現在僕は54歳です。2年くらい前、若いカップルに初老だな、と言われました。その人たちにとっては殺し文句のつもりだったでしょう。実際そういう年齢です。ハゲに近づきつつありますし。
最近思ったのは、僕は不幸に向かいつつあるのかもしれない。それは、老いて死んでいくという意味でです。それまで毎日を輝かそう(帰り道を変えるとか、おいしいものを食べることを含む)とすることで、不幸になってしまってもやることはやったと引き受ける口実を作って置く道を用意することで対抗する。
僕は最近まで、自分のことをお目出度い奴だとは思っていたが、年を取ることはいいことだと思っていた。抑圧を終わらせたり、なにか目標が手に入るとか、そういう意味でです。
現在施設にいますが、高齢者で一人床に唾をする人がいます。僕は2回だけ拭き取りました。多分あの施設で老後を過ごすことは不幸だと思う。トイレも面倒を見てもらって、食事も決まったものだけを食べて、生産的な活動はしていないから。
僕は年を取って、高齢者施設に接収されると思う。望んで入ると思うけれど、その時、身体は言うことは聞かず自由もない。死のみが待ち受けるサドンデス。サドンリーデスの略か? 希望はかけらもない。
年を取ることはリスクばかりが増え、マイナスが押し寄せ、希望のかけらもない。たぶん不幸になる可能性は高い。施設に、大きな声でありがとう、と仰る方もおられて、その方は負けてないと思うけれど。
動けるうちに楽しんで、出来るだけ輝こうとあろうとすること、としか言えない気がする。明日を思い煩っても、明日は明日が考えていることだし、今日輝くことに腐心する手を使うことだと思う。
僕の思っていた意味での老後は明るいは誤りで、ボケかましだった。今を楽しくしようとする、としか言えない。
はじめてモスバーガーを食った。気持ちの良い食事だった。サブウェイも気持ちの良い食事だけれど。