むしくんとぼくの じかん

虫くん

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今朝交通機関に乗り込んで、左腕に虫がついているのに気がついた。かわいい奴だった。


好きさせておいた。脇の下のほうに来ると、手首に戻した。一緒に這わせて遊んだ。君と僕の関係。




 もぞもぞしていたね。頭をのけぞらしたりしながら、君は一生懸命這っていた。僕は君を交通機関から公園へ運ぼうと考えていた。でも、雑踏で落っことしてしまった。殺したんだ。本当は、薬のケースに入れればよかった。



 君と僕は一生懸命、時間を過ごしたね。ありがとう。君が来てくれてうれしかった。名前も知らないけれど、君はかわいい奴で、初めてみたんだ。どうもありがとう。忘れないよ、きみとぼく、あの時間。


※横幅2mm、長さ2cmくらい
(いちおう、実話。)

7/23(Sunも)(2)・ 本:子供の「脳」は肌にある

7/23 Sun こちらで活動しました。

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・ 土曜の織り教室は、先生や周りのみんなに愛されているから続けさせてもらっているのだなと、ちょっと思えた。

 周りの人のほうに、身体を開こうとしていた。本:子供の「脳」は肌にある(1)の共感という形になりたいと願望を持ったから。



7/22 Sat

・Ari Gibson / animation(らしい)







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こちらで活動しました。

雑記

30:31 Zen-Gun おすすめ、というか今日の自分の気分


 今日は久しぶりに交通機関で読書できた。12週ぶりくらい。まともな日だった。

 作業所でも、不完全燃焼で、オブラートの中をもがくのではなく、まともに作業に向き合えた。周りの人の作業に賭ける気持ち態度が感じられ、僕自身も男としてぶつかって行こうと思えた。昨日からそうしたいとは思っていた。でも最近のいつもは、不完全燃焼だった。今日はぶつかれた。

 非常にありがたい日だった。

 部屋で裂き織りの布を切っていた。なかなか進まない。一日分の量は切ったと思うけれど、どうか。



・ GRAPHIC 裂織 SAKIORI, マリア書房、2012
 
 に出てきた


・「現代の裂織敷物」


という教科書的な非常に丁寧そうな本をヤフオクで買った。1800+送料という格安だった。まだ届いていない。


敷物というタイトルだけれど、向こう・海外は裂き織りは敷物が多かったそうで、日陰的な存在だったらしい。それを外国の方の著者が光を当てたという内容らしい。と理解した。翻訳本です。

この本自体がほとんど出回っていない。限られた数の本です。また、現在日の目を見ていないのかもしれないけれど、かなり重要なのではないかと想像している。タイミングが合ってヤフオクで買うことができました。



・ 僕は何かを期待しているけれど、期待が応えられなくても、求めているけれど、近づけたらいいなと思う。

森田療法のように、形だけでも作って、形が作られればそれでよし、でもいいと思う。届く、届かないはあまり関係ないような気がする。形を整えるというのは、とても大事だと思う。

作業所に通う、ボランティアに出かける、その内容が貧弱に終わっても、形を先に作って、形ができた時点で、目的を達したというのは、ものすごく明るく健全な気がする。部屋の掃除をするという形とか。掃除が下手でも、散らかったままでも、とりあえずしたという形は、目的を達している。そのスタンスが気に入っている。



・ 僕は、女性、若い女性が気になるけれど、若い時に付きあえなかった女の子に対する、自分自身の亡霊が跋扈(ばっこ)している気がする。亡霊に憑(と)りつかれたような。ぼくの怨念は鎮(しず)められていない。

 断言しなければいけないけれど、終わったことでもある。ぼくの若い時は断念という形で終わっている。それを頭で失恋として、振られたとして処理しようとした。それは正しい。でも、救われない気持ちが残る。アイズ・ワイド・シャットトム・クルーズに恋心を打ち明ける女性。あの見苦しい女性は僕自身でもある。あの気持ちが僕の中で生きている。どうすればいいのだ。カウンセリングで取り上げてもらって、少しは解消できないものか。

ボランティア 動物愛護団体 7/18 Wed



 ボランティアに出かけた。猫の砂の掃除をして、新しく入れた砂の上に糞・ふんをした。早くやっておけよと思ったけれど、動物なので自分の都合で排泄していた。

 掃除中、子猫が背中の上に乗ったりした。やつらはやりたい放題を目指している。

 
 子猫の体を触ったけれど、骨ばっていて、華奢で、肉がなく貧弱に感じた。瞬間に、指先に攻撃をにじませてしまった。たぶん嫌がったろうと思うけれど一瞬だったし子猫でないのでよくわからない。

 プレイルームの掃除をして、店の掃除機かけとモップ拭き、窓ふきをした。結構仕事という感触だった。まだ作業自体は新鮮だ。月に2度だし。



 ケアの部屋で、成猫に愛しているよと撫でていたら、最初二匹が寄っていたのだけれど、見ていた灰色の毛の猫も寄ってきて、撫でてくれときた。
 この猫たちは人間に撫でられることに慣れているし、僕は好きだよと撫でると、寄ってくる。もっとなでろと懇願するというか、背中を伸ばし格好よく歩いたりして、尊厳をにじませ、撫でてくれと要求しているかのようだった。
 受け入れてもらったし、僕も好きだよと撫でてあげた。ちょっとの時間だったけれど、交流の時間を持てて良かった。



 あと、他のボランティアの人が呼びかけた倉庫の部屋の片づけをした。2週前は調子が悪かったけれど、今日はまあまあだったので、他の人に話しかけたりして、連絡をつけながら作業できた部分もあった。あまり戦力では無なかったけれど、少しは協力できた。他の人と作業をしていく、コミュニケーションを取りながらの作業は経験不足で下手くそだ。


 今日も3時間もボランティアだった。できれば1時間半くらいが望みだ。倉庫作業が長かった。終わってみると、片付いて、スペースができて気持ちが良かった。定期的にやらないといけないかもしれない。

反省の訂正 /屈折(若い時に振られている)

7/18 Tue

 まず、女性に振られた件。振られたことやモテないことにこだわるより、何とか女性関係を作れないか、そちらを心配するというか、考えたほうがいい。

 そして、今日は作業所でずっと、僕はレベルが低いと反芻(はんすう)を続けた件。実際に、新しく織りを始めた人が、かなりうまかった。その人は絵もできるし、いろいろな能力がある人。でも、僕よりうまいのじゃないかと思えた。
 他にも織りをやっている人が何人かいる。そして、洋裁のミシン部門の人たちもいる。

 僕は出遅れていると感じた。実際に、僕はレベルが低いと思う。なにをやらせても。それは正しい。でも反芻は正しくない。

 
 劣っているなら、良くなるように考え実行しようとすることだ。どうすれば裂き織りをうまくなるか考えること。そういう使い方をした方がいい。反芻はバカだし無駄だし、害がある。反芻する暇があったら、前を向いて、どうやって改善できるか実践した方がいい。




