便器磨きと This is a pen.(基礎固め、心の基本事項30)

 今現在考えているのは、僕の頭の中で進行している心象風景と現実界で実際に行っている現実行為を切り分けたい、自分の中で2つに区別して使っていきたいというものです。

 先日、施設で便器磨きをしていて僕は女のことをぐるぐる、グルグル、ぐーるぐるとこねくり回していた。一人で作業していたので自分の心にかかずりわっていた。しかし終わってみると、作業に集中せずゴチャゴチャ別のことを考えながらやるという、まことに労働者としてけしからん態度だったと気づいた。他の方々は一生懸命作業していたというのに。

 そこで、何が悪かったかと考えた。これは、心のことと現実に作業していることを切り分けられていないからだと気づいた。もちろん、これは最近の内向を脱しつつあるという流れの中での気づきです。僕は、心の中で進行していることと、現実界で起きていることを区別できてこなかった。する能力を持たなかったのですが、ここにきて成長して2つに切り分けられることに気づいた、できるようになった。ものすごく成長して、自分の中では一大革命ともいうべき事です。

 クリニックの待合室でも、心の中では、あの人はおばあさんになって苦労して歩いているけれど若い時は娘さんではしゃぎまわっていただろうな、とか進行しているけれど、そのことは誰も僕の気持ちは誰も気づかないけれど、僕を見ている人は僕が下を向いて座っていると現実界の僕を認識しているだろうな、ただそれだけで僕の心のことには気づいていないだろうな、とかできるようになった。心象風景と現実界のことを分けられるようになりつつある。これは僕にとってものすごい事です。それだけの話ですが。

 生協の葬式に申し込もうと思っている。安そうだから。それでも結構な出費にはなる。当たり前で必要経費だけれど。寂しい話も進行させようと思っている。


 心と現実の切り分け、簡単な英語、便器磨きと、僕にとっては基礎的なことを、自分にとってのものすごく大事なことをしている。

・どんどん 話すための瞬間英作文トレーニング、森沢洋介、ベレ出版

を行きの交通機関でやり始めた。例文が This is a pen. みたいのから始まる、ちょっと赤面するような簡単なのをやっている。英英辞典もいいけれど、簡単な大事な本もやった方がいいなと思いやり始めた。交互にやろうと思う。
 

メルカリ出品:::商売人として向き合った

f:id:kurage0147130:20201231211629j:plain

 メルカリ出品:

 母の着なくなったダウンコートを売りに出すことにした。糸飛びのループがあったり、白い小さい染みがあったり、売れないやと思った。そして、いくつか売ってきたメルカリの出品は儲けが出ないので、アマゾンの使用済み段ボールで送ると書いた。

 案の定、誰も買わなかった。僕はすぐ売ろうとは思っていた。季節ものの商品だし。ものはいい。

 写真を全部取り直し、最安値という言葉を入れ(送料、段ボール、徴収金を入れると儲けはない)、段ボールもクロネコヤマトの新しい段ボールで送ると書いた。そう、商売人となった。商品に心を尽くし、難あり商品でも買う人にとっては大事な買い物だし、僕は儲けがあろうがなかろうが商売人として新たにこの商品とつきあった。

 ほどなく、買い手が現れ売れた。やはりメルカリ出品は、中古だけれど商売を学ぶ場にもなるのだなと思った。ささやかな商売だけれど貴重な体験をさせてもらった。メルカリも面白くなってきた。

元旦: Happy New Year.

今日から始まるナラティブ・セラピー

これをダウンロードで31%くらいまで読んだ。

 僕の地下鉄や歩いていての周りの扱い方は、常に上から目線、自分の方が優れていて上位で殴ってやるからなという立場だ。
 これはやはり父母との関係性を僕が引きずっていて周りがそれに乗じている、という図式ではないのかと思う。

 ナラティブの本を読んでいるけれど、硬直した上下関係では治療は進まず、水平の関係で治療、新たな見方動きは出てくるみたいだ。
 カウンセリングを受けてきたけれど、最近硬直して、展開がない、手詰まりという状況での先生のナラティブな自分振り返りの提案だった。


 ボクシング、田中は弱かったとは感じない、ただ防御が下手だった。ガードが下がっている時間が長すぎた。もっと防御を磨かないと負けるだけだと感じた。だから田中が弱いとは全然思えなかった。チャンピオンは守りがうまかった、だから打たれることが少なかった。それだけのことしか差はないと思えたが、ど素人の直感での感想です。
 ラグビースコットランド戦の最後のところを覗いた。ものすごかった。日本代表の必死の形相にうたれた。ラグビーが盛り上がったわけが分かった。

