑張っていた。粘土の実力はなかった。たまに面白いのが作れた。
 そのほか、リコーダーを家で吹いたりしていたのもあるだろうと思う。ヤマハ初代クラビノーヴァ1号機を買ったのを売って、ベースや小太鼓練習台を売って、リコーダーを手に取った。
 理想は高かったけれど、売ったことでリコーダーをはじめられたし、絞れた・しぼれた。

 そういう経緯を母は覚えていて、僕に芸術ランのある夕刊を勧めたのだと思う。
 でも今は、読みたくても廃刊になり、新聞の時代ではなくなった。夕刊配達の仕事も、配送の仕事もなくなる。
 でも、僕は新聞配達をしていた30代の頃(家に出戻って、何とか新聞配達のアルバイトをはじめられた)、その頃から、新聞はなくなるだろうと思っていた。なのになんで北広島に印刷所を作るのだろうと思った。時代を読み違えていないかと。僕は新聞リーダー(いっしゅのタブレットのようなもの)が各家庭に配置され、家で印刷するようになるだろうと思っていた。しかし現実は、スマホで新聞を読む時代になった。

 母に勧められていたし、夕刊はとり続けようと思っていた。ちょっと寂しい。たいして読んでこなかったけれど。
 朝刊もなくなるのは時間の問題だと思う。最近ハイテクは目まぐるしくてついていくのがやっとです。僕は、スマホ操作は遅いです。
 ○○先生はもう新聞を卒業されましたし。

 スマホ人間が増え(ナヨナヨ)、スポーツの需要と評価(アナログで肉体をフルに使い、負荷を得られる)は高まるのでは。自殺も増え続けると思う。

<おわり>
読んで頂きありがとうございました。

僕の考えるアサーティブな言い方

 僕は介護施設で清掃をしています。モップ、トイレ掃除、洗面台掃除、補充などです。

 その洗面台で、一つの洗面台で、ボウルの全部の表面にワセリンが塗られていました。非常に取るのに苦労した。今考えると、ハンドペーパーよりトイレットペーパーの方が早く上手く取れるかなと思う。
 これをした人物は、介護士か施設入居者。

 僕は糞っ垂れと思いながらワセリンを取り除いていたので、介護士をとっちめる言葉が頭の中で反芻されていた。
 ワセリンを塗ったりしたのは誰でしょうか。止めて欲しいです。みたいな言葉。とっちめる言葉。やるかやられるかの考えが頭の中を占拠した。


 しばらく経って頭の中で思いついたのはこのような言葉だった。
☆☆ 介護士さん、あの洗面台のボウルの表面にワセリンが塗られていたのですけれど、どなたがやったかご存知でしょうか。取り除くのに苦労するので、どなたがやったかご存知でしたら教えて欲しいです。

 みたいな言葉。これとっちめるというより、相手とひとつの絵を共有する、相手とコミュニケーションするための言葉。これが僕の考えついた、アサーティブな表現です。本当のアサーティブはわからないけれど、僕の思いついた一つの答え、結論でした。

 相手と場を共有する、一つの絵を共有する、これアサーションに近い気がしますがどうでしょうか。
<おわり>

抑圧:父に糞野郎・馬鹿野郎と小さいころ思っていて、でも恐くて言えなかった

 NARMカウンセリングの先生を受けました。
 抑圧がわずかに出ました。先生との会話では10%です。

 施設でトイレ掃除をしていて、トイレに圧倒されて一心同体になりそうだと話しました。意味は、トイレのこなす量があまりにも多く、トイレに迫られているという感じです。
 先生に、トイレが近づいてくるというかんじか、みたいなことを聞かれ、そうですと答えた。トイレに近づいてこられて圧倒されているなら解決できる、みたいに言われました。先生に頭を下げ、トイレ演習をしました。