7/17 Mon


 作業所の若い女性に絡んでいた。態度ではなく(実際はやはり態度だった)、気持ちの上で執着し相手に絡んでいた。相手はすごく気持ち悪く、腹立たしく、鬱陶しく、糞っ垂れと思っていたと思う。これは最終的にきょう決着がついたけれど、相手は本心をおくびにも出さず処理してくれた。ものすごく大目に見てもらった。若い女性が爺に付きまとわれ腹立たしかったと思う。パソコンのクリックの音とかで絡んでいた。


 作業所では、パソコン作業・棚卸のデータ入力もやらせてもらっている。

 ずっと女性に絡んでいて、変だなと思った。なぜ若い女性に絡むか。前に書いたのと同じで、自分の青年時代に女性と付き合えなかったからだったのではないかと思った。決着は、僕は女性に振られたという処理で終わった。


 まず、この間の高校時代の、15歳の時の好きだった女の子にバスの中から手を振ってもらって、僕は応えられなかった話。僕は手を振りたかったけれど、この時病気の前駆状態のため女の子に意識を向けて付きあったり、話したり、コミュニケーションを取ることは不能だった。
 僕はこの女の子のことがものすごく好きだったので、ショックも大きかった。自分で自分の首を絞めた。


 この話が今の作業所の若い女性に被(かぶ)ってくる。僕はこの時の好きだった女の子の処理が未処理だと前回から気づいていた。これをまた作業中振り返り、これは、「女の子に振られた」と処理しなければならない出来事だと改めて気づいた。ただ、無念だけではだめで、自分の首を自分で締めて付き合えなかった、応えられなかったということは、「振られた」と処理しなければならない問題だと気づいた。

 この「振られた」と処理したことで、作業所の若い女性に向かう気持ちが潰(つい)えた。僕は、15歳の高校時代に女の子に振られ挫折し、屈折し、終わっていると。




 となると、中学の時の、好きな女の子に友達が告げに行き、友達でいましょうと言われたのも、勝手にやられた話だったけれど、「振られた」で処理する件だし、


 大学の(地方の10流大学)女の子、僕と同じ病気を持っていたけれど、この子は2年で完治。ぼくはずっと背負ってきているのでだいぶ引き離された、うらやましい子だった。この女の子に、良くなって離れて行ったので、文句の電話をしたら、もうかけて来ないでと言われた。それ以来終わった。この件も「振られた」で処理できる。


 僕は好きな女の子と付き合うことが一度もなく50歳まで来たわけで、かなり屈折し、寂しい人生を送り、負け続けてきた。僕は敗者であり、負け犬と言える。若いときに、女の子に振られ、一度も思いを叶えられず、終わってしまった。そう言える。ここをしっかりと踏まないから、若い女性に絡んだ。迷惑をかけた。爺の老醜をさらした。非常に醜く、見苦しかった。

カウンセリングEMDR 7/12 Wed

www.seiwa-pb.co.jp


7/12(Wed)
 カウンセリングEMDR


 今日はカウンセリングの先生の治療を受けていた時、先生のことを心理療法家だなと感じた。
相手の存在をEMDR
(先生が手を左右に動かし振り、それを僕が眼で追って治療になる:心の未整理がEMDRで整理されていくそう。眼で手を追って、どう感じたか、何を思っているか自由連想法でターゲットにしながら進めて行く。ぼくの説明下手だな。)
を受けながら感じていた。

 こういう関係を持ったのは初めてだった。今までは、お姉さんという感じで受けていた。相手の存在感も希薄だった。


 ペニス、男、父、抑圧のようなキーワードから、治療は始まり、じつはどうだったか忘れた、僕の家族は生命感が希薄で、白い病院の閉鎖病棟にいる人達みたいだと話した。

昔、掲示板時代(掲示板に投稿していた)に「シロい心地」というタイトルで書いた内容があった。その白いイメージがうちの家族の動きのなさ、消極性、停滞感を表している。


 そしてサンショウウオが風呂の排水溝から出て来るイメージとか、前の時の蜘蛛のでかいのが部屋にいるイメージとか、蛇のようなのが蠢(うごめ)くイメージは、生命感があるとEMDRを受けながら思いました。

僕は地下の不穏な動きだと、抑え込んでいる抑圧を思っていたけれど、困った存在というイメージではなく、その逆の、白い動きのない静的な家族・僕も含むに対する反対の動き、動的な存在がサンショウウオたちだなとなりました。だからサンショウウオや蜘蛛は嫌うのではなく、身近で助けになり、味方であり、歓迎されるものかもしれないと。



 この静的と動的の対比のおもしろさと、サンショウウオたちに代表される動きのある存在がキーになるかもしれないと感じた。でも、この壁は重い気がする。部屋に蠢いているイメージのこれらはたまにしか出て来ない。そして、僕はこれらを抑え込んでいる。味方であるけれど、僕の意識の上では敵というか、隠そう、出て来ないでいてもらいたいと思っている。この辺は今日のカウンセリングで塗り直しは少しできた。

11 Tue /10(りっしんべん)生 への願望/9/8/愛くれ甘僕・逆回転

11 Tue

 今日も僕がばら撒いた女の子が好きだとか、フェイントでドアを閉めてしまったことに対する、否定交流は作業所であった。これは最近続いていること。ゲームはやらないことにしているので付き合わない。

 他の人を好きになろうというのを再開した。この間もそうだったけれど、他の人を好きになろうとすることは、その人の存在に関わるので、マインドフルネスの存在モードでの活動になっていると思う。かなりポジティブで前向きな活動だ。これをすると、周りがどうとかあまり関係なくなる。自分がどうしたいかに専念することになる。そして前にも書いたけれど、他の人の存在を観察したりして、関わりが大きくなる。

 これができる日なら、かなり前向きに生活していると思う。昨日は一昨日はそんな余裕はなかった。今日は気分もよかったし、楽に過ごせる日になった。ありがたいことになっています。



・この間、ストールを完成させた。その後、裂き織りのバッグ用に裂き織りをしている。古布で、他で使わないような布を割いたもの。それをバッグのアクセント・正面に持ってきてバッグに他の人が仕立てる。


 他の人は、織ったりしているけれど、人気のない裂き織りを僕が担当している。織りではミスが多いし、あまり戦力と思われていないかもしれない。できることをして、できることで満足しようと思っている。何でもやれば道はできるし、その中での楽しみはある。できる裂き織りをうまくなろうとしている。織り教室でも次回やることになっている。

 織り教室の先生にもらった着物をほどいていて、裂き織りの糸を作ろうとしている。白い着物で、松が描かれている。ちょっと黄ばんだりしている。裂き織りは下手なので、これで練習させて頂こうと思っています。


