小走り / カウンセリング:2020/05/15 Fri:春のお日柄もよく


 小走りしてきました。周遊4キロコースくらいです。最初の坂道30%は歩くだけにして体力を温存した。山の頂上で下りから小走りした。歩くよりちょっと早い程度、小学生も抜くだろうというようなペースで30%、平坦なところにきて疲れたのでまた歩いて30%、家の手前200メートルだけ体力が回復したので小走り。本当に運動というよりは散歩に近いけれど、小走りを混ぜていますというペースで全く無理がない。
 出かけて、春の夕方は気持ちがよかった。家に帰ってカロリーメイトザバスを飲んで(今回牛乳に粉を溶かした)、筋肉がつくんだという妄想を持ちつつ、筋肉幻想に浸った。実際は疲れが残らなければいいやの、タンパク質と炭水化物作戦。
 非常に気分良く楽しかった。今回抜く人が僕の通行方面にはいなかったけれど、抜かれる立場の小走りでした。




 カウンセリングをして頂きました。
 最近のいつものように、ウェブに僕の一週間の活動を書いたのをアップして読んで頂き、スカイプでカウンセリングを受けました。

 今週は、中年女性の、若い女性が年を経ただけの変化によるものだというのを受け入れ、自分の高年齢も受け入れ、というのが少しなされました。視界が開けた。ブログでは、敗北宣言という表現でしたが、僕は自分を見て、もう一つ目を手に入れた。(視点が増えた)




 地下室へと降りて行き、心理療法をして頂きました。父と相撲を取り、頭と頭でぶつかって寄り切り、浴びせ倒した。僕には珍しい出来事だった。いつもは父に負けている。それは父母の箪笥、3棹をゴミに出したせいだったと思う。父母の呪縛から離れようとしている。


 先生といちご狩りの話をして、父の写真のことが思い出され、先生に父の介護職員との2ショットをみて頂いた。写真の中の父は柔和で笑顔を見せている。先生に言って心理療法の中で父といちご狩りをさせて頂いた。父は僕とのいちご狩りでも柔和で優しかった。青空のもと食べて、手を洗って後にした。

 このような父ではないのは、柔和でない父がいつもだったのは、父が鎧を着ていたから。父の素・す は弱くもろいので世間でバランスが取れず、それで鎧を着て僕や母に接した。父との回転寿司は最低だった。もっと食えと、自分が皿をたくさん頼むのがしづらいので、僕に無理に食わせたのだった。父と行くといつもこうだった。


 この父の話は自分にも言え、先生にも指摘されたが、僕も鎧を着て過ごしてきた。それが緩・ゆる んだのはカウンセリングの先生と整体の先生のおかげだ。
 僕も、自分の醜い面や弱い面をもう少し見つめることができれば、開けていくことができると思う。やっと開けつつある段階だと思う。確かに先生に指摘されたように交通機関では僕は突っ張らかってきた。今状態が変わってきたのは、自分の不利なところが有利に変わりつつあるせいだと思う。余裕ができれば、不利を見つめることは進むと思う。弱い点を見つめ、自分の強さに転換していくことはできると思う。

 それにしても、女性の経年を受け入れたことは自分の経年を受け入れることにもつながった。<おわり>