 トイレは迫って来ないぞ、というような語尾変化をいくつかこなして、来ないよ、来ないんだ、みたいにバリエーションをいくつか交えて、声を出して、言いました。それで、静かになった気がしました。この時に先生とも話しましたが、これは父問題が絡んでいると、父に圧倒された経験が今回のトイレ掃除に被っていると。トイレと父の問題がごっちゃになっていると。
 それで静かになりつつある目、手のひら、足の裏、などを感じ、同時に感じたりしました。静かになりつつある感じをこれらいっぺんに同時に感じてみるとか。
 そのうち、お腹が強張っている、胸が強張っている、膀胱が強張っている、みたいに言うと、それも感じた、先生と一緒に感じようとした。

 これらは抑圧だと話し、出たがっているけれど、今は時期ではない、みたいに先生との会話で焦点を合わせていった。今は時期ではないと僕は言うけれど、出たがっているなら出ますよ、みたいに先生は言う。それで抑圧本体に耳を澄ませ、聞いたりしているうちに、

☆☆☆馬鹿野郎、糞野郎 みたいな言葉が黒い言葉がポロっと浮かび口に出した。いつも介護士さんに心の中で言っている言葉だし、父イメージに心で言ったりしたことがあったけれど、心に耳を澄ませ、抑圧に聞いたうえでの言葉だったので、わずかだったけれど出ました。
 
 方が軽くなった気がするというと、父の不機嫌・憎しみ・怒りの言葉に圧倒されて抑え込まれていたから、思い蓋を背負っていたから(みたいな言葉で実際の先生の発言にはない表現)出れなかったんだね。みたいに先生は話された。父が不機嫌・憎しみ・怒りの人だとは、今回の会話の中でこの抑圧が出る前に僕が先生に伝えていた。10%くらいが出た、と先生に言うと、いっぺんに出なくていい、ちょっとずつ出るというのもある、と言われた。僕が赤い色が見える、というと、それも抑圧が出る時の反応だから自然なことだ、みたいなことを(実際の先生の発言と違う)言われた。

 わずかに抑圧が出て目星がつき、道筋も見えてきました。ありがたかったです。先生、ありがとうございます。今回、トイレの話から抑圧へと行ったので、意外でした。先生もそのことは仰っていた。気づいてもらえたのが良かったです。(トイレに圧倒されて、一心同体になる、というのを、トイレに迫ってこられているのを距離感をもてるようになる・父問題が絡んでいて、トイレとの距離感が父との距離感だと気づいてもらえたこと)

 カイロの先生にも今回、首を重点的にやって頂いて、首がすっきりしました。6回くらいもグキッとやって頂きました。こちらもありがたかったです。

便器磨き:たくさんやりすぎて飽きました

ご無沙汰しています。
隣のおばさんとは連絡を取り合っていません。頂いた、きゅうり、なす、ミニトマト、漬物を食べ終わってから、感想を交えて手紙を書こうと思っています。それで、日曜日には手紙を書かなかった。
 ミニトマト、アイコではない丸まっちい方のミニトマトは甘くて果物かというくらい美味しかった。シャインマスカット高級より、僕にとってはよほど美味かった。

 アサーティブの講座を受けました。カウンセリングの先生に勧められて受講しました。zoomでした。本当は対面がいいのですけれど、ご時世でオンラインです。
 その演習で、職場の同僚に洗面台が汚いと言うのを選びましたが、相手の方とのやり取りで、1回目は僕が批判がましく反発されましたが、2回目は愛を持って接することができたのか、相手の方もスムーズに話を聞いてくれました。僕は問題を大袈裟にとらえていましたが、もっと小さく受け止める必要を感じました。大きく捉えると、相手を批判がましく見てしまう。そして、思いやりを持って話さないと、攻撃的で耳を貸してもらえないようです。女性の方は、その辺が上手く、ソフトに淡々と思いやりを持ってご自分の演習をなさっていました。僕の相手役を務められた方は、役がものすごくうまく、話しの最後で学生の頃、演劇をしていたとのことでした。通りで役が堂に入っていたと感じられた訳でした。
 3人チームだったのですが、良いチームに入れてもらいました。おかげで気持ちよくできました。
 