 紅白を覗いてMVみたいで、観客がなくて、タダ中継をつなぐだけのつまらないものと感じた。視聴率は低かっただろうと思った。見る気はしなかった。

 エレファントカシマシ冬の花、を2020/12月に知ったけれど、とても良い曲だ。もっと早く知りたかった。

 作業所での周りの僕に対する見方も、調子が悪い日も出て行って、変わったと思う。
 僕自身では、自分のやり方を現実化する、便器磨きの手順を自分裁量で工夫する、というのが新しかった。ほうき使いとか。
 こうやらなければではなく、自分の考えを盛り込んで現実化する、というのは新しかった。

 交通機関での硬直した上から目線、作業所でも硬直化しつつある。これに対して、自分の人生を僕目線でナラティブに語るのは、それを脱する方法として先生が考えたのかも知れなかった。

 僕としては作業所に毎日通って、施設に通って、きちんとやろうと出かける。しかしノロノロになったり調子が悪かったり、思うようにいかない。僕自身がダメな奴として自分を見て、周りもそう見るという見方が蔓延している。前の作業所ではそれが顕著だった。

 ちょっとの差で僕は作業所でダメな奴を演じている。不調ノロノロ君が登場する日が多いからだ。こいつがでてくると、うまくいかなくて、動きも鈍くてノロノロになる。出てきてほしくないけれど、こいつは必ず登場する。確かにここらで自分の人生を振り返り、親子関係を見直し、自分語りする有効性はあるかもしれない。
 父母は僕に押し付けてきた。自分たちの見方ややり方を。それしか知らなかったというのはある。でも、迷惑なんだ。僕にとって益にならない硬直した見方で見て、上から目線で決めつけ、行動を縛り付けるやり方。おかげで僕は自分で感じたり見たり、決める機会を失ってきたよ。僕は自分の考え方や見方、行動、方法をこの現実界でどんどん実行に移し、場所を声高に叫んで動かす力があるはずだ。それを否定され見る視力を奪ってきた父母が憎いよ。僕にはこの世界での自分裁量がたくさんあるはずだ。そこが実行されていけばもうちょっとはhappyになれるとおもう。
 何をやっても工夫や方法を自分裁量で盛り込めば楽しくなるのではないのか。

 うま煮を作ったよ。レンコン、人参、サトイモ、鶏肉、ゴボウ、レンコン、たけのこ、コンニャク、どんこ、なんかを入れた。味付けが最初、醬油と酒だけだったのでたんぱくだったけれど、昆布も、どんこの戻し汁も入れてみた。あと、鰹節も入れてみようと思う。少量なのだけれど、品数が多いので大量になった。しばらく食べていく。味は薄味だった。もうちょっと濃くてもいいけれど素材の味が感じられて、これはこれでいいと思う。
 

12/30 Wed 今日から始まるナラティブ・セラピー:本


 前回のカウンセリングで、先生にナラティブセラピーを勧められた。僕の人生を小さいころから振り返って、良かったところと悪い部分も混ぜて、等身大に、どちらかに偏らず振り返ることをする、という。

 僕はイメージが湧かなかったので、先生にどんな本がいいかと聞いたら、今度までに調べておくという回答だった。

 今日から始まるナラティブ・セラピー というのをキンドルダウンロードで読み始めた。そのまえに、Webで調べてみた。物語るけれど、外在化という方法を使って、問題とされていることを自分から切り離す、みたいな話だった。でもまだイメージが湧かなかったので、ダウンロードした次第です。
 
 カウンセリングの先生と、小さいころからの話をやるのはいいけれど、そのまえに、現在のところをやりたいと思ったのでダウンロードした。本の中では、外在化したのを少年と共に名前を付け、ムカッキー(?だったかな?)として取り組むところまで読み進めた。これって、べてるの当事者研究のやり方と似ている。あれも、名前を付けたりして、みんなと共有しながら取り組む課題にしてしまっていた、と理解している。


 僕の現在の課題としては、施設で、いっぱいいっぱいで作業して余裕がない。あまり皆に良く思われていないようだ、今日は、3個の洗面台をやり残して帰ってきた、それは残ればできたけれど残ってやらないで帰ってきた、上司から見るとやり残しはよくなかったのかな? とも思う。施設で空回りしている。頑張って周りに認められるというのが理想だとすると、僕のは、調子が悪く時間がかかりすぎ、ノロノロになったり、忘れたり、問題もある。掃除ならうまくいくかと思ったが、精神状態と調子の悪さで悪く思われている気がする。自分の思うようにはできず、いつも追い立てられ、時間いっぱいかかってしまう。うまく回っていない気がする。これは内在化している、と言えると思う。

 何が問題か¿?¿

 自分はダメだと感じている所が、最大の問題点。前の作業所から引きずっている。掃除をしても、やはりダメだというの引きずり続ける。善戦しているけれど、うまくいかない感が大きい。

