家族:自分史

母との映画鑑賞:テレビで
 映画「あん」樹木希林主演、河瀨直美監督 ドリアン助川原作

 を母が生きている時に家で見た。僕はこの映画のチラシを持っていて、シアターキノか地区センターのチラシコーナーで手に入れたものだと思う。見たいと思っていて、劇場に行きたかったけれど自分の調子と相談して行かなかった。それが、BSプレミアムで夜の7時ころやると新聞にあったので見た。母も一緒に見ることになった。

 映画は、餡作りの工程を描いていたりして感情移入しやすく、つくりも文学作品な感じで良かった。僕は最後の2分くらいトイレに立ち見損なった。母は見終わり満足したようで「いい映画だった」と言ったような気がする。僕も満足感をもって見終えた。地味なつくりだけれど味わいがあるように感じられたと記憶する。

 母が失調する1年以内前に見た映画だった。振り返るとそういう意味でも感慨深い。母と一緒に見た最後の映画だった。



家族のクリスマス:

 母はクリスマスを祝ってくれていた。僕とツリーを飾り付け電飾を絡ませた。中学生のころには僕もクリスマスツリーの飾りつけをやるようになったと思う。
 料理は、ケーキを必ず買ってくれたし、チキンの脚をジャガイモニンジンと一緒にオーブンで焼入れてくれた。僕にとっては年1回のご馳走で楽しみだった。オーブンで鶏肉を焼く匂い・脂と焦げる匂いが部屋中に立ち込め、お腹が空いた僕は夕食が待ち遠しかった。

 しかし、チキンの脚に生々しいものを感じていた父は、一切チキンを食べなかった。ジャガイモとニンジンでご飯を食べていて、味気ない食事となるのがクリスマスの父の食事だった。
 また、父はクリスマスにはテレビを独占して、僕たちは食事をしているのに、父一人だけテレビの世界に没入しテレビ活動をしていた。テレビ活動中は僕らはのけ者だった。こういう変なクリスマスを僕らは過ごした。
 昔は、テレビ欄にクリスマス、X'masという文字が溢れていたけれど、今はほとんどなくなった。時代も変わった。

 そう言えば、僕の高校卒業後、緑のジャージが残ったけれど(学校指定ジャージ)、それを使って僕が1人暮らしから出戻った時、母は手芸のクリスマスツリーを作った。フェルトの飾りつけもたくさん作り、僕が主にクリスマスの時のこのツリーの飾りつけの担当となりセットした。これも手製なので味わいがあり、ぬくもりのあるものだった。母が入院 / 施設となり、その頃から飾り付けていない。母のツリーは日の目を見ず寂しがっているかもしれない。
 子供の時のツリーは処分したが、母の手製のツリーはまだ家にあるので飾り付けられる。

 子供の時、小学校6年くらいまでサンタさんがいると純情な僕は思っていたが、それはクリスマスプレゼントをもらっていたという事にもよると思う。今思うと食事もケーキもありクリスマスプレゼントまであるなんて僕は本当に恵まれていた。こう書くといいことずくめだが、父の心の歪みが大きかったので、僕はその割を食って過ごしたから、父の教育に僕は苦しめられ いまだに引きずっているから、プラスマイナスゼロだろう。僕は父に代償を払ってきた。父はねじ曲がっていた。