 一日4時間の2日間連続を受けました。カウンセリングの先生のお勧めでしたが、いい経験をしました。zoomの演習でも対人関係は結構成り立つ。いつもスカイプでカウンセリングを受けていますが。アサーティブの講座は値段は高いですが、たまになので良いでしょう。

 施設ですが、今日は頑張りました。トイレを、便器24個(小便器2個含む簡単清掃)をやりました。そのほか洗面台とかもやりました。げっぷが出るほどやりました。便器の簡単清掃は、便座を拭くだけで、便器が汚い時だけきれいにする。)

しかし、清掃が終わってからの上司のお言葉を受け止めることができず、混ぜっ返したりしました。僕は受け止めが経験不足でできません。必ずいや、という態度を取ります。カウンセリングでやって頂いたほうがいいかもしれません。弱点です。
<おわり>

男介護士さん+隣のおばさんの高いシャインマスカットを頂いた後の、どうするか交流。

本題に入る前に付け足し:介護士さんを敵とみなし頑張ってきました。まず、僕は月曜・木曜(最近)・金曜が調子が悪い。今日は火曜日でわりと調子が良い。

 介護士さん男からお声がけ、挨拶の言葉が僕に向けられた、5人くらいがあった。つい昨日まで介護士さんを敵とみなし闘ってきましたが、なぜか挨拶された。これは一定の評価があったと考えられる、僕としては頑張って清掃しているし、2フロア、トイレと洗面をやっている、そこが評価されたのか???、まあ、僕も最近は人手不足で忙しくなったし前より頑張っている、そこを見てもらったと好意的に受け止めたい心情はある。
 でも、明日は明日の風が吹くで、僕の調子で周りの態度もガラッと変わるので、あまり当てにしていない。最近僕は怒るが、自分の抑圧のせいなのかわからないが、前よりわかりやすいキャラクターなのだろうか???
 とりあえず、介護士さんにはありがたかった。男介護士さんだけ。
 半分以上の女介護士さんは冷たいので、これからも戦いは続くのであった。闘いに頑張ろう。







 隣のおばさんに、この間、親の死んだのを聞かれ、死んだと答えた。そしたらすぐにシャインマスカットのお高いのを持ってこられた。僕はあまりブドウは好きではないので嬉しくなかった。半分食べ、施設に持っていった。清掃のみんなは高いのを知っているので、(箱入り、特別何とかというやつだった)あまり食べてくれず持って帰った。

お返しに商品券を返した。同額。

 その日のうちに、僕は自室にいた、おばさんは来られた。僕は出なかった。

 次の日、商品券に手紙が付いていた。そして出かけようとしたら、玄関に袋に入った野菜とかが入っていた。僕は父母が死んだときのことを聞かれたとき、おばさんは野菜を僕にくれようとした、受け取らなかった。急いで冷蔵庫に突っ込んで出かけた。

33度の日、帰って手紙を読むと、文面はそんなに悪くなかった。それで突き返す手は取るのを止めた。

 おばさんなるものの野菜を頂くことに決めた。商品券は、3千円はもう一回返そうと思う。今度は香典返しだと文面に描こうと思う。どうなるか。とりあえず今日はおばさんの野菜は食べない。明日以降頂く。日曜以降に香典返し手紙付をポスト投函してみようと思う。どうおばさんは来るのか。

 高いシャインマスカットを頂いたときは、位打ちかと思った。高いものを送り付け、悦に入る、嫌な奴がやる手、そう思った。それは保留にして、おばさんと交流してみようと思う。

 とりあえず、おばさんなるものを受け入れてみようと思う。

雑記:とりとめもなく、ゴチャガチャと書きました。

御無沙汰しています。
 先週の金曜から介護士さんたちと闘っています。腹が立ちます。怒ります。
 そこを足を掬おうとする人もいますが、まだ介護士さんたちと闘いたいです。
 心の何かが腹を立てるのかもしれません。
 先週は掃除機先輩と、ドアを隔てて火花を散らしました。大きな音がして、腹が立ちドアを足で閉めて。そしたら掃除機先輩は、だだだだだだだだだだ、と風呂場できました。僕も外でモップを、ごしししししししししし、とやりました。そのときに、もしかして中の人は介護士ではなく、掃除機先輩かと思いつきました。後の祭りだけれどやってしまった。
 
