父とのトラウマ:付録付き めばえ・小学1年:(めばえ・小学1年という部分は付録に対するギャグ)

 昨日は施設で怒って大きな物音を立ててしまいました。周りの人が皆そっぽを向いてるように感じてイライラしました。その前に皆がそっぽを向いていると感じた時に自分の頭をペニスだとか思って乗り切ろうとして、結果その方法が有効ではなく失敗に終わって、怒ったという流れでした。

 上司に報告し、作業は終えていたので、休憩に入り、そのまま食事し帰宅になりました。その帰りの交通機関はやはり鬼門で周りは僕に隙があるのを察知し攻撃したそうな人でたくさんになりました。

 乗り切りました。自分の頭がペニスが不発の失敗だったので、父の顔イメージを思い浮かべそれに向き合おうと必死になりました。そして父イメージのペニスを切断しました。これが思いのほか有効で、周りの攻撃したそうなやつは僕の陣地に入ってこれないのでした。まったくの決まり手、確実に有効な方法でした。
 これが成功したのは、やはり僕が父を乗り越えていないからだと思う。父を乗り越えていたらこんなに有効ではないはず。僕は父と向き合い切れていなくて、父イメージを消化していない、未消化状態だと思う。父と向き合い乗り越えるというのがどういうことかわからないけれど、父の顔を思い浮かべて、その父のペニス切断なのだから、父にペニスを見せびらかされたのもまだ乗り越えていないのかもしれない。

 父と向き合うというのがどういうことか、この間EMDRのカウンセリングの先生の元、父とのキャッチボールの話をやった、読んで頂いた。このような取り組みは地味だけれど、かなり有効なのかもしれない。先生にこのように自分の父との関係とかをやるのを勧めてもらっていて、自分史のような形で、エピソードと感想、もしくは乗り越えるような話を盛り込むというのをやったらよいよと言われ続けていた時期があった。こういう地味な取り組みを続けたほうがいいのかもしれない。父を乗り越えていくために。まだ父関係は終わっていない。どう終わらせるか試行錯誤しないといけないのかもしれない。
 父は死んだけれど僕の中のトラウマはまだ生き続け、僕の上にどっかりと錘・おもり のようにのしかかっているのかも。

付録::

 今日は父との野球の思い出を書きたいと思います。先生に勧めて頂いた自分史です。

 父は、僕が37くらいの時にキャッチボールをしないかと誘ってきました。父の大好きな野球です。母は後に、父とキャッチボールするのが僕のためになるみたいに思って父と話していたそうです。
 僕としては父の得意種目、僕としては前に父と野球をやった思い出があったので、あまり気乗りしなかった。
 小学生のころ、父は僕に野球を教えてくれようとしたことがあったけれど、ゴロの練習もフライの練習も中途半端で、僕の望むようにはやってくれなかった。父主導で進めようとした。僕は野球が苦手だったので、上手くなることを望んだけれど、父のやり方をしたかったわけではなかった。だからこの時も父とキャッチボールと聞いて、やる気は起きなかった。

 まあそれでも、今現在55歳から振り返ると、父もその頃70歳くらいでまだ元気だったし、僕も遠投をして少しは上手くなるのを感じて、微々たる楽しさを感じた。
 父は僕に球の速さ重さを見せつけようとするかのようなキャッチボールをしていた。もちろん父は得意だったから。
 時間が経って、2年目くらいに、父は僕をキャッチャーにして、自分の得意な投手役をやった。その玉が股間に当たったこともあり猛烈に腹が立った。自分で野球部に、シニアの野球部に入ろうともせず、僕をキャッチャーにしてご満悦か、とも思った。いい歳して、本当に餓鬼のようだなと思った。くそう、と思った。あまりに腹が立って、父の向こう側に球を投げて、何回かやって、辞めて帰った。
 その後もキャッチボールをしたけれど、やはり父の向こう側に投げて、キャッチボールを壊した・拒否した。
 最後の時も僕が腹を立ててもうやりたくないと言って帰ってきた。それきり父とのキャッチボールはしなくなった。

 そう言えばこんな腹の立つエピソードもあった。父とキャッチボールの帰り道、昔は子殺しとかあったんだぞという、昔の時代(戦国)は父が子供を殺したとか。その日は僕が調子が悪く、父に付け込まれた。そういう僕の調子の悪い日の背景で言われたので、このバカヤロー、糞っ垂れと思って、何考えてるんだとも思いながらも、父には何も言えず帰ってきた。

 このようなエピソードに対して、父に対して、
「父さん、いい歳こいて(北海道弁)ピッチャー気取りで、子供にキャッチャーをやらせてご満悦って、本当に子供だな。自分から野球部の門も叩けないくせして、子供には強がるんだな。草野球やればいいじゃないか。高校も大学も野球部入ってやってればよかったのに、人生でうまく立ち回ろうとして、出世コースに乗ろうとして野球をやめたなんて格好悪いぞ。プロの野球選手目指せばよかったんだ。ダメだったとしても、その話を聞いた僕は、父を尊敬したと思う。やっても4流だったと。その方が男らしいぜ。父さん、未練があるくせに野球を離れるなんてみっともないぜ。やってもダメだったって負けを認める人生、プロ選手を眩しい・まぶしい 目で見て諦める人生をし損なったなんて情けない奴だな。負け人生を歩んだ方が格好良かったぜ。僕はそれなら父さんを尊敬したぞ。」

 この流れは、そのまま僕にも投げられる。歌手を目指したり、音楽を目指さないでこのまま死んでいく僕は父と同じだなと見える。壁を叩いて、断られ、打ちひしがれる、そんな人生を歩んで、負け人生を歩む経験をすることは格好悪くなく、かえって格好いいぜ。僕にも投げかけてやりたい言葉だと思う。

<終わり>