自分は存在していい

 聖書で暗闇から光・愛への道を歩めないかと思って書きましたが、NARMカウンセリングの先生と話して、
 先生は、今の僕には聖書の道は厳しいのではないかと仰った・おっしゃった。

 先生は、
☆☆自分は存在していい、自分の存在を認める、自分を尊重する、自分の主張をしていい、存在する権利がある、などのようなのが今の僕にはいいのではないかとのこと。
僕は確かに、このようなのはうまく機能していないのを感じる。

 これは、EMDRのカウンセリングの先生のアサーティブとも被る・かぶる と思う。そのことは言った。

 自分の存在~のことは、NARMカウンセリングの先生に、カウンセリングの終わりに身体に焦点を当てるのをいつもやって頂いている。リラックスしてるのは身体のどこか、緊張してるのはどこか。リラックスしてる手と足とお腹を同時に感じて見ましょう。緊張しているなら、首が緊張していますね、首の緊張をただ感じましょう、そうするとだいたい緩んでくる・ゆるんでくる。

 EMDRのカウンセリングの先生には、父母との良い思い出を思い出して文字に起こし、思いでの絵を描く。前回は母との餃子詰めるのの絵を描いて、父の好きなカステラを描いた・カステラはただ四角で工夫が足りなく今一歩だった、おはぎも一緒に描けばよかった。

 今日は調子が今一歩で、カウンセリングもカイロプラクティックも今一歩集中できなかった。先生に、アイスノンを使って寝るといいとアドバイスをもらった。頭がやられていると言われた。今日から使います。5時間しか冷凍できなかったけれど。<おわり>