 そのことに関して、僕は、何々出来て当然という見方がある。親の見方を引きずっている。掃除はできて当然とか。

 そうではないと思う。僕という一人の53歳の男が取り組み、何とか掃除をしようと悪戦苦闘している。汗を流しながら、涎を垂らしながら。
 自分としては一生懸命やっても、調子の悪さが残るもので不完全燃焼に終わる。これは完全に前の作業所から引きずっている。最近、ノロノロしていることが多い。今日はよかったが、洗面台3つ残して終わった、時間オーバー。
 ちょっと悪いことがあると全部だめみたいに見るけれど、これは親の見方を引きずっているからで、80%くらいはよくやっていると言える。その辺は自信を持っていいと思う。20%良くない面も残る。そこだけ突かれると痛い。でも、良い面が8割あると言えるのは今日見つけた視点。いままで、2割の悪い点にフォーカスして見てきたから。

 この本自体は、入門書です。専門書を読む力がないし、体力もないので、簡単なのを選んだ。読みやすくて、わかりやすい。最初の本としてピッタリだと思う。皆さんは自分の力量を計りながら選ばれるといいでしょう。僕は、今本を読む感じがしないので、実力から言っても、簡単なのがあるなら簡単なのを選ぶ。<おわり>

雑記 : : : 12/26 Sat

 作業所からの帰り、調子が悪く、ぶん殴りできそうだったので、こちらも攻撃を向けた。特に一人の親父はこちらもぶん殴りを向けた。僕にしては珍しかった。

 施設の作業で、便器磨きをしていました、(下痢便がこびりついたりしていた)、その時手順を考えながらやるのですが、自分でこういう手順で磨こうとか考えてやる、今まではただやらなくてはだった、それが自分で考えを作業の現実に投影しそれを描きながら行えた、という自分としては画期的な進歩があった。カウンセラーの先生に話すと、いいねえ、みたいな反応だった。自分としても、ロボット人間として父母の元やってきていたので、それを脱する方向に大きく一歩進んだ感じだった。

 施設の作業は、上司がいなかったので、初めてゴミ集めを一人で行った。とても分量が大きく、大変だった、独り立ちできた。他も時間内で終わらせようと、休憩しないで行った(食事時間はのんびり食った、ラーメンが出て、なると、シナチク、ねぎ、チャーシュー2枚、こまつな、などトッピングもついてきて、豪華だったが冷凍めんは最初からノビたっぽくうまくなかった、スープは味噌ラーメンというのか白湯・ぱいたん、というのか面白い汁だったがメニューを確認しなかったのでわからなかった、とにかく豪勢な昼飯だった)、シソご飯もついてきて少量食った。洗面台磨きと便器磨きの共用部分を行った。フルで行い、時間もいっぱいまでかかった。すごく疲れた。

 ミズノのヨガも行い、無料です、先生のメニューが面白く楽しかった。まずある動作の伸びを行い、ここまでですと伸びの確認を行い、それからストレッチしていき、さらに伸びるようになったという確認を行った。先生の話では、ヨガは自分の身体を観察すること、というのを教わった。聞いたときはハハーンと思ったが、なかなかに難しいかもしれない、でも自分の身体との対話で、自分の身体がどこまで伸びるとか、変化したとか、観察確認は少しはできるようにも思われる。
 結構きついメニューで大変でもありおもしろくもあった。この先生のメニューは、先週くらいから面白いなあと感じている。ミズノのアカウントを作ったら、講座の紹介が送られると思うので、だれでも受講可能だと思われる。皆さんもぜひ、ご参加ください。5人くらいの先生が週替わりで指導してくれて、今回は男の先生だった、楽しいです、タダだし。僕は有料のヨガも受けている、他のところの先生の指導でマンツーマンです。

 年賀状を買ってきた。メルカリは、4品目の出品の発送を行った。ほとんど社会勉強だ、発送の仕方をメルカリで学んでいる、慣れてると面倒でもなくなってきた。儲けはないが。高くすると売れないので、儲けは自然と少ない料金になってしまう。物の流れを実体験している。僕の要らないものが、他の人の必要へと回っている感じ。商品の循環。中古だし、エコだ。捨てないで済む。梱包など、普段の生活では行わないので。

 そう言えば、施設の作業で、僕は面倒だとか逃げ出したいとか思って取り掛かるけれど、そういう心持はブレーキになるので、NHKプロフェッショナル 岳さん(ごみ収集)のように、僕はゴミは楽しみだ、として集めようとした。ゴミ集めは嫌いではないし、楽しみにした方が健康的だと思った。便器磨きは、楽しいな、でやったような気がする、ちょっと違ったか? まあ、そのような合言葉で行ってブレーキを踏まないよう、嫌々やることの無い様、楽しみながら取り掛かろうと試みた。成功したかどうかわからないが建設的だとは思う。どうせやるなら、負荷のかかる逃げ出したい状況でも、暇の楽な状態でやっているような心持ちで取り組んだ方が精神衛生上・積極的な意味でも、良さそうに思えた。

男のおままごと(メ〇〇リ出品)

