父との力関係を5分5分に戻しつつある。と、僕は踏んでいる。

カウンセリングの先生向け::

 前に僕には、人の気持ち、僕に投げかける気持ちがわかる、というか言葉として聞こえる、という話をしたと思います。馬鹿、気に入らない、殺してやる、などは、僕の頭の中で聞こえること何百回。だんだん最近は慣れてきて、こちらも相手に踏み込もうという気持ちになってきました。※統合失調症ではなく、特殊能力
 今まで自分内引きこもりで内側にエネルギーが向かっていましたが、相手にエネルギーを向けよう、積極的関与を環境にも周りの人にもしようと思うようになりました。結果、うるさい周りの連中・僕を否定したい人間が周りに寄ってくるを撃退することが大分できるようになってきました。ザマアミロ。
 首の高さも影響しているとは思いますが。
::カウンセリングの先生向け文章終わり

 と書いたら、先生はまるっきり信じていず、統合失調症の症状だろうという態度でした。
確かに、これを読む人はそうとるかもしれませんが、僕としては車内全部敵でそれを跳ね返す態度を年がら年中行っている身なので、常識なのです。周りが僕を殴ろう、この野郎と敵視するのは日常で、僕から見ると、糞野郎の山なのでした。僕はこれと闘ってきているし、押し返すために全力を出しているので、カウンセリングの先生が信じようが、否定して統合失調症だろうとという態度を取ろうが、先生もバカヤローだとしか言えない。敵がたくさんは、僕の生活そのものです。そのために人生を賭けて闘って押し返しているのです。切実なんです。それを文脈や教科書の刷り込みで否定されても、理解がないとしか言えない。あなたたちは僕の現場を知らないで言っていると。否定するなら僕の現場に乗り込んでから言えと言いたい。僕は現場の最前線で常にやり合っている。刑務所に入っても退くつもりはない、死んでも退かないという気持ちの時もある。そのくらいでないと、持っていってしまわれる。それを防ぐには全面対決しかない。本気も本気の全力で過ごしている日もある。バイアスで見るのは失礼だ。僕は見くびられているとしか判断できない。まずは信じようから始められないのか。最初から教科書で見られても、僕の現場は置き去りのままだ。そんなやり取りをカウンセラーの先生と4年くらいしていると思う。まったく信じてもらえない。もちろん精神科の先生も。彼らは教科書だ。現場に乗り込む気もないのに眼鏡に色を付けて見ている。今日も僕は頑張った。


 ただ最近は相手との関係が5分5分になりつつある。最近の僕の戦略は、父のち ち を切り取ってやるという言葉を心の中で周りの人間に投げかけること。
 これが出てきたのは、心理学で、母親を自分のものにしたい子供の時の心理で、父を排除したい気持ちがあるらしい。でも強大な父の前にその目論見は潰え・ついえ(失敗し) 抑圧されると。

 僕は父にペニスを見せられ、見せつけられ(風呂上り)、いつも不機嫌と怒りと執念を周りにまき散らす父の元、暮らしてきた。この父に抑圧してきた。抑圧とは相手が力があり、自分は無力だ、から来ている、と僕は考える。父のペニスを切断したいは、父の帝国を否定することになる。父と互角になる手段だと考える。実際にする必要は全くない。僕の手は、周りの人間も父と同じ機能を僕が投射していると考える。周りの人間も父と同じ力関係をもって僕に接してくると。同じ環境を作ると。だから、周りの人間に対して、父のペニスを切断してやる。と唱えることが、周りの人間と互角になる道だと思う。(僕の場合) そして、周りの人間と互角になるとは、父と互角になることを意味している。
 周りの人間とも父関係を醸成する体制を僕は作り出してしまう。周りも同じように、父と同じようにふるまう。だから、周りに、父のペニスを切断したい、と言う。

 この体制を築く前、僕は、Rosy music [LOVE IS THE DRUG]を部屋で、ユーチューブに被せて歌った。歌を歌っていたが、その裏で、本当にしていたのは、父のペニスを自分の手を使って切り取ろう、という意図だった。かなり成功したと思う。
 
 しかし次の日、周りの意地悪に遭う、介護士は意地悪をした。これに対して僕が取る手はと考え、父のペニスを切断したい、と介護士に心の中で言った。これが転機になっている。介護士との関係が、5分5分に近くなった。それからこの呪文を、一般ピープルにも使うようになってきた。
 本当の目的は、父関係を乗り越えたい。父との抑圧関係の、自分の中の不利を解消したい。などからきている。僕はずっと、人間関係を水平にするために闘ってきた。18歳から。大学のカウンセリングルームの門を叩いたのが18歳。それから56の今日まで、38年間闘ってきた。ざまあみろ。何とか水平にしてやる。
 今だ成功していない。周りの態度は敵だ。だが、僕の感触は良い。力関係はフィフティーフィフティー。だと思っている。最近飯を介護士に食われている。負けてたまるか。