自転車で抜かれて、後進に譲る爺になったらしいと、うすらぼんやりと思った。

薄暮時・はくぼじ より暗い5時過ぎ。橋を下っていて、まあまあのスピードで内側を抜かれた。高校生らしかった。憎たらしい奴と、すぐにギアを変えてピタッと付けたが、30メートルくらいやって、やめた。危ないし、やる必要を感じなかった。悔しさは強かった。

 家に帰って、殴ってやりたいくらい憎たらしかったが、ちょっと考える必要があると思った。
 僕は、自転車は一番だと思い込んでいた。歌は僕よりうまい人はたくさんいる。自転車だけはと思い込んでいた。だから高校生に付け込まれたのかも。

 思ったのだけれど、僕は自転車だけは一番だと思いたかったが、昨日は小学生が抜いていき・これは抜かれたことに異議はないが、これ見よがしに憎たらしいと感じた。昨日は疲れていた。
 しかし今日は疲れていなかった。高校生が憎たらしかったが、僕が自転車を一番としていることに異議を高校生は感じていたのかもしれない。
 僕より若い年代に、昨日今日と抜かれたけれど、僕の反射神経は鈍くなっているかもしれない。56歳で色々落ちてくる年齢だ。若い年代の方が自転車センスは優れていると思われる。それに一番だと56歳が思っていること自体問題だ。20代ならそれも良かろう。しかし50代後半。若い奴らの方が自転車も優れているし、僕は後進に譲る年齢に達している。
 だからといって、僕が2番という意味ではない。僕は自分にとっての最高の自転車乗りでいていい。でも、若い奴の方が優れている。僕は自分にとっての自転車を追求し、一番は捨てるべきだ。譲るというべきか。
 僕は最高の自転車乗りだと思っている。しかし、一番は若い奴らだ。僕は自分の中で楽しめばいい。若い奴にかなわないと言うのを肝に銘じても・きもにめいじても いい年齢だ。自分内比較の立場になった。声高に・こえだかに 一番を求めたり主張する年齢ではないとわかるべきだ。

 自転車で一番を標榜・ひょうぼう していた時点で見苦しい爺だったとわかるべきだ。自分の楽しみとしての自転車。若い奴らの自転車も認め、見るべきだ。僕は僕の道を進む。
 後塵を拝してもいい・こうじんをはいしてもいい 自転車と割り切るべきだ。歳をとっているのに、若い奴らみたいな気持ちで、考え方でいるのはみっともない。これからは色々と落ちてくる年代だ。反射神経、体力、気力、パワー、勢い。みな若い奴にはかなわなくなる。違うところに立ち、違うところで勝負しないと。若い奴と同じ考え方でいるのは醜い・みにくい 。
 繰り返すけれど、僕も歳をとったという事だ。寂しい。自分内比較に移行するのは必須かも・ひっすかも 。