 刺されるかと思ったけれど、許してくれた、みたいだった。ちょっと謝ったけれど。掃除機先輩は懐が深くもあったのでした。憎っくき介護士、負けてたまるか。
 
 レゴでトラクターとバットマンの車を作った。車は変則的なもので変わっていた。トラクターは緑色で、それだけで気に入っている。とてもお気に入りになりました。他の色だったらそれほどではなかったと思う。

 2nd streetで、スウェットを2枚買った。一枚は新しく、カウンセラーの先生に見せたら掘り出し物だと、もう一枚は古いので相応だと言われた。両方とも500円で買った。新しいのはバナナリパブリックで、古いのはギャップです。
 オーガニックなものが欲しいけれど、ユニクロの何とかガーメントとかいう奴の着古したのを吊るされているのを2枚見た。欲しいけれど、古いのでやめた。それくらいしか、古着屋でオーガニックっぽいのは見つからなかった。難しいのだろうか。前途多難だ。

 曽田さんですが、十分魅力的です。テレビで話題になっている韓国の人です。そういう意図がなくても誘発してしまうと思う。もう少し覆うべきです。僕でも惹かれてしまいます。

 ノンアルコールのビールを飲んでいます。地元のスーパーの、6種類くらいあるやつ、あと一つを残して皆飲んでみました。CGCのは、まずかった。アサヒドライも好みではなかった。あとは好きな方です。キリン、サントリー、サッポロと。カロリーがないビールって、どんなからくりなんでしょうかね。調べてみたいです。電脳蜘蛛の巣には載っていそうです。

 暑い日が続いて疲れます。北海道だから楽だろうって? たしかにみなさんより、格段に楽でしょう。クーラーがないので、苦しい時もあります。再来年付けようかと思っていましたが、来年から必要かも。あまりに暑いと熱中症になりそうで恐いです。気が遠くなりそうで。

<おわり>バイバイ。

ソフトバンク対日ハム:6日日曜日に観戦。

 前回頑張ったとか書いていたが、今日の作業は頑張っていなかった。

 ソフトバンク日本ハムを見た。6日日曜日、北海道ボールパークエスコンフィールドです。
 一塁内野席の9列目、自分では良い席だと思います。ただ、前の席の2名が仕事か何かでこなかったので、バッターボックスの選手の動きが人の影で見えないということがなかった。ラッキーなのでした。

 一番印象に残ったのは、グラウンド整備の人たち。最初、ダイヤモンド、1塁ベース・3塁ベースのあたりを計測していた。たぶん、正確なグラウンドでないと公式戦と認められないので、そのための計測なのだと思う。あと、試合中も、グラウンドの土をトンボとかで整備していた。
 終わったら、バケツとスコップを持ったスタッフが、外野の芝のめくれをそれらを使って戻し、踏み固めていた。水まきも最初にやっていた。土埃対策なのか? あと終わった時に、白線を引いてラインを作っていたけれど、その土をスコップで取り除いて一輪車の載せていた。一度引いた白線の土は取り除くみたいだった。全部でやっているようではなかったけれど。
 僕は清掃の仕事なので、選手より裏方に目が行った。そのわりに、審判はあまり見なかった。
 ピッチャーが投げて、バッターが打ったり、キャッチャーがボールを取ったりするのは、そのような事情で良く見えた。ありがたかった。最初のプロ野球くらいは奮発していい席で見て良かった。速く見える球はあったけれど、内角外角は、内野席なのでわからなかった。高い低いも良く見ていなかった。ピッチャーのフォーㇺは見ていた。バッターのバッターボックスの動きも見たりしていた。

 テレビと実際の決定的な違いは、解説者がいなので、自分でどこを見るか決めなければならない。カメラなら全部プロデューサーの決定でみることになるけれど、自分でどこを見るか決めて、そこを理解しなければ見えないという所だった。
 実際を見て見て、野球は生理だと思った。人間がやっている。テレビだと凄いバッターだとか先入観があるけれど、実際は生身の人間が暮らしの一環として、身体を張って行っている。僕はテレビで野球を見ると、理念になってしまっていた。でも、本当の実際の野球は、呼吸しなっがら緊張しながら行っている普通の暮らしの一環の野球なのだった。もちろんプロ野球