・ 明日はカウンセリング。1週あいだを置いてのカウンセリング。いまのところ進展がないので、不発の可能性が高いと踏んでいる。

 きのうはyoutubeローリングストーンズを聞いた。懐かしく、すごくて、歌ったみたいと思った。







10 Mon
 シャワーから出て洗面台で白昼夢を見た。風呂の排水溝からサンショウウオのようなのが出て来るイメージ。抑圧の黒いものだと思う。ただそれだけ。ちょっと生々しく、気持ち悪くもあった。




10 Mon

 今日は首の潰れの下の部分で、明日は伸びると思う。けれど今日は皆の受けが悪かった。反感があったし、交通機関では敵視された。



・ 全く進展がなく、同じことを書くしかない。ぼくのペニスがキーワードになっていて、父のペニスが関係あるのか、僕自身のペニスが問題なのかハッキリしない。けれど、ペニスから逃げているのは確かで、男とくくれる内容らしいことは、皆の反応から察しが付く。

 だから、僕自身の傷なのか、引っ込んでいるだけなのかよくわからない。どうやって取り組むことが前進になるのか見当がつかない。ペニスイメージを見つめることはする。けれど、何が問題なのか皆目わからない。自分の敵がどこにいるのかわからず対処路療法で急場をしのぐのが続いている。

 そもそも、ペニスから逃げるって、よほどのことがないと起こらないと思う。場面はあったはずだ、逃げるときの。父は関係あるのか、母なのか。傷と引っ込みなのか? この辺カウンセリングでやってもらわないと、首が回らない。とにかく、僕のペニスは死んでいる。




・ どうせだからぶちあげるけれど、マスターションベンをしても、体液が出ない日がある。首が潰れている日。非常に悲しい話ではあるが、正直なところそうなる。これをもってしても、僕のペニスは何か重要な隠し事がある。何らかの問題と向き合うのを避けているのは確かだと思う。20年くらいずっとそうだった。知りたくない情報提供の時間でした。


 父が怖いのか、僕のペニスが怖いのか。自分のペニスが怖いわけがない。何らかの事件か、隠す理由があるはずだ。母に人のせいにしないでと言われ、何かを止めたけれど、これは事後で、その前部分があったのかもしれない。それが父と関係あるか?

 それとも、父も性を隠すから、女性が好きだとか、助平だとか、そういうのを隠そうとするから、それから、テレビを見る視線が覗き込むように首を潰してみる。僕と全く同じ。だから、父が性を抑圧していたから、それを踏襲したか。それとも、強要されたか。





・ 別に深刻ぶって書いているわけではなく、ダラダラ打ち込んでいるだけ。男であるのを隠すのは、男の部分に羞恥心を持っているからではないのか。女が好きだ。寝たい。助平ごころ・心で頭のなかがいっぱいだ。とか。そういうストレートな部分と向き合うのを、父子は避けている。悲しいなあ。なぜ、素直になれないのだ。

 女を引っかけたい、やりまくりたい、後ろから前からお口で、そういう醜いかもしれない願望を率直に言ってもいいのではないのか。女と性的か関係を持ちたいと、顔を合わせて、正面から言えるストレートさを持っていない、寂しさ。性的な女性を上位に置きたい願望とか。格好の悪い部分は僕には山ほどある。そういうのをストレートに認めるべきではないのか。






・ 作業所の50女性は、人間的にはいいが、女性としては面白くない。僕には、助平な気持ちがあり、性的な関係を持ちたい野望がある。それを叶えられないなら、女性と付き合う願望が無くなってしまう。非常にボロッチイが、ここが非常にポイントが高い。ここをクリアしなければ、女性と相手を呼べない。欲しい女性はクリアする女性で、そういう関係を望んでいる醜い自分がいる。

 若い女性はそれらを満たしてくれる。しかし、爺の僕に相手から魅力があると見られる可能性はゼロに近いと思う。僕は醜い女性への願望と向き合い、肯定し、自分の中に確かに定着させる必要はあるだろう。そこをクリアしていない。

 自分の中の女性への願望を認めることは、一歩進んでいると言えそう。それって、本当に醜いのか? 正々堂々と認めることは格好いいことではないのか。嘯(うそぶ)いたら地に落ちるが、認めることは格好いいと言えるかもしれない。


 ダラダラ書きました。終わり。





9 Sun

9 Sun

 作業所で午前中は他の人を愛そうで、なんとかうまくいった。午後はそうはいかなかった。自分の避(よ)けているものと正面切って堂々と向き合わないと、どうにもならない気がする。逃げているものはあると踏んでいる。でも、時期でもない。



8 Sat

追記:

 そういえば今朝夢を見た。強制的にリンゴを育てる勉強をすることになる。監禁されての話。ゲロを吐いたのを拭かされたり、ポコチンを握られたり、暴力的な奴らが先生になっていた。感じの悪い夢だったが、目覚めての感じとしてはそんなに悪くなかった。
<終わり>




 織り教室に出かけた。僕にとって愛せない、好きでないなあという女性の方がいる。でもそこでは、その女性がキーパーソンというか大事な人だとも思っている。僕は今までその人に冷たい気が出ていた。

 今日は、周りの人を愛そうというスタンスでやっていた。だからその人も愛そうと見ていた。愛そうとすると、周りを観察することにもつながる。その方は、整経が早かった。デザインも本を見て自分で決定していた。織りは全部自力でできる能力がある人。

 周りの人を愛そうとすることは、自分をオープンにし、開かれる部分があるようにも感じた。昨日今日で進歩するわけもないが、方向は変えたい。



・ 自分の織りは、終わりに近づきつつある。あじろ織りの濃紺・焦げ茶2色ウール細糸の幅細マフラーを、織っています。僕のやっているのは、織るという行為なのですね(何をお前は言っているのだと思うかもしれませんが、僕は基本的にボケています。自分が何をやっているかわかっていなくてもやったりします)。

 交通機関でも、周りの人を愛そうというスタンスで乗っていた。少し周りの人を観察したりした。余裕につながる可能性はある。





7 Fri 追記

・ユマニチュード入門、本田美和子/イヴ・ジネスト/ロゼット・マレスコッティ、医学書院、2014

 という本も持っていたなあ。ぜんぶ読んでいなかった。父に使えそう。介護で、接する技術の本だと思う。内容忘れた。僕の頭はNO・脳・ノー天気。






 今日は作業所で、ボスが親族の病気をいたわることばを発し、いつも言ってらっしゃることだが、僕は反発を覚えた。というか、素直にうなずけず、それをボスは見抜いていたと思う。

 
 僕の家族を見ると、父、母ともに、家族の愛を受けていないと思われる。僕はその父母の子どもなので家族の愛はない。

 家族全員が、愛情というのを受けたことがない、愛に飢えた、甘えた人間の集まりだ。

 この水曜日にボランティアに出かけ、愛のない僕だけれど、猫に大事だよ、好きだよと気持ちを込めて撫でると猫は応えて甘えてなついてくれた。これは予想外のことだった。猫とそういう関係をもてるなどと想像していなかった。

