カウンセリングの先生

 EMDRのカウンセリングの先生には、NARM先生と自分史:庭 を読んで頂いて、僕はコントロールしたいという欲求が大きいのかなと思う、みたいなことを言って頂きました。これは、自分ではあまり気が付いていませんでした。確かに、僕はコントロールしたいという気持ちが大きいと思いました。歌も本も、ままならなかった庭も。

 僕は作りたいという欲求かと思っていましたが、コントロールしたいというのは、正鵠を射ている・せいこくをいている と思いいました。この指摘は大きい気がします。



EMDR先生に見て頂いた文章:

EMDR先生、よろしくお願いします。

 2/28 TueにNARM先生のカウンセリングを受けました。
 
僕が上司と決別する、みたいなことを言った時、このまま行ったらどうなるかと聞かれました。それはわかっていたことですが、辞めることになると。

 まだ本心では辞めたいわけではないみたいなことを言い、決別は取り下げることになりました。辞める時まで続けるには、妥協していく、という方法を教わりました。
 妥協は僕の言葉ですが、ぼくが周りに手ひどい扱いを受けても、このカウンセリングの日までには、実際一歩下がって、糾弾すると言う立ち位置を一歩下がって、周りと譲歩していました。同僚先輩に段ボールが邪魔だと言われたら、その段ボールを片付けたり。

また、事務のうるさい音を立てた人には、カートが邪魔だったので通りやすいように動かして置いたり。

僕のモップ絞りを優先させてくれた同僚には、終わった時に声をかけたみたいに、火曜日の僕は調子がいいので妥協していたのでした。それがカウンセリングで妥協という言葉にさせていただいた。

 そして、同僚とかに、鬱陶しいよと、声に出して文句を言う練習をさせていただいた。これにより、わだかまりが消えました。
 緊張している身体に、お腹が緊張している、と自己認識し、お腹が緊張しているとただ感じてみましょうとかんじましょうと、先生にナビゲートされ、徐々に緊張を解いていきました。これにより、昨日3日金曜日は、身体がリラックスしながら掃除ができました;作業なので適度には緊張しているけれど、仕事中の割には今までよりリラックスしていた。

 でも金曜日は、調子の悪い日、月・金曜日なので、周りの圧力がすごかった。殴ってやるで来るので、こちらも殴ってやるで対抗した。これにより僕は守られた。
 こういう日は疲れます。カウンセリングは、時間前に終えて帰ってきました。次の日作業だし、やることは終わったので。
 <おわり>

  をやっています。最後の相談を来週の木曜日に入れたので、土日は  三昧・ざんまい にしようと思います。いま、取り掛かっている最中です。

 
 自分史:庭

 父母が施設とかにはいったりしてから、庭を全くやらなかった。
 父母に庭を維持する役割は、この家に出戻ってからずっとやってきた。僕は作り変える自由は全くなかった。父母ともにうるさかった。
 いま、いなくなったので、庭をやるなら作り変えたい。自分のための庭を作りたい。父母の木は切ってもいいと思う。悪いが維持する役割には飽き飽きした。
 勝手に作り変えるなら、時間を使って取り組むかもしれない。
 父の松の大きな木も切り倒してもいいと思っている。父母の影のある庭はやりたくない。

 ヒョウタンだけは許された。これは少し面白かった。2個くらい使えた。

 読んで頂きありがとうございました。