 僕はなぜ北海道に住んでいるのに、ソフトバンク戦を選んだかは、柄が悪いのとふてぶてしい感じがする選手がそろっていて、ハムのサラリーマン的な選手より魅力的に映った。3階の応援席、応援団もちょくちょく目をやって見ていた。

 僕は今回、バットの形をした2本のスティックを買って応援しようと意気込んだ。けれど、一点しか入らないし、ここぞで打たないので、活躍しない道具になった。最後には、どうでもよくなった。道具を使う場面が全然ない。6回の表くらいでトイレに立ったけれど、トイレでは僕も含めて暗い雰囲気で意気消沈していた。

☆ ソフトバンクの選手で一番印象に残ったのは、1塁手の何とか選手だった。すいません、名前を憶えていません。骨格が印象に残った。タイツをオールドタイプに上まであげてズボンを中にしている形。
 とてもふてぶてしい。
☆☆ 僕の印象は、現場主義という言葉。グラウンドという現場では自分が主役で、どうふるまうかどうするか全部自分裁量になっている、その現場に自分で責任を持って臨み、責任を取る。バッターボックスの内安打を見たと思ったけれど、違う選手だったか? もし本人なら、3塁にバウンドで打てば一塁は間に合うだろうとバッターボックスで決定して打って、3塁手の送球が逸れたので、目論見道理ヒットになった。ものすごくふてぶてしい。
 この選手の図太さに惚れた。それで目で追っていた。ソフトバンクの荒々しさは、ハムのナヨナヨした感じとは正反対だ。
 僕は試合を見ながら、来年はソフトバンクのユニフォームを着て、3塁で応援したいな、というものだった。ハムの選手は面白くない。良い子ちゃんばっかりで。
 ソフトバンクの選手は野球を命がけでやっていると思う。そのくらい力を入れているのではないかと、昨日頑張った日のトイレを磨きながら想像した。その時、自分も命がけでトイレ掃除していた。なんのこっちゃ? 

 良い席で見れて、いろいろ気づけて、初めての金を払ってのプロ野球で、楽しんだ。試合が終わって、ノンアルコールのビールを飲んで、うまいなあと思った。
 1塁席の内野なのに、ソフトバンクのユニフォームを着た人が斜め前にいた。淡々と見ていた。お兄さん。ちなみに僕は56歳、爺さんに突入した。

 今日の作業は、4分の3の時間はノロノロでした。最後の4分の1の時間、時間がないと頑張った。よって、今日の作業は良くなかった。途中からエンジンをかけたのはノロノロしているのが自分でも分かった。父ペニスを掴もうとして調子をなんとか戻した、ノロノロを脱した。
 前回頑張ったとか書いていたが、今日の作業は頑張っていなかった。

<おわり>

父との力関係を5分5分に戻しつつある。と、僕は踏んでいる。

カウンセリングの先生向け::

 前に僕には、人の気持ち、僕に投げかける気持ちがわかる、というか言葉として聞こえる、という話をしたと思います。馬鹿、気に入らない、殺してやる、などは、僕の頭の中で聞こえること何百回。だんだん最近は慣れてきて、こちらも相手に踏み込もうという気持ちになってきました。※統合失調症ではなく、特殊能力
 今まで自分内引きこもりで内側にエネルギーが向かっていましたが、相手にエネルギーを向けよう、積極的関与を環境にも周りの人にもしようと思うようになりました。結果、うるさい周りの連中・僕を否定したい人間が周りに寄ってくるを撃退することが大分できるようになってきました。ザマアミロ。
 首の高さも影響しているとは思いますが。
::カウンセリングの先生向け文章終わり