 ここで起きたことは、愛をもらったことがなくても、愛をもらえなくても、愛しているよ、大事だよと猫に接すると、相手は応えてくれた。人間だとことはそう単純ではないだろうが、愛をもらおうではなく、愛を与えることで逆にいただくこともあるかもしれない。

 僕は愛のない父母に不満を持っているが、これは僕が甘えているからで、考え方が不健康であり、愛のない人ほど愛を与えてやる必要があるのかもしれない。愛の欲しい人ほど、愛を周りに注ぐ必要があるのかもしれない。僕のように、愛をくれと、甘えた戯(たわ)けを言うのは良くなく、黙って周りに注ぐ必要があるのかもしれない。

 もらうことを考えるよりは、まわりにふりまいた方が健康というのかもしれない。この辺、実践しないと、作業所の人間関係、世間での生活が壊れていく気がする。




 周りが攻撃したがっている、不満を持っている、否定したいみたいだ、と僕は自分を硬直していくが、守らなければならない日もあるが(あまりに不利な日)、それ以外は周りをまず、愛そうとすることが必要なのかもしれない。まだ実感はないが、逆向きに走る必要はある。


 周りは否定してくる、硬直化する僕、これはNG.。まず、僕の側から愛そうとするような、積極的なかかわりというか、接し方の逆転は必要。好きになろうと努力することくらいは始められそうな気がする。愛が欲しいと、甘えていてはいつまでたっても僕はバカなままだ。逆回転、逆走だけは必要だ。否定されるなら、愛してしまえ。すくなくても、僕の側から好きになるようにスタンスだけでも変化させる必要は、ぜひとも求められる。ここは要(かなめ)で、ポイントだ。

ボランティア 動物愛護団体

 ボランティアに、通勤時刻に出かけた。

 現地で、今日もカラスコースにいってきて、カラスの猛攻を受ける覚悟はできていた。



・ けれど、奴らは、黒い鞄をもって東京に出張で、現地はモノ家の空(から)だった。ざまあみろ。いつもいつもやられてたまるか。それで、平和な現地を歩いて到着した。



・ うんち拾いはちょこっとで、掃除機かけとモップをやった。モップは2回目で、映画に出て来るように、足で踏んで水をモップを挟んで絞るやつ。ブルーっぽい感じの気持ちが沈むような奴だけれど、水を浸けて絞って、床になすりつけて掃除した。


 スペースはやたらと子猫が多かった。あいつらは、じゃれるのが好きで、動くものに攻撃をぶつけるいたずら野郎だ。

 保護スペースで、時間ができたので、成猫の身体を「愛しているよ、大事だよ」と、指に力を込めて背中をさすって撫でてみた。
 2匹寄って来ていて、気持ちいいかなと撫でていたら、「もういい」と、猫が爪を手てて抗議した。それで、変な撫で方・モミモミのように揉んでいたをやめた。

 この2匹に、大事だよと撫でたら、なついて、膝の上に乗ってきた。しばらく「大事だよ」攻勢をかけてよろしくやった。




 猫の成猫は結構重く、あぐらをかいているうえに完全に乗るとずっしりと重みを感じた。2匹ともかまってもらいたいらしく、くっついていたけれど、他の人がドアの外に来たので、よっこらしょと持ち上げて横にどけた。あぐらの上のこの猫は、ずっと居座りたいらしかった。俺の場所だったのにと背中が言っていた。

  


 僕に猫がなつくなどと思っても見なかったので、うれしかった。目的は達した。




 他の人との関係は、帰りの交通機関でわかったけれど調子が悪いらしく、否定したいという輩(やから)の雰囲気だった、このようにボランティアでも良い関係は持てなかった。そこは敗北したけれど、猫で成功したので、森田療法のように、形相は整われて、目的を達し、僕は勝利した。本当のところは、5分5分だった。



 掃除を一通り終えると、時間はあるかと聞かれたのであると答えると、餌の賞味期限チェックをやることになった。これが終わらず、1時間30もやった。帰りたかったが、巻き込まれたので、逃げるわけにもいかずやったが、最後はあまり熱心に取り組まなかった。リーダーの女性が頑張った。


 ボランティアはやっと動き出したというところ。




・ 洗濯、自転車の空気入れ、髪切り、洗面台トイレ掃除、部屋の掃除で今日は終わった。prince black albumの2曲を聞いたのが楽しみで、リコーダーは調子が悪く沈没していた。撃沈。

平凡な男

7/3(Mon)

 作業所では、ずっと苦しかった。何とか脱出しようとあれやこれ作戦をやっていた。

 若い女性が気になり、どうすればいいのかわからなかった。手や足がペニスとか、男として存在するとか作戦で抜けようとした。


 結局たどり着いたのは、☆「僕はペニスを持った、女が単純に欲しいただの男」☆、

 ☆「その他大勢の男と同じ程度」☆ というキーワードにたどり着いたら楽になった。正解か気まぐれかわからないけれど。


 これらのフレーズからすると、50女が好きだというのも嘘になる。僕はただの男だから、若くてきれいな女に惹かれるという凡庸さに埋もれる。

 50女が好きだという、理想・性格の良さ・人間性、などというのは僕自身を美化したいだけで、僕という本当の存在を照らしていない。僕は単なる凡庸な男なので、若くてきれいな女を指向するという単純で低レベルな存在だ。

 僕とその他の男とを区別する何ものをも持っていない。女を欲望する単なるオッサンだ。おじいさんに片足突っ込んでいる。

 平凡なる男。

30 Fri /カウンセリング 28

30 追追記

 想像の中で、バスに向かって、女の子に向かって大きく手を振ってみた。手も握って歩いてみた。抱擁してみた。


30 追記


 作業所で、この間のカウンセリングで言われた、父へのいろいろな気持ちを溜めこんでいるというのを思い出していた。

 それで思いついた。僕は若い女性が好きだと言ってきたけれど、それって、僕の高校の時の同級生への気持ちではなのかと。作業所の若い女性が気になるけれど、実は違っていて、僕の高校時代の気持ちが未処理なままで、棚上げされたまま溜め込まれてしまっているのではないかと思った。

 その子は、高校1年のクラスメートで、一目見たときから好きだった。付き合いたいと思った。その子が、僕が帰り道を一人で歩いてると抜いていったバスに乗っていて、手を振ってくれた。けれど僕は手を振れなかった。それは好きだけれど、僕には全く無理な話だった。その時病気が重くのしかかっていて異性への気持ちをストレートに、かつ、付きあうなどという自由さは僕には残っていなかった。これはショックだった。自分で自分の首を絞める以外にできなかった。

 その子は好きだったし、付き合いたかったし、キスしたかったし、抱きたかった。15・16歳の僕は。でも、挫折していた僕は、さらに屈折を背負い込んでしまった。重い事実だった。