精神科のお医者様に、施設を休むのと出るの、調子が悪い時はどちらがいいか聞いたら、休んだ方がいいという意見だった。無理しなくても挽回できるから休めと。

人間関係をぶち壊して出ても、辞めることになるし、首が潰れて調子が悪い時は休もうと思う。


メルカリの出品、3個目が売れた。儲けはないけれど売れた。高い値では売れないし、儲けがない値段でないと売れないみたいだ。
精神科のお医者様に診てもらい、家に着いてすぐ梱包を始めて、30分で終わらせて、宅配便に渡した。

メルカリは、初めての出品者向けに講習をやっていて、この間受けた。出品を重ねるごとに速くなる。慣れてきた。ただメルカリで売ったら、画面から宅配業者に連絡が行き、集荷してもらえるようだ。らくらくメルカリ便と言います。

今日は梱包に無心で取り組み、一服の清涼剤のように日常でイベントができてよかった。カウンセラーの先生なら客商売をやっているのでプライベートまでやらなくていいだろうけれど、僕は客商売をしたことがないから新鮮です。おままごとみたい。男のおままごと。

 僕は割と時間があるので余計なことをしている。社会勉強にもなる。儲けがないのに打ち込むというおもしろさもある。ご奉仕に近い。物の行く先を決めてやる。儲けがなくても、ものの行き場ができる。自分でダイレクトにやる。家で死んでいる商品が、ものが、動く。おもしろい。

汚い部屋とキチガイ

作業所で炎上した。調子が悪かった。皆敵みたいになった。

やっていることを投げ出すことはできなかった。投げ出したら他の人に皺寄せが行く。昼めし食わないでずっとやった。ノロノロだった。帰る前に飯を食った。

いつまでできるか全くの不透明になった。

家に帰って、汚い部屋で、キチガイ小屋だと思った。頭の中のおかしな奴の部屋。でも解決策はある。皆未処理だから汚い。処理してやるときれいになるのはわかった。テーブルの上だけ片づけた。段ボールの転がっているのを片付けた。テーブルの下を片付けた。これだけでも部屋らしくなった。

泣きたいが、泣くわけにもいかない。自分を信じてやれるのは自分だけだ。

御大層な理想より、部屋がきれいな方がいい、と汚い部屋を見て思った。部屋がきれいだという、基本ができていれば、他の御大層な理想はいらないのではないのか。僕は、キチガイだろうけれど、解決策を知っている。日常の小さいことを大事にして、部屋をきれいにして、整えることこそ一歩かもと思った。

KEYAKI REPUBLIC 2017/欅共和国2017 を見て、3曲とDISC2が面白かった。

欅共和国2017 disc2残り8分まで見た。

 感想は、大人は信じてくれない、エキセントリック、不協和音だけがdisc1で面白かった。ダークな振り付けに惹かれた。

 これらの振り付けを見て思うのは、攻撃、否定、暴力、葛藤がうまく表現されている、これらの曲がなかったら、こいつらただの少女じゃないのかと思っていた。かわいい顔と笑顔に見えなくなって。けれど、上の曲たちでは、男と同じ攻撃などが男以上に表現されていて、この欅少女たちのスペックが男と同じことを思い知らされた。攻撃などは、男の専売特許と思ってきたけれど、そうではなく、女も同じように持っている。ただ、欅はアイドルのチャンネルを使ってかわいらしく振舞うこともできるので、この世代の少女の表現をうまく使っているだけで、男が持っているものをこれらの少女も同じように持っている。表現としては男以上にダンスという表現で暴力を出せて見せることができてしまう。
 アイドルの笑顔と愛想で僕は目が曇っていた。彼女たちは、ずるさ、かしこさ、聡明さ、悪さ、拒否、否定も男と同じように持っている人間で、仕事として欅をやっているので営業活動として少女チャンネルを使ってファン活動を行っているだけだ。男より強力で強いかもしれない。

 彼女たちに少女やアイドルを見ていた僕が甘かった。したたかな彼女たちは、大人でもあるだろう。disc2メイキングを見て、世間の人たちの活動と同じように職業としてダンスの芸能活動をしているだけだ。ステージの高さとライトの明るさで目が曇った僕とは違い、ステージダンスを作り上げる日々の活動は日常で地味で労働だった。ダンスをステージに現出し舞台を作る欅はスタッフたち支える人たちと共に金儲けの労働の先兵で売り上げを上げるためにダンスを磨いてフライヤーに見合うステージダンスを作り上げた。金儲けの元で先兵である欅は男たちの利権のために若いダンスのできる女性を売って収益を上げる。莫大な。ビッグビジネスとして成功しているモデル。彼女たちは年を取れば入れ替わっていく。収益のシステムを男たちによって作り上げられている。夢とか華やかさ、格好いい、かわいい、はビジネスを成功させる大きな味付けとなっている。
 ステージダンスの完成度が上がって、夢を売って、皆が浮かれれば収益は大きくなる。ダンスは人間のエネルギーの何かだけれど、言葉にできない、エネルギーの塊だろうけれど、それが完成されて、このビジネスは収入を大きくあげられる。表現力というよくわからない、見えないダンスエネルギーが核となり、人々を惹きつけ収入も吸引される。彼女たちの若さは同世代との共感によって共有されている。同年代からの収益を主な収入とする。僕みたいな中古を買う爺は相手にしていない。スタッフはたくさん働いていたなあ。