 と書いたら、先生はまるっきり信じていず、統合失調症の症状だろうという態度でした。
確かに、これを読む人はそうとるかもしれませんが、僕としては車内全部敵でそれを跳ね返す態度を年がら年中行っている身なので、常識なのです。周りが僕を殴ろう、この野郎と敵視するのは日常で、僕から見ると、糞野郎の山なのでした。僕はこれと闘ってきているし、押し返すために全力を出しているので、カウンセリングの先生が信じようが、否定して統合失調症だろうとという態度を取ろうが、先生もバカヤローだとしか言えない。敵がたくさんは、僕の生活そのものです。そのために人生を賭けて闘って押し返しているのです。切実なんです。それを文脈や教科書の刷り込みで否定されても、理解がないとしか言えない。あなたたちは僕の現場を知らないで言っていると。否定するなら僕の現場に乗り込んでから言えと言いたい。僕は現場の最前線で常にやり合っている。刑務所に入っても退くつもりはない、死んでも退かないという気持ちの時もある。そのくらいでないと、持っていってしまわれる。それを防ぐには全面対決しかない。本気も本気の全力で過ごしている日もある。バイアスで見るのは失礼だ。僕は見くびられているとしか判断できない。まずは信じようから始められないのか。最初から教科書で見られても、僕の現場は置き去りのままだ。そんなやり取りをカウンセラーの先生と4年くらいしていると思う。まったく信じてもらえない。もちろん精神科の先生も。彼らは教科書だ。現場に乗り込む気もないのに眼鏡に色を付けて見ている。今日も僕は頑張った。


 ただ最近は相手との関係が5分5分になりつつある。最近の僕の戦略は、父のち ち を切り取ってやるという言葉を心の中で周りの人間に投げかけること。
 これが出てきたのは、心理学で、母親を自分のものにしたい子供の時の心理で、父を排除したい気持ちがあるらしい。でも強大な父の前にその目論見は潰え・ついえ(失敗し) 抑圧されると。

 僕は父にペニスを見せられ、見せつけられ(風呂上り)、いつも不機嫌と怒りと執念を周りにまき散らす父の元、暮らしてきた。この父に抑圧してきた。抑圧とは相手が力があり、自分は無力だ、から来ている、と僕は考える。父のペニスを切断したいは、父の帝国を否定することになる。父と互角になる手段だと考える。実際にする必要は全くない。僕の手は、周りの人間も父と同じ機能を僕が投射していると考える。周りの人間も父と同じ力関係をもって僕に接してくると。同じ環境を作ると。だから、周りの人間に対して、父のペニスを切断してやる。と唱えることが、周りの人間と互角になる道だと思う。(僕の場合) そして、周りの人間と互角になるとは、父と互角になることを意味している。
 周りの人間とも父関係を醸成する体制を僕は作り出してしまう。周りも同じように、父と同じようにふるまう。だから、周りに、父のペニスを切断したい、と言う。

 この体制を築く前、僕は、Rosy music [LOVE IS THE DRUG]を部屋で、ユーチューブに被せて歌った。歌を歌っていたが、その裏で、本当にしていたのは、父のペニスを自分の手を使って切り取ろう、という意図だった。かなり成功したと思う。
 
 しかし次の日、周りの意地悪に遭う、介護士は意地悪をした。これに対して僕が取る手はと考え、父のペニスを切断したい、と介護士に心の中で言った。これが転機になっている。介護士との関係が、5分5分に近くなった。それからこの呪文を、一般ピープルにも使うようになってきた。
 本当の目的は、父関係を乗り越えたい。父との抑圧関係の、自分の中の不利を解消したい。などからきている。僕はずっと、人間関係を水平にするために闘ってきた。18歳から。大学のカウンセリングルームの門を叩いたのが18歳。それから56の今日まで、38年間闘ってきた。ざまあみろ。何とか水平にしてやる。
 今だ成功していない。周りの態度は敵だ。だが、僕の感触は良い。力関係はフィフティーフィフティー。だと思っている。最近飯を介護士に食われている。負けてたまるか。

自分は存在していい

 聖書で暗闇から光・愛への道を歩めないかと思って書きましたが、NARMカウンセリングの先生と話して、
 先生は、今の僕には聖書の道は厳しいのではないかと仰った・おっしゃった。