 その時の気持ちが未処理なまま、若い子を見て、燃え上がったのだと思う。その作業所の女の子は好きではない。ただ、若いという所が引っ掛かったのだと思う。

 僕は高校の時の女の子への気持ちを処理した方がいいと思う。マインドフルネスか、自律訓練法かそのような方法、もしくはカウンセラーの先生の元、なんとかしたい。





30 Fri

 今日は調子の悪い日だった。周りが攻めたそうだった。あまり守る気もなくなってきた。やられても、受けるしかないかもと思いだした。眼を光らせたけれど、漏れて攻められてもやむなし、という感覚になりつつある。どうなろうと、半分捨てている。

 反対勢力の力が強かった。


 新・唯一無二がお辞めになった。健康が理由だった。かわいがって頂いて、お世話になったけれど出て行かれた。最近休んでいたので、どうなのかと思っていたけれど、こういう形になった。あまりに影響力の大きい方だったので寂しい。いてくれるだけでうれしい部分もあった。







28 追記

 キッドマン見終わった。特典映像キッドマンインタビューは、こちらの方が笑顔が素敵で良かった。役者話で終始した。

 本編最後のキッドマンの一言、とその前のクルーズの告白に対する感想は、女としてやってきた肝っ玉と自信が言わせたのだろう。キッドマンはずっと誠実で前向きで頑張り屋だなと感じた。
 
 今は歳を食っているはずだけれど、あの調子ならやってくれそうだなと思った。この映画でキッドマンが好きになりそうな気がする。強い女として。マッチョ女。万歳。



2017年6月28日(水)


 カウンセリングを受けました。抑圧してお腹に黒い石のようなものがある、という所から、身体の感覚をつかむため、その逃げているのに地下室に行って会いに行くという趣向から始まりました。



 地下室へ降りようとして、足が痺れていて萎えているということが最初に来ていて、階段を下りるに行かないで、その痺れている感覚と向き合うということに、カウンセラーの先生の指導のもとなりました。



 足先が痺れ、足裏も痺れ、その痺れというのは寝ていて起きると足や手を巻き込んで寝ていて痺れているという僕のくり返す日常と関係がある、放送大学にいたとき、その最初のテストの時も左手を巻き込んで痺れて1か月使えないこともあった。それと同じ類の痺れが階段を下りるという心理療法の時に出てきていた。



 足を自由に動かすとするとどうすると聞かれたので、父の脚を蹴飛ばすというのが浮かんだと答えたら、先生は診療室のキャスター机を向こう側で押えているから、僕に父を蹴飛ばす気持でゆっくりと力を入れて押してみろという。やってみたら、終わったとき足が自由になる気がしました。



 心理療法が終わって、これはソマティック・エクスペリエンシング(SE)というらしいのを教わった。僕はマインドフルネスに近いと感じた。ゆっくり蹴飛ばすところとか。SEの本はどうかと訊いたら、難しいからと言われた。僕の頭のことではなく、経験値のことだと思った。僕は心理学の素養を持っていない。その人が読むには真価を理解できたないということだろう。



 そして、マインドフルネスでは作業モードでは幸せになれなくて存在モードが必要だといったら、それは前に言いましたよ、とのこと。聞いてみると、脳幹の恐竜の脳のところが傷ついた人はやられているので、そこを治さないといけないと。それが存在モードとつながるらしい。



 僕は肩回し・歩行をゆっくりやったりしていると言い、マインドフルネスのゆっくり動かすの大事さを教えてもらったのでマインドフルネスをやろうと思った。本の続き。案外そこが近道かも。





・ アイズワイドシャットは全部見てなかったのかもしれない。あのときは、過去の見たとき、僕には難しすぎた。だから、見てたとしても理解しないで見ていた。今回はわかると思う。キッドマンのクルーズの館から帰ったときの夢の告白は、これもいい場面だった。キッドマンはいつも正直だ。ただちょっと本人よりかなり弱い設定だと思う。軟弱に描かれている。

 クルーズはへまばかりやらかして、見ていて煮え切らなさを感じる。詮索するなと言われているのに館を再訪したり。この人は何なのだと。その辺で中断している。




・ カウンセラーの先生の心理療法、今回は、治療のすごさを少し感じた。実感ではなく、振り返ってみて。実際のところはすぐ効く薬ではないのだから、徐々にあらわれるのだろうと思う。父を蹴飛ばすのをやってもらって、カウンセリングってすごいなと感じた。
 
 僕は父へのいろいろな気持ちを出せないで溜め込んでいると言われた。

28 Tue 映画 ・ 甘僕

28

seesaaブログのほうで書いていた続きをここでします。

 僕は、作業所で50代女性が好きですが、若い女性も好き(女全般・特定な人ではない)です。この2者で裂かれている。どちらにも手が出ない。アホか、という話です。

 


・ eyes wide shut を1時間10分くらいまで見ました。ニコールキッドマンの裸にはあまり興味を持たなかった。キッドマンは僕の好みの女ではない。あの癖のある、尖った顔には興味を持てない。助平シンボルとして活躍された方ですが、当時はそそられたけれど今は何も感じない。

 キッドマンの独白、海軍士官には全部捨てる気持ちがあったというのは、個人としてやっていれば当然起こることで目新しさは感じられなかった。1998年の映画らしいから、古い主題なのは当然かもしれない。キッドマンの真摯な姿勢には惹かれた。クルーズの古い男としての立ち位置には、キッドマンの笑うというのがふさわしいのは当然かなとも思った。

 クルーズは、古い男として揺らぎ、壁が崩れつつあり翻弄されていく、キッドマンの影響をもろに受ける。その分純真なのか。

 クルーズに古い男をやらせたが、キッドマンと同類だとどういう話の展開になったか? 二人で、最後の館に侵入するという話でも良かったと思うがどうか? 2017なら、そういう筋の展開でもよさそうな気がする。
 館に侵入でなくても、スワップを開催するとどうなっていくのか。2人はパーティーの後別れるのか? そういう筋でもいいと思うが。そうなったら、別れた2人は新しい恋人と楽しい人生をすごし、年老いてまた別れて、寂しい最後を送るとかどうだろう。最後また結婚するとか。ちょっと面倒くさい話になった。





・ 作業所では、50代女性と新・唯一無二の仲が悪くて、新・唯一無二さん抑えてくれないかと思った。でも、そう思って、態度に出てから、自分を振り返って変なことに気づいた。

 新・唯一無二がどういう態度を取ろうがそれは唯一無二に任されている。僕が口出す話ではない。ということは、それは50代女にも言えることで、唯一無二が冷たくてもそれを処理してやっていくのは50代女が自力で処理しなければならない。その権限も50代女が背負っている。

