元旦: Happy New Year.

今日から始まるナラティブ・セラピー

これをダウンロードで31%くらいまで読んだ。

 僕の地下鉄や歩いていての周りの扱い方は、常に上から目線、自分の方が優れていて上位で殴ってやるからなという立場だ。
 これはやはり父母との関係性を僕が引きずっていて周りがそれに乗じている、という図式ではないのかと思う。

 ナラティブの本を読んでいるけれど、硬直した上下関係では治療は進まず、水平の関係で治療、新たな見方動きは出てくるみたいだ。
 カウンセリングを受けてきたけれど、最近硬直して、展開がない、手詰まりという状況での先生のナラティブな自分振り返りの提案だった。


 ボクシング、田中は弱かったとは感じない、ただ防御が下手だった。ガードが下がっている時間が長すぎた。もっと防御を磨かないと負けるだけだと感じた。だから田中が弱いとは全然思えなかった。チャンピオンは守りがうまかった、だから打たれることが少なかった。それだけのことしか差はないと思えたが、ど素人の直感での感想です。
 ラグビースコットランド戦の最後のところを覗いた。ものすごかった。日本代表の必死の形相にうたれた。ラグビーが盛り上がったわけが分かった。

 紅白を覗いてMVみたいで、観客がなくて、タダ中継をつなぐだけのつまらないものと感じた。視聴率は低かっただろうと思った。見る気はしなかった。

 エレファントカシマシ冬の花、を2020/12月に知ったけれど、とても良い曲だ。もっと早く知りたかった。

 作業所での周りの僕に対する見方も、調子が悪い日も出て行って、変わったと思う。
 僕自身では、自分のやり方を現実化する、便器磨きの手順を自分裁量で工夫する、というのが新しかった。ほうき使いとか。
 こうやらなければではなく、自分の考えを盛り込んで現実化する、というのは新しかった。

 交通機関での硬直した上から目線、作業所でも硬直化しつつある。これに対して、自分の人生を僕目線でナラティブに語るのは、それを脱する方法として先生が考えたのかも知れなかった。

 僕としては作業所に毎日通って、施設に通って、きちんとやろうと出かける。しかしノロノロになったり調子が悪かったり、思うようにいかない。僕自身がダメな奴として自分を見て、周りもそう見るという見方が蔓延している。前の作業所ではそれが顕著だった。

 ちょっとの差で僕は作業所でダメな奴を演じている。不調ノロノロ君が登場する日が多いからだ。こいつがでてくると、うまくいかなくて、動きも鈍くてノロノロになる。出てきてほしくないけれど、こいつは必ず登場する。確かにここらで自分の人生を振り返り、親子関係を見直し、自分語りする有効性はあるかもしれない。
 父母は僕に押し付けてきた。自分たちの見方ややり方を。それしか知らなかったというのはある。でも、迷惑なんだ。僕にとって益にならない硬直した見方で見て、上から目線で決めつけ、行動を縛り付けるやり方。おかげで僕は自分で感じたり見たり、決める機会を失ってきたよ。僕は自分の考え方や見方、行動、方法をこの現実界でどんどん実行に移し、場所を声高に叫んで動かす力があるはずだ。それを否定され見る視力を奪ってきた父母が憎いよ。僕にはこの世界での自分裁量がたくさんあるはずだ。そこが実行されていけばもうちょっとはhappyになれるとおもう。
 何をやっても工夫や方法を自分裁量で盛り込めば楽しくなるのではないのか。

 うま煮を作ったよ。レンコン、人参、サトイモ、鶏肉、ゴボウ、レンコン、たけのこ、コンニャク、どんこ、なんかを入れた。味付けが最初、醬油と酒だけだったのでたんぱくだったけれど、昆布も、どんこの戻し汁も入れてみた。あと、鰹節も入れてみようと思う。少量なのだけれど、品数が多いので大量になった。しばらく食べていく。味は薄味だった。もうちょっと濃くてもいいけれど素材の味が感じられて、これはこれでいいと思う。