 欅はビジネスとして大成功を収めた。彼女たちは柱であり、先兵であり、はなかい踊り子たちだった。彼女たちが欅を動かした。しかし大きなビジネスの歯車は回り続け、いろいろなものを飲み込み、排除し、お金が大きく動く。とてつもなく大きいだろう。スタッフのと男たちの幹部は冷静に観察し適正に動かしお金を転がし続ける。と、いい加減なことを書きました。おわり。


YOUTUBEに推薦された、僕が気に入った曲

::zatsukki::


 サカナクションの真似

 愛は証明され、愛は証明され、
 I'm a 小便垂れ、I'm a 小便垂れ


 ということで、仕事の、作業の、小便器磨きをしてきました。もちろん大きいのもです。糞がこびりついていたのも剥がしてこそぎ落として来ました。
 今日は調子が悪く、先輩を怒らせたりした。
 まあ、上司からトイレットペーパーの補充を仰せつかり、各階をくまなく補充して回ったのですが、トイレだと思ってノックして入ったのは僕たち清掃グループの休憩室・作業部屋でした。ドアを開けて一瞬みんなの顔があって固まりました。トイレだと思って開けました、というと、皆笑ってくれたようです。僕もおかしかった。作りが同じ階で構成され、その中で割り振られて部屋があるので、気をつけないと違うドアを開けるということになr。

 僕もいつまでこの施設にいられるか不透明になった。ちょっと腹立たしかった。一年はいようと思ったのに、いつ辞めるかわからないなんて。帰りの交通機関はケチをつけたそうなそぶりのやつらばかりで、反撃してやろうと思っていた。最後は、ドアを開けて、自分で挟まれて、糞ッとなり、後ろ蹴りをドアにブチかまして、ドアが回った。たまたま人がいなかったので、避けたのか? 、怪我をさせないで済んだ。ラッキーだった。

 家について欅が届いていて、2017,僕たちは付き合っているまでみた。この段階では、平手の独唱赤色スーツルックのパフォーマンスが見どころだった。尻が良かった。他のメンバーは今のところアイドルらしい曲と振り付けに満足している顔をしていたが、平手は個人として見どころがあった。

 そう、アイドルっぽい展開で見るところがなかった。いまのところ。お宅の声は全く気にならなかった。男だからあんなものだろうと思う。
 暗いダークな振り付けを見たいと思って購入したので、早く出てこないかなと思っている。今のところ見どころはない。

 仕事として彼女たちが振り付けをこなして、アイドル然とした売りで、これをやらせているオヤジたちはしこたま儲けたのだろう。こういう仕組みのビジネスを施設し収益を上げるという、成功例。カメラの切り替わりも全く気にならなかったけれど。金を払ってみているけれど、いまのところ、backはない状態です。暗い振り付け待っています。

ACT,
関係フレームを読んでいます。哲学の演繹法と似ている。そこがアイデアなのではないのか。ここでは本の説明はしません。な~んだ、でしょうが、僕の体力は今はありません。演繹法を教科書で散々読んだけれど、よくわかっていなかった。関係フレームで見えてきた。人間の特性を示している。人間の理解の仕組み。にゃんこという名前を提示して、写真のクマを指さすと、にゃんこがクマになる。クマの写真を示して、ニャーという鳴き声をすると示すと、クマの写真はニャーと鳴くという関係が成り立つ。ここから、にゃんこはニャーと鳴いて、それはクマのすることだとなる。
 クマの名前はにゃんこという逆の関係も成り立ち、ニャーという鳴き声はクマという逆の関係も成り立つ。
 こういう結びつきの結果、にゃんこというクマはニャーと鳴き、ニャーと鳴くクマはにゃんこという名前をしている。まるっきし演繹法みたい。

 これが出てきたところで、たぶん、僕は追いつめられると怒るという特性があるが、そこを変えよう、というになるのではないのか。追い詰められると笑うとか。笑顔を振りまくとかに変えようではないのかとか。まだ読んでいないのでよくわからないが。
 難しい本ではないけれど、理詰めできている。

頭を使った //ちょっと進んだ読書:::日常のこと

先週、カウンセリングとミズノヨガがダブって飲まなかったザバスを空けるため、DVDメンズヨガをやった。

 講師の男はイケメンで、Tシャツの下の乳首は立っていて、股間モッコリしていた。そして講師の男の声で進行するのだった。僕にとっては何の特典もないDVDだった。若い女にはいいかもしれないが、僕は面白くもなかった。
 