 僕が50代女に求めていたのは、自分をおぶってもらうことだったと気づいた。僕は、自分のことは自分で処理しなければならない。全部自分で解決して、自分で切り開かなければならない。手伝ってもらうことはあっても。だから、僕は50代女に甘えていただけだった。甘えん坊の小便餓鬼の戯言(たわごと)だった。

 というだけの話だった。

24 Sat 「歩く」 /23抑圧始?/ボランティア(動物愛護団体)

24
eyes wide shut, stanley kubrick を買うことにした。カット版のVHSをレンタルしたことがあった。


Barry Lyndon を見終わった。女房の連れ子と主人公の決闘シーンは見た記憶がなかった。たぶん初めて。そこが印象深かった。連れ子の屈折した人生がどうだったかが気になった。これからの将来とか。この人に感情移入した。僕は完全にマザコンか。


 ロリータ(キューブリック)を見終わっていない。バリーリンドンは、2年くらいかかって見終わった。亀のような視聴者。ロリータは、母親役の女優の快演が非常に面白かった。あの人の演技の存在感は抜群だった。他の人は嘘くさく作りものっぽい。母親女優はその人がいるのを感じられて非常に面白かった。


 ロリータは、少女という所だけれど、だいぶ大人だ。僕には、白黒なのが残念だ。(マニアックな映画ファンではないですね)
 僕にとって、バリーリンドンは凡庸に思えた。この辺も映画ファンではないのかもしれない。主人公の人生に肩入れできないのが、僕にとってのこの映画との相性の欠如。マザコンゆえか。





 アイズワイドシャットに期待しているのは、助平と、制限を外していく過程なのか? 制限を取っ払っていくとき、不安定と危険が忍び込んでくる。その辺をどう処理するのか。いいことばかりではない。マイナスは大きく被さってくる。助平の制限が取れたとして自由が待っているかというと、それはあり得ないと思う。女は他者だし、女は人間だ。女と付き合うという制限を背負うことになる。女に規定されてしまう。女による規定を良しとするのか? 女に何なのか? 最終的にはどんなに親しくても他者だという所なのか? 付き合った経験がないので何とも言えない。




 助平は物凄く人間にとって重要だと思う。動物だから。助平が報われることは、男になることだ。男になって、女を手にし、報われて、どこを目指すのか。 僕は女による規定が欲しいわけではない。女と関わると、助平の自由はあるが、人間として男としての最大の制限を加えられる。もともと自由はあるのか。他者の中の生活に自由があると思うのが間違いか。



 自由は最初からなく、勘違いだけが増幅されたのが自由で、(prince black albumは楽しんでやっているように感じれる・制限も最大だったとろうが音楽という土俵の上では奔放だったのだろう)、与えられた中での裁量とやり繰りだけが許されているだけの気がする。出口はないし、入り口もない。降りるところもない。乗りっぱなしの、アクセルとブレーキの操作だけ。


 僕が欲しいのは何か。自由ではない。出口でもない。事実と見通しが欲しいのかも。自分も他者も捻じ曲げることのできない事実が厳然としてある。でも、それも他者と自分によってできている。社会の要請によっても。見通しは、地図さえあれば歩いていけるからどうしても必要だ。女は出口ではなく、自由でもない。制限しかもたらさない。制限を加え合わないとしたら、別居しかないと思う。何を書いているのかわからなくなってきた。


 見通しは、歩くためにぜひとも必要だ。どこを歩いていて、どこを目的地として進むのか。正しい道はなく、望む方向へ舵を切っていく。道にも規定される。それでも歩く。目的地を目指して。到着はできない。ただ目指すのみ。目的地は振り出しに戻るだったりする。残酷だ。



 僕が望むのは、必要な情報と、仮定する地図と、仮定する目的地。仮定する歩くライン。歩くラインは、間違うことも多く、ぶつかったり、逆向きのスタートラインに進んでしまうこともある。歩こうとしてきたし、これからも歩こうとすると思う。歩いている足の下だけが照らされ、先も後ろも消えたり見えなかったりする。ただ、足元を照らし、歩幅を保って、身体を歩く態勢にして手足をバタバタさせる。


 それだけが許されていること。後は霧に隠れてなにもないし、どこという目的地もない。ただただ、歩こうと身体を動かす。








23 Friday

 リコーダーを1時間半くらい吹いた。休みなしで。はじめての長さだった。

 気づいたことは、リコーダーは難しいものではなく、管に息を吹き込んで、穴っぽこを押える道具だという、そのままのこと。

 自分のなかではだいぶ上達した。もうすぐレッスンの新しい所に進めそう。今日は2週間ぶりくらいで吹いた。最初かなりもたついた。




☆本題:

 
 抑圧している本体の存在を作業の最初の頃感じていた。呼吸と共にあろうと。僕はやはり逃げているのではないかと思いついた。抑圧と向き合うのから逃げている。問題と向き合うのから逃げていると。


 この感覚が本当なら、時限爆弾は動きだした。僕の抑圧が終わるカウントダウン。逃げていると感じることがスタートボタンになっているからだ。30年前の抑圧の時、そういう状態だった。だから本当なら動き始めたといっていい。思い過ごしなら、まだ始まるのは先になる。


 何が途中経過で飛び出すかわからない、お楽しみ時間が始まり、追い詰め、追い詰められ、核心に近づいていくという、流れになれるのか、まだよくわからない。この辺は慎重にしないと、僕のいつものバカ騒ぎになってしまう。




・ そういえば、昨日、岩合光昭(?)の猫歩き(?)という番組か? で、

 猫を撫でる、撫で方をやっていて、「あなたが大好きだよ」とやるらしい。僕の予想は間違っていなかった。ちょっと、番組を覗いた。




2017年6月21日(水)
 

 動物愛護団体へ出かけた。今日はうんちの世話ではなく、猫トイレトレイの拭き掃除だった。アルコールを吹きかけて、トイレットペーパーで拭く。


 交流スペースには新入りの子猫・キティが4匹くらいいた。



・はじめての猫との暮らし方、猫びより編集部・編、日東書院、平成26年(アマゾンで258円で購入。1+257円)



 この本のp82- の ニャンとも気持ちいいマッサージ を行きの交通機関で読んでおいた。猫との交流に使えるハンドタッチの方法が写真と文章で書かれている。わかりやすいかどうかはわからないけれど、とりあえず使えた。


 掃除をしながら、猫に触ったけれど、どうも相手の気持ちが鈍い。すり寄ってこない。触ったら逃げて行った。というような対応を全般的に猫は取った。少なくとも気持ちよいとは思ってもらえなかった。でも、成人猫にもキティにも触ってどんなものか試すことが初めてできた。


 最後はモップがけをやらせてもらった。四角い箱に水を入れ、足で踏んで引っ張って水を切る道具。床が木で塗料を塗ってあるのでモップがけだった。掃除機をかけた人の後に行った。窓ふき掃除の人もいて3人で今日は掃除を行った。