 先生は、
☆☆自分は存在していい、自分の存在を認める、自分を尊重する、自分の主張をしていい、存在する権利がある、などのようなのが今の僕にはいいのではないかとのこと。
僕は確かに、このようなのはうまく機能していないのを感じる。

 これは、EMDRのカウンセリングの先生のアサーティブとも被る・かぶる と思う。そのことは言った。

 自分の存在~のことは、NARMカウンセリングの先生に、カウンセリングの終わりに身体に焦点を当てるのをいつもやって頂いている。リラックスしてるのは身体のどこか、緊張してるのはどこか。リラックスしてる手と足とお腹を同時に感じて見ましょう。緊張しているなら、首が緊張していますね、首の緊張をただ感じましょう、そうするとだいたい緩んでくる・ゆるんでくる。

 EMDRのカウンセリングの先生には、父母との良い思い出を思い出して文字に起こし、思いでの絵を描く。前回は母との餃子詰めるのの絵を描いて、父の好きなカステラを描いた・カステラはただ四角で工夫が足りなく今一歩だった、おはぎも一緒に描けばよかった。

 今日は調子が今一歩で、カウンセリングもカイロプラクティックも今一歩集中できなかった。先生に、アイスノンを使って寝るといいとアドバイスをもらった。頭がやられていると言われた。今日から使います。5時間しか冷凍できなかったけれど。<おわり>

古着

2nd streetで古着を見ていた。新しくてブランドが目当てだった。夏物。

 いいのはほとんどない。1着、nikeのトレーナーみたいな、紺に黒のナイロンかポリエステルの布が貼ってあるのが、状態は新しく、タイプも良かった。掘り出し物だと思った。

 でも買わなかった。小便がしたくなり出てきた。交通機関に乗ってもなぜ買わなかったか、気になった。

 しばらくたって分析して、僕は、ブランドの新しいものを目当てにしていたけれど、洗いざらしのような、オーガニックのような、昔のパットメセニーが着ていたTシャツっぽいのも、今回手に取って見ていたことに気が付いた。
 案外僕は、路線変更したく、ブランドを示すより、ノーブランドっぽいカットソーのようなザックリした、崩れたようなのに今は惹かれているのかもと思った。本当かよくわからないが、今度古着屋へ行ったら路線変更して探してみようと思う。どんなものだろう。いまのところどうなのかはっきりしない。ただ、昨日金を使う気は起きなかった。<おわり>

実践編::うまくいったとは言えなかった。

 筆は鈍ります・にぶります。実践しようとすると結構ハードルが高いのが分かった。

 月曜・金曜日は、僕の調子の悪い日です。だから期待できず出かけた。

 介護士に、入居者の皿をいつまでも下げずに掃除の邪魔をされた。最初はそこ一帯もやらなかったが(モップ掛け)、30分後に行っても皿は残っていたので、そこ一帯はやらず、ちょっと離れたところは掃除をし終えた。そしたら介護士が皿を下げた。それで全部掃除できた。歯磨き中の場所は残った。それでそこもあとで掃除した。

 トイレ掃除をしたら、最後のトイレを占領され邪魔された。飛ばした。あとでし終えた。トイレ補充も、邪魔された。そこもあとでやった。

 このように介護士と入居者がダブルウェーブで攻めてきた。憎しみも沸いた。暗闇に占拠されそうだった。だから、光の愛の道を選ぼうと、葛藤させた。結構疲れた。圧力と邪魔を跳ね返すのに疲れた。そのわりには、善戦したと思う。僕は怒りに我を失わなかった。
 とまあ、施設では結構まあまあだったけれど、交通機関でひどかった。
 
 殴ってやるの圧力が来たので、愛と光の道とばかりも言っていられなかった。この野郎、クソ、負けてられるか、と圧力を跳ね返さないといけなかった。暴力で来る奴に、愛と光の道では僕は対抗できない、僕にとっての現実がある。バカヤロー、ぶっ飛ばしてやる、くらいの圧力で押し返さないと攻め込まれて負け犬を演じさせられる。と僕は感じたので、暴力で来る者には、暴力で武装し押し返そうとした。これが僕の現実だった。宗教的にはどう押し返したらいいかわからない。暴力に、暴力をぶつけることで跳ね返そうとした。これしか今日は浮かばなかった。

 暗闇に付け込まれたかもしれない。そろそろ僕も調子の下り坂を進まないといけない。その時は結構つらいと思う。その時までワープロを楽しみたい。

悪い行いを光の道に置き換えたい:宗教的考察 (アレルギーを感じますか?