 ダウンドッグが出てくるのは悪い兆候だ。ヨガを習って、ダウンドッグが出るのは大抵キツイ。今回しつこく繰り返された。

 終わってみると苦しいけれど楽しかった。座位とシャバ―サナの前までやった。ここでこと切れてしまった。ザバスカロリーメイトで明日まで疲れないようにした。30分以内に摂取して。

 やはり女の講師のほうが楽しい。男はむさくるしくて見苦しいと相場が決まっている。

CT結果ですが、何ともないそうだ。定期的な検査もいらないと言われた。会社の検査でクレームがついたのは、あの日調子が悪かったので、からかわれたのかもしれない。医師はどこを見ていたのだ。金と時間が無駄だった。CTという道具を初めて体験できたけれど。


 ヨガの料金が5千円だから、毎回DVDを買うことができるレッスン料になる。高い。

 僕は、30日と2日の日も出勤がある。3時間でいいのだけれど、朝早く1時間前に出れば4時間できて、いつもと同じになる。上司に言って、8時からの出勤も可能だと伝えようと思う。その方がみんなの負担も減っていいとおもう。

・☆ 今日は頭を使った。僕が頭を使うのは珍しい。珍事だ。僕はバカで通っていて、舐められるのが通例になっている。
 午前中、ノロノロやってしまって、40分くらいあれが余裕で終わるのが1時間も経ってしまっていた。それで休憩を取らず、食事後すぐ動いて、頭を使って掃除した。頭を使うと疲れるし、ペースも早まりはかどる。早く終わることができた。
 僕は5回くらいしか頭を使ったことがない。バカを証明しているのだぞ、オッホン。ゴホゴホ、だから今日は特別だった。そうならないよう、いつでも頭を使って作業できるようにしたい。人並みになるように。
 早く終えられたので、雑用をやって終えた。




・こころがふわっと軽くなるACT、刎田文記、星和書店、2020

 第2章 言語行動 は、これから扱うための用語説明になっている。無味乾燥だけれど、(ここでは割愛)




 第3章 思考、考えることとは?
 第4章 言語行動のダークサイド

 から楽しくなり始める。タイトルからして楽しそうだ。
 
 自分の心の中の、批判的な言葉かけについて扱っている。(まだ少ししか読んでいないので中途半端になる)
 手芸なんていくらやったって、ADHDの注意欠陥なんだから失敗続きで無駄だよ、とか、どうにもならないんだから辞めてしまえ、とか。
 この心の中の 

・批判、批評、ダメ出し(このところの表現は本に出ている)

 こいつら僕を否定している自分の声だけれど、ブレーキばかり踏みやがって、否定な言葉が中心で、僕をダメだ、失敗だといっているのも、こいつらだ。こいつらの声に耳を貸してもブレーキでうなだれる結果しかないから、あまり付き合わないほうがいい奴らだ。しかし心の声なので、四六時中僕を悩ます。行動を鈍らす。だから、言語行動のダークサイドというタイトルにもなっているのかもしれん。

 施設の上司は、僕が入ったころは、食堂の電気ピアノを弾いていた。それがつたないのだった。楽譜を見ないで弾いていて、思い出しながら弾いているといった風情だった。僕は好ましく感じていた。下手なのを悪びれず、小さくも大きくもならず、ただひたすらポロンポロンと歌謡曲を弾いていた。
 僕だったら、下手だからダメだとか言って、自己批判的に卑下的にまだまだという冷たい目で見ると思う。もっとうまくならなければならないとか。上を見たり、自分を否定したりで忙しくやるだろう。上司はそれとはまったく関係のないとこで弾いていた。弾きたいから鳴らしていただけだった。

 僕も自分に対する目線が、もう少し寛容で、枠にはめるような見方ではなくて、自分を励ますような目線を持てていたら、180度景色は違うのではないのか。
 人間のやることなのだから、寛容の目を持っていたらそれだけで開かれるのではないのか。僕はどうも、自分で自分に枠を嵌めて、否定しブレーキを踏んでいるだけに思える。そんなものがなかったら、僕はもっと違う地平に行けるのではないのか。もちろんこの自己批判の声は、父母がもとになっていると思う。父母の冷たい言葉視線、扱いが僕を苦しめると思う。父母が悪いのではなく、そういう父母の目線をもって自己批判を繰り返す、もはや僕の心の中の父母とどう付き合うかが課題だ。前にも書いたような話だけれど。

4章まで読み終わった。第5章 関係フレーム




 CTをクリニックで受けた。初めてだった。会社の健康診断で肺に影があると言われ、受けることになった。どうという事のない検査だった。レントゲンでもないし、楽でよかった。明日結果が出る。

 ・どんどん話すための瞬間英作文トレーニング、森沢洋介、ベレ出版

この本、アマゾンで最初の部分が読めるのだけれど、勉強法がものすごくよさそうだ。ちょっと読んだけれど、実践できれば英語の能力はよくなるだろうと思う。

 メルカリ出品で、ゆうパケットポストの箱を買わなければならないのを、それがない店舗で伝票を出力し、そこで出さざるを得なかった。むき出しで送ることになってしまった。ビニール袋には店員さんは入れてくれたけれど。ちょっと騒動になり、店員さんにも迷惑をかけたし、失敗をやらかした。壊れないで送られればいいけれど。メモリーを送った。