 モップがけは、水切り道具を使ってやったのは初めて、学校の雑巾がけ以外やったことがなかったので新鮮だった。映画によく出て来る、フルメタルジャケットの入隊訓練の場面にも出て来る行為。映画で見るとやりたくなくなるけれど、実際にやってみるとなかなかいいもんだ。僕は嫌いではなかった。地味な掃除はもともと性に合っているかもしれない。床面積が狭いので重労働ではないし。モップに水を浸けて、拭いて、洗って水を切ってまた拭いての繰り返し。椅子とかを動かしてよけながら拭いていく。任された感じがしてうれしかった。僕って単純だ。



☆☆ 家に帰ってきて、振り返ってみて、猫の受けが悪かったという事実があった。モップがけを終えて休んでいたら、窓越しに交流スペースにいた一緒に掃除した女性が猫をかわいがりながら椅子に座っていた。この方のようになるまでには遠い道のりで、すぐには無理そうだと感じた。

 僕は猫に触るとき、こちらが癒されよう、もらおうという、ある意味猫にとって不気味な触り方をしていたなと思った。機械のように血の通わない触り方。戦略として、猫に触るときは、愛をあげる、愛しているよ、好きだよという気持ちで触る必要があるのかなと。君のこと大事だよという気持ちを指に込める。そういうのが必要かなと思った。戦略としてそう思った。愛されたことのない僕は、愛をもらうというより、愛を与えることで愛を受け取ることになるのかなと思う。猫は気持ちの良くないことには敏感だ。気ままに生きているし。今度の課題にしようと思う。




 ボランティア女性は、性的に意識した。変に意識したので、性のある女性としてみようと切りかえて、自分の立ち位置を変更した。相手の女性が不気味がった、気持ち悪かったろう。僕のやることだから、ある程度迷惑をかける。この辺も課題。



・prince, black albumは、funkyでblack musicという佇(たたず)まいです。かなりエネルギーを注ぎ込み、真剣に作ったと思う。僕は、lovesexyのほうが好きだ。コントラヴァシーとか。スペルが書けん。



 朝が早かったので疲れたけれど、楽しかった。


・ そういえば、この前狙われたカラスのところに行き、あえて誘った。カラスはまたもや頭上にやって来たけれど、今度は頭の上に手を出した。やられっぱなしではなかったけれど、しつこく追っかけて飛来してきた。この街では、カラスとのやり取りも含めてのボランティアになっている。カラス君たちから隠れる気はないよ。また会おう、カラス君たち。



矢野顕子 piano nightly | 通販ショップの駿河屋

アマゾンレビューで教えてもらい、たまに聞く大事なCD。いま、安いよ。

20 Tue /前回のカウンセリング再考 (Mr.X(他者父)の導入)

20 Tue

こちらで活動。

kurage0147130-2.seesaa.net







2017年6月19日(月)


 前回のカウンセリングは失敗だと書きましたが、ルディ・デュラン先生の話を聞いて、それは間違いで、僕が勘違いしていたと思うようになりました。


 前回のカウンセリングは、父とコミュニケーションができないので、父を再教育させ新しい父となった怪物父とキャッチボールをするという趣向だった。父があまりに歪(いびつ)でボツとなったけれど、この間書いたように、新しい父親をどこぞから仕入れてきて、その新しい父親と人間関係を結べばいいという、考えになりました。前回のカウンセリングは失敗ではない。


 骨格は、ルディ・デュラン先生です。悪い記憶を消すのは、よい記憶だという話。悪い記憶は忘れて、よい記憶を残す。今日、まわりに無視されるような気がしたとき、僕は飲まれてしまっている。ぜんぶ否定というニュアンスに塗りつぶされてしまう。そうではなく、よい記憶があれば、悪い記憶に塗られてもよい記憶を思い出して・すがってやっていられるのではないのか。その良い記憶をどのように導入するか。



それはおわかりと思いますが、御察しの通り、新しい父親をどこぞから仕入れて(Mr.X)、その父親と良好な人間関係を築き直す。今度のカウンセリングでできるかカウンセラーの先生に聞いてみたいと思います。失敗ではなく、ちゃんと道路を敷いて頂いていた。


 実父は、僕の中のイメージと現物が汚染され過ぎていて使い物にならないという問題がある。それをどうするか、という前回のカウンセリングでの課題が今も残っている。僕の頭のなかに新しい良好な人間関係が築けさえすればいいのだから、実父でなくてもMr.Xで十分だと思う。

追記あり /奇蹟のレッスン: ゴルフ(2) ルディ・デュラン

追記あり
19 Mon

 作業所で、宣言して(はやく、きれいに糸を取り除く)、(結果は着物の解体の上達を望むという趣向)、やってみた。宣言自体が自分と他者にリーチをかけ、新たな気持ちで臨み取り組むモチベーションを生み出す力を持っていた。

 でも、同じ作業が延々と続き、作業自体に変更がない場合、いくら宣言してもリスタートが切れなくなり、マンネリに流されるという事が待っている。そうなった。

 どうやってマンネリを脱却するか? 今日は一つの宣言を何度も唱えたのが失敗だったといえる。宣言をするたびごとに宣言の文言(もんごん)を変えてやる必要がある。


1.はやく、きれいに糸を取り除く

2.リッパ―の使い方を上達するため、手の動きに集中する。

3.早くやるためには、作業の終盤はスピードも落ちる、手先をよく見、手先の感覚に集中し、布の感覚も捉えておく。手足の感覚、上体にも注意する。

4.きれいにやるため、全体のなかで(着物の部分・着物の全体・位置関係)の今の作業の場所を位置づけておく。

5.今の作業に前後の作業(時間軸・作業内容)を含ませて全体を見渡す。


のような思いついた宣言を、時間に沿って唱えて実行していく。遷移(せんい)・移り変わらせる。とやったらどうだろうと、希望的な思いを持った。






2017年6月18日(日)


奇蹟のレッスン ルディ・デュラン NHK




2日目


先生:ドライバーでパターの役を生徒にやらせ、カップに入れる。

  :カップに近づけて入れる方法は自由だ。



引用者:kurage0147130:

「 ゴルフのやり方は自分で自由に決めて、自分で責任を持てばいいと言うことだろ? 普通に考えればドライバーをパターに使うことなど考えないけれど、自分で決める裁量権は自分にあると言うことだ。方法選択は自由。


 普段は、自分で視野を狭く、四角四面にして面白くなくしている。頭は柔らかくした方がいい。例えば、人に話しかけるのでも、自分はこうだと自分を決めつけないで、自由な発想をするように、普段と違う頭の使いかたで話しかけたらどうだろう。違う役になってみるとか。そう、自分の中に複数の人格をあえて設定して、その人格で考えたり喋ってみたらどうだろう。」




先生:生徒に、サウンドウェッジでパターの代わりをさせる。目的は、転がすためには、当たる面の少ない薄い先端の部分で、芯に当てなければいけない。芯に当てて打つための練習になっている。