 まずですね、職場環境が悪化しています。人が1人抜けただけで、みんなの負担が重くなりました。時給は上がらず、時間外も増えず、仕事量だけが増えました。

 僕は今日、入居者さんで邪魔する人がいて、先回りしてトイレを占領されるのですが、それに対して怒ってしまった。首切断とかイメージしてしまった。これは怒りに任せて余計な行いをしたことになる。しかも、怒ってしまってやらなくていいことまでイメージした。これが宗教で言うところの罪です。

 僕は黒人の方々の教える英会話教室に通っています。先生方は留学生で大学で学んでいる。その方々のアルバイト先です。彼ら、先生方は皆クリスチャンです。なぜかわからないけれど。僕は英語と日本語の載った聖書、小っちゃいのをもらった。どこを読んだらいいか尋ねて、そこを読んでいる。次読むところも教えてもらった。

 その聖書の、3回目に教えて頂いたところが、
ephesians 4: エフェソの使徒への手紙 4
31. 無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒にしてなさい。

 という下りです。この章は、暗闇から光へを説いています。僕がキリスト教を信じるとするなら、この暗闇から光へを信じたいからです。難しい事や立派なことのためではないです。

 僕は首切断などと言った、物騒なイメージを持ち出している。怒っている、憤っている、呪っている、このようなことは辞めたいと、この部分を読んで思った。これら暗闇の罪をやめたい。これを実践するため聖書を読みたいと思った。
 宗教と聞くと拒否反応を持つと思う。しかもキリスト教です。これは僕自身の宗教へのイメージと思いです。でも、イメージより、実践するために聖書を読みたい。
 僕は本当に暗闇を辞めたい。暗闇と指摘されたし、それは正しいと思う。辞めるのも正しいと思う。心の弱い僕がキリスト教に頼って、これらキリスト教の説く罪を辞め光へと歩めるなら、キリスト教者でもいいと思うようになった。

 今日はベンチで、聖書をめくった。曇り空だけれど、紫外線の降り注ぐ中でだった。(肌に染みた)

 僕は献金したいわけでも、立派になりたいわけでもない。妄信したいわけでもない。ただ、自分が暗闇にいるという自覚と、悪い癖、罪を辞めたいからです。

 
 同じところ、5. 1-2の書いてある、愛によって歩みなさい。という言葉は、暗闇を捨てて、愛に生きることを説いている。
 僕自身に照らすと、首切断という罪を捨てて、光の愛の道に置き換えることを説いていると思う。暗闇を捨てるために、愛というキーワードを使い、愛に置き換える。暗闇の行いの道を捨て、愛の光の道を歩もうとする。これが僕にとっての宗教、キリスト教です。

 皆さんは宗教を実践しようとする、僕をこいつもか、宗教という胡散臭い目で見るでしょうか。僕は、今を、現実の暗闇を光の愛の道に置き換えるために宗教、キリスト教をやりたいし、今現在行っている。入信とか何とかではなく、もうすでに実践の中にいる。僕は辞めたいことのために、宗教をやりたい。キリスト教をやりたい。

::イエス様、弱い僕を助けてください。光の愛の道へ導いてください。と、暗闇のイメージに心が占領されそうになったとき唱えて、乗り越えようとすることのどこにアレルギーは存在するのか。僕は自分の弱い心を罪の暗い心を乗り越えるために、イエス様と呼びかけ、そっくりそのまま、暗闇の道を愛の道に光の道に置き換えたい。自分に負けていられない。