 男子小便器に顔を突っ込んで洗っています。そうしないと、水が流れるので、センサーを止めるために顔を突っ込んで洗っている。いかにも洗っているという感じでgoodなのだった。だいぶ慣れてきた。でも、調子の変動があって、周りに迷惑もかけたりしている。いつまでできるか不透明だけれど、首は上がってきている。それとの追いかけっこだ。首が上がるのと、調子が悪くなるのと。長続きしてほしい願望はあるが。

 欅共和国2017をメルカリで買ってしまった。19とか、最後のやつとか買おうと思ったけれど、17が良いというアマゾンレビューを読んで、とりあえず期待せずダメもとで買った。これらのビデオにはいろいろとよくない点もあるらしいから期待していない。命の輝きが見れるかなという期待だけ。欅には最後のほうの演舞、紅白で見た、に惹かれて興味を持った。あれだけ踊れて、身体表現ができて、群舞で見せていいなあと思った。仲間のグループや櫻坂にはあまり興味を持っていない。僕が女で若かったら、ダンスができたら、欅に入りたいと願うだろう。
 僕にとってはダークな踊りの表現がもっと見たかった。解散してしまったが。振付師の方の検索とかして、名前を特定したりしたけれど、もう忘れた、その力も大きいと思った。演技力と振り付けの良さ。後は身体表現の良さ。ダークな踊りをもっともっと見せてほしかった。あのようなグループがもっと出てこないものかねえ。僕が知らないだけで、やっている人はいるのかもしれないが。

zoomのヨガを受けました。最近のいつもは、先生を遠くに感じていましたが、今日は割と存在しているというのを感じていました。それだけ楽しかったということです。
 先生には、マインドフルネスの軽めのメニューを作って頂きました。自分の身体がどういう状態で、何を感じているかを意識しながら進められました。

 こう書くと今日は良い日だったように聞こえますが、施設では僕は便器磨きとかをしていますが、僕がトイレにこもって洗っていると、外で、誰かが悪い気を僕に向けているのをすごく感じた。女子便器も磨いているので、そういう人のそういう気が来るのは最初から分かっていたことだったが、ずっと否定された気だけ向けられて、こちらの様子をうかがわれると辟易して心がねじ曲がりそうになる。

 今日は否定の気に負けていたが、父母のペニス切断とか、僕のペニスのイメージ父母に向ける、父母に俺は男だとか、そういう何かを探して、外に向けて行かないと、負け放しの潰されるということになる。この戦いはシビアで、今のところ負けていて、いい成績を上げていない。もっといい方法があるのかもしれない。

 ニトリの斜めカットコロコロミニ?はすごくいい。コロコロはテープの管理が面倒だが、これは全く楽にできる。
 エバラのキムチ鍋用のポーション?を入れて、鍋を作った。白菜、鶏肉モモ、長ネギでうまかった。うどんで作った時はまずいと思ったが、鍋はよかった。

 インフルエンザを受けた。今年は諦めていたけれど、父の難病上限管理表を持って行って、当日の接種が可能と聞いて注射してもらった。ラッキーだった。父のおかげだった。

 トミカブルーインパルス ミニカーを買った。組み立て机の上に置いている。上を向くように刺してディスプレーしている。空に向かって飛んでいくように。かっこういい。こんなの操縦できたらいいなあと憧れる。
 

続きで、本の内容に触れないで申し訳ないが、便器磨きが好きだと心で唱えると、パパっと手が動くし、手際が良くなる気がする。やりたくないだと、手が鈍ると思う。

 モップ掛けもモップが好きだとか、掃き掃除も得意だよとやるとストライドが伸びて、パパっとやれる気がする。

 これらを思うと、好きだとか、得意だとか、心で唱えると、ブレーキを踏みがちな僕の心にとってプラスに作用するように思う。どうせやるなら、マイナスのブレーキより、プラスのアクセルのほうが自分にとっても職場の人にとっても好いと思う。

 僕の人生はブレーキだったので、アクセルを踏むプラスの言葉で取り組む作戦は、どんなことでもどんな場面種類でも有効ではないかと思われる。これは推進するといろいろ積極的に働きよいように思える。

昨日は調子が悪かった。朝から感じていた。施設でも散々だった。タオル畳をやったけれど、経験がなかったのでとても遅かった。今日、朝、練習してみた。速くはならなかったけれどポイントは見えつつある。とてもタオル畳の早くうまい人がいる。