 そして、生徒の悪いショットをいかに良くするかではなく、少なくてもよいショットを大事にしていく方法を採ることをやろうとする。


先生:タイガーウッズに正しい知識を教えようとして、かえって悪くなった。タイガーは自分の感覚に成功イメージを持っていた。ゴルフは、自分でできるんだと自信を持って学んでいくもの。




引用者:kurage0147130:僕は本に学ぼうとしてきた。全部外部の力に頼ろうと。そうではない。自分の感覚を頼りに、自分の感覚の中に自信を持ち、自分で舵を切っていくものらしい。僕は変だと思ってきたけれど、本頼みの依存者だった。もっと自分の感覚を頼りに、自分のやり方を開発すればいい。






3日目


先生:ゴルフで失敗した後の悪い記憶を消せる。
  :大切なのは、打つまでのプロセス。それが打った後の気持ちに影響する。

例えば、打つ前に、ボールを最後まで見続けると宣言する。そうすると結果にもポジティブになれる。ネガティブにならなくなるらしい。


引用者:kurage0147130:たぶん、自分でやること、目標、方法を選択し宣言することで、行為に積極的になれ、関与する割合も増え、責任もとれるようになるからではないのか。失敗しても、失敗に積極的になれ、責任が持て、これからどうしようとリカバリーを思いつくからだろうと思う。




生徒:タイヤの穴に入れます。

先生:それは結果です。あなたは体のバランスを取ったり、打つ速さを変えたり、身体の使い方を変えたりできます。
(☆kurage0147130:ここまで僕は先生、生徒を書いてきましたが、正確な引用ではありません。僕の理解する内容を、僕の理解した言葉で書いているにすぎません。正確な内容はテレビを見て下さい。くれぐれも、僕の意訳は正しいとは思わないでください。☆)

 結果のためにやりたいことはなにかな?

生徒:フィニッシュをしっかり取って、タイヤを狙います。



引用者:kurage0147130:着物解体で結果のためにやりたいことは? リッパ―の使い方を磨く。正確に早くやる。とかかな?





先生:いい記憶を残せれば、悪い記憶(失敗)を消すことができる。成功した良いイメージを大切にする。


引用者:kurage0147130:ということは、悪い記憶・失敗は重要ではないと言うことだ。良いイメージを大切にしていけばいい。悪い記憶・失敗は反芻しないで、執着しないことだと思う。僕は悪い記憶を反芻、執着しすぎだから。



先生:ゴルフは1打、打つのに時間をかける。だからいろいろ考えてしまう。でも、よいイメージを持っていると、いろいろ考えてしまう・悪いことを考える必要がなくなる。





先生:

(☆ライブラリー☆):::

たくさんのクラブと状況から(☆記憶)、どのクラブを使うかを(☆決断)し、自分で(☆宣言)する。

(☆アスリート)自分の体で覚えた、自分の感覚で打つ。(☆保存☆気持ちの持ち方)失敗した記憶は忘れ、よい記憶だけを覚えておく。

 良い記憶が貯まれば貯まるほど、うまく回り出すよ。これを成功の円と呼ぶ。





先生:ゴルフバスケットをしよう。ゴムボール?スポンジ?でバスケットのリングを狙う。これは、スウィングより、軌道、どういうラインで打つかイメージする、そのイメージが最も大事だから。


先生:いい記憶をすべて合わせれば、ベストな、いいゴルフができる。



kurage0147130:ルディ・デュラン先生は物凄いです。正しい情報ばかり全部公開している。僕が見た奇蹟のレッスンの中で一番面白い。

奇蹟のレッスン ゴルフ

奇蹟のレッスン コーチ:ルディ・デュラン NHK



先生:ゴルフに、正しいやり方も間違ったやり方もない。




引用者:kurage01477130:「これは自分の鎖を切る、リミットを作らない、開けたオープンな態度を作ることばだ。先生は、カップまでの近さを競う、短い距離のゲームをやろうと生徒に呼びかけた。ゲームと言うこともあり生徒の力は発揮された。先生はドライバーを持ち出し、旗にぶつけて真下に落とす戦法を行ったけれど、失敗だった。機の横を飛び抜けて行った。

 僕の弱点は、鎖をつなぐ言葉を反芻(はんすう)し、鎖につなぐことを繰り返している。あれは失敗だった。あの人はすごかったと。そうではない。じぶんはこうしたい、じぶんはこうやろうという、鎖につなぐのではなく、鎖を切って、飛び立つための言葉を自分に向けて常に心の中で呼びかけていれば、自信が持てるかもしれない。

 英語なら、これしかできなかった。まだこの初心者の段階だ。こんなことも覚えられない。こんなに道のりは遠い。皆はすごい能力がありそうだ。まだまだだ。これは全部地面に叩きつける言葉だ。飛べるはずがない。飛ぶためには、飛ぶ言葉を選択し、反芻し、身に付け、飛ぶ見方で考える必要がある。






先生:ノートにうまく行ったことだけを記録する。

  :2本クラブだけ選んで、それですべてのホールを回るルールを生徒に課す。

  :クラブを振る力をコントロールする。75、50、25% 100%の力でクラブを振る練習をする。

  :生徒が、右曲りや左曲りのショットをどうやって打つか先生に聞いたら、先生は、そんなの必要か? 得意なのは? 生徒は低いドロー(?本当にそういったか自信がない。僕の理解は間違っていたか?)。それなら得意なのを伸ばせばいいんだよ。




引用者:kurage0147130:

「苦手なのを繰り返すより、得意なのをうまくなるようにやれとアドバイスする。よく言われることだけれど、この先生に言われると響きがちょっと違う。自分を生かす方法を採れという意味だと思う。ダメなのをうまくという、掘り下げ、修正より、アドバンテージのあるものを伸ばすという、制限をかけない考え方、ブレーキを踏むのではなく、アクセルを踏むための方法を考えよという。


 全部自分のために言い直すと、制限を外す考え方をせよ。制限を取っ払うために日常を作っていけ。

 この部分はうまく行った、こうしたらいいではないか、あの人はここがすごいと相手を高め、自分を低める考え方ではなく、あの人のここはすごいで終わらせ・反芻しない。自分はこうしたら制限がはずれるのではないか。


例えば、
テーラーSGは、洋裁の技術がある。(それに引き換え自分は何もない) ではなく、

自分なら洋裁の手縫い(※から)やっていけばいいな、(※から)ではなく、そこを取組んでどんな感じか確かめてみよう。とりあえずやってしまえ。みたいなニュアンス。すべての発想を、制限を外すために使おうと日頃から格闘すること。制限をかけるやり方はやめた方がいい。


 英語なら、これしか知らないではなく、これの表現でこんな会話ができるな。こうやった方が伝わるかなと。これも制限を外す考え方で取り組んだ方がいい。


 僕はネガティブ思考の、ネガティブ暗示の権威だと言い切れる。