今日は昨日の調子と比べると格段に良かった。どうもここの作業所でも、全力でやらないと認められないらしい。頑張ってやったら周りも反応していた。取り組んでいるものは、今やっているものは、全力でやるものらしい。これだと疲れるな。
 本で学んだ、便器磨きは楽しいな、床磨きは・モップは楽しいなでやった。本音はやりたくない。でもそれだと仕事にならないので、嘘というわけではないが、取り組まなければならないのだから、楽しいなと肯定的な言葉でいうことは間違いでもなさそうだ。


 昨日ノロノロだったので、集団の都合上頑張らなければならないというのはあった。
 集団の掟・おきて というのはあるぞ。いつまでいられるかわからないけれど、毎日頑張る必要があるというのが出てきた。頑張りたくもないが、集団の必要上やる。また、掃除の得意な奴らが集まってきているので負けていられないというのはある。
 帰りの交通機関は、何だか不利で糞っ垂れと踏ん張った。

ACTとウェルビーイングを読みながらの感想::: ::: :::

・こころがふわっと軽くなるACT、刎田文記、星和書店、2020

 自分に対して冷たい言葉をかけているのではなく、慈しめる・いつくしめる 言葉をかければ、余裕も生まれると。
 今日読んだところは、梅干しと聞くと唾液が出るのをレスポンデント行動と呼び、音声や文字で梅干しと聞くと口に唾液という条件付けがなされる。しかし薄めることもできる。言葉だけ梅干を聞き続けると、唾液の量が減っていく。
 子供がぬいぐるみのウサギを見て、かわいいねとお母さんにいい、お母さんがフワフワしているねと正のフィードバックを返すと、子供はお母さんに話しかけようと思うようになる。しかし、お母さんが献立のことを考えていて子供に反応しなかったら、そういうことが続くと、お母さんに話しかけようと思わなくなるという、オペラント条件付け、というのを習った。

 これらを提示されるとこの本はややこしいというのがわかるけれど、この本は種まきをして、成長させ、後で僕たちを別のところに連れて行ってくれると期待もできる。だから面倒くさいのにも付き合おうと思う。言葉と行動の関係性をいじくるのだと想像できるから。p24まで読んだ。


・生き生き働く、活き活き生きる 8つのステップ ウェルビーイング手法のワーク&トレーニング、須賀英道 齋藤朋恵、星和書店

 今日読んだところは、相手と共通の話題を見つけること、天気のこととか。
 会話はまず、肯定‐感謝‐否定‐次へとつなぐ言葉 として受けるといいらしい。
 食べに行かない? と誘われて、お誘いいただきありがとうございます。でも、今日は用事があっていけません。また今度誘ってください。今度はぜひ行きたいです、というようにいうらしい。

 この例では、上司が僕に、上司は他の人に話しかけながら僕のことを話題にした、紺の作業ズボンを穿いてウェストポーチをつけて清掃のやる気満々だね、みたいなことを他の人に言っていた。僕は、そうじゃないんです、みたいに反応した。自分で言っていてもよくないなと思った。
ふられて、僕やる気満々です、でもこの格好そんなに似あいますか? 格好から入っているので仕事どんどんくださいね。みたいに言ったらパーフェクトだったかも。
 なぜそういえなく否定の言葉で返したかというと、相手の言葉で自分が塗りこめられるように感じたから。たぶん親の影響からだと思う。昨日習った、自分にはたくさんのパーツがあり、いろいろなパーツを持っている、という考え方。例えば、仕事への熱意とか、仕事が多くて面倒だなとか、いろいろな部分でできていて、それらを持っているという見方をしてこなかったせいだと思う。持っているという見方なら相手の言葉に塗られるという感じ方をしなくていい。
 褒められたら、そういう部分もあるし、怠けたい部分もあるといろいろな部分を持っていると自分の許容量がアップすると思う。塗られるという感じ方、相手の言葉に規定されるという感じ方をしなくてよいと思う。
あと、否定の言葉を肯定の言葉に変えると、気分が上がってくる、というワーク。
疲れた、楽しいぞ。面倒だ、簡単だ。やりたくない、どんどん仕事をくれ。など、逆の言葉を使う作戦がいいらしい。嘘をつくのではなく、楽しく仕事をするための方便だと思う。


 昨日習ったことで、モップ作業は楽しいとか、トイレの便器磨きは水を使うので楽しいとか、その、塗りこめられるのではなく、僕の基本トーンの仕事は大変だキツイという一色の感じ方ではなく、楽しいという言葉で感じると、視野が広くなり、他の人が見てもいいなと思えると思う。作業の好きな部分をもっと感じて楽しめるようになると思う。僕は面白くない一辺倒に感じようとしたりするから。仕事の楽しい面に目を向け、そこをもっと感じて表現できたらいいと思う。広がると思う。あと今日習った、否定の言葉を肯定に言いかえて使うのも有効だし、実践していきたい。そうすると、積極的になり、憂鬱間に浸らなくていいし、嫌々やっている感が減るし、楽しめるようになると思う。そういう部分、楽しめる部分も持っているので。