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 施設へ歩いていて、こちらに向けて咳をしている女がいた。否定的な感触で。嫌だなあと思った。僕は咳をされて負け続けてきたというような感じの日々が長かった。何とか押し返すような手はないかなと思った。

 ふと思いついたのが、いつか学んだ人間は受動的な存在だ、みたいな内容のことだった。
 否定されたり、殺されたり、攻撃されたり、受動で受け身になることは多い。そして人間の本質の側面として、受動的というのは大事ではないかと感じた。周りの影響をもろに受け、被って・かぶって しまう存在として。この受動の側面を否定して、無理に能動的になろうとしたり、押し返そうとしたり、相手を攻撃しようとするのは間違いの手ではないかとも思う。

 僕は部屋で歌を歌い、それが外に漏れる。隣の若者は、それで僕を意識するのか、否定的な気を僕に向けてくる。それを僕は部屋で感じて、嫌だなあと思う。今日は、隣のバイクの音に反応して、部屋の中で段ボールを蹴ったりした。
 しかし、これはNGで、僕の受動的な面を否定するのは間違っていると思う。

 人間、受動の側面はものすごく大事で本質だと思う。ここで僕は、攻撃を受ける奴隷になれ、と言っているのではありません。やられっぱなしという意味ではなく、向こうから来るものを受け止めるという側面、いいことも、不快なことも共に受け止める存在だと言いたいです。

 思い出しましたが、この間、僕は許す、ということを言っていました。受け止める、許すというのは受動的な面を言っていると思う。向こうから来るものを受け止める。向こうから来るものを許す。共に受動です。
 
 僕には受動の面と攻撃の面、2つの側面があり、両方で運営されていると。バランスが良ければよいが、受動ばかりでは攻撃せざるを得ない心理状態になると思う。それでも敢えて、受動の大事さを言いたい。

 施設でも、僕は仕事に出かけるが、住んでいる居住者の人は、暮らして生活している。僕は居住者の方の暮らす、という面が見えなかった、金を稼ぐことにかまけて。高齢者の方はそこで暮らしている、生活を営んでいる、この面はとても大事だ。

 人間存在として、立派でもないし、ボロくもない、受動的だからと言って奴隷でもない。案外、受け止めなければ何も始まらないかもしれない。

 ここまで来て、僕は今、やはりあまり調子は良くないのかもしれない。相手の咳に僕は責任を持つ必要はない。否定的な感覚を受け取ってしまうあたり、良くないと言える。この調子の良くない状態で、否定に引っ張られ、負けてしまう。
それはあなたの否定だ。僕のではない。あなたの持ち物だ。
そう、最初から相手の持ち物である否定を押し付けられた。僕が背負うのも間違いだ。それは父ものだ。父の持ち物だった。それを押し付けられた。朝の女の否定の咳も、女の持ち物だ。僕のではない。あなたに返すよ。背負っていってくれ。みんな苦しいものだから自分の持ち物を、カモである僕のところに落としていこうとする。汚いぞ。
自分のものは自分で背負ったらどうだ。自分をごまかすな。
 

 最近低調でして、昨日はぶん殴りで皆来て、圧力を跳ね返すのがやっとだった。

 いま、NPR music tiny desk concert のグッドミュージックを聞いている。グループの人間関係がいいかどうか、雰囲気を見ればすぐわかってしまう。ギスギスしているところ。みな笑顔で和気あいあいな雰囲気のところ。独裁国家とか見える。

 施設は、回すのがやっとです。全力でやって何とかというところ。僕には今のところ仕事を回して頂いている。それはありがたいです。苦しくもありますが。今日は、居住者さんのいる、ワンフロアを指定されてこなした。
 上司が大人でものすごく良い方のせいで、居心地がいいです。ただ、作業内容はきついです。僕は特に遅いので時間がなく、休憩もままならない状態です。他の方は上手に休憩を取っています。



 体幹ですが、あの4日間でやめてしまいました。三日坊主というものです。身体がガチガチになりそうだし、

・筋力を超えた「張力」で動く、マイムアーティスト JIDAI、BAB JAPAN

というのを買って、身体を固めて、動きづらい体になってしまうのをよくないように書かれていたというのもあります。本では、身体の新しい動きを身につけられる、とのことのようですが、本当に素人にできるかな、と半信半疑です。和の動作・日本舞踊と 洋の動作・バレイ との違いなどの個所は読んでいて楽しいです。バレイとかはエネルギーが上に向かっていて、日本舞踊とかは下に向かっているとかの話です。
 この本、本家のページで購入すると、DVD+本の値段が、本の値段が割り引かれてタダになります。ただし、僕には何も身につかない可能性がある。教室があるらしいのですけれど。

 
・老年の豊かさについて 
は、農業の話になりました。年を取って、農業をやると幸せだと。これは本当そうです。畑に種を蒔けば作物はできるし、土いじりは心にも効きそうです。

 
 女の身体が欲しいけれど、54になるとかなり難しいのだろうか。40代後半から50代で見つければよいのだろう。


 

 

カウンセリング

北村朋幹・きたむらともき ピアノ ショスタコーヴィチ 40分から開始で、49分から怒涛の盛り上がり。これが音楽だ、と言わんばかりの波状攻撃。 いやあ、終わってから画面に向かって一人拍手しました。本当です。

/カウンセリングをして頂いて、父に父の怒りを持ってもらいました。父の怒りは父のもので、僕のものではない、僕はえらい迷惑をした、父と僕とは関係ないと、父に両手にバッグを持ってもらって、父の怒りのエピソードの数々を両手のバッグに詰めて持ってもらって帰って行ってもらった。

 そこは父は素直に持ってくれて、帰って行ってくれた。父は病院にいるし、物理的にも距離があるけれど、心の中では父はまだ不機嫌で僕に怒りをぶつける存在なので、今回のカウンセリングは父に父の怒りを持ってもらって、関係を断つということをやって頂いた。非常に、とても迷惑な父だったんだ。糞爺い。←最後は僕が父に吠えてみました。

〇 YA! YA! YA! 爺さんがやってきた。 :他

 
〇 整体に行き、買っておいたおにぎりを帰りの交通機関の駅のベンチで食べた。そこまでは普通だったけれど、帰ってきて食事をしていて、右のほっぺたを触ったら、海苔の切れ端2センチ位がガッチリついていたのが剥がれ落ちて、!びっくり!した。直後恥ずかしかった。ずっと海苔をほっぺたにつけたまま来たのかと思った。誰も注意してくれないのが寂しい。すごかったなと思った。



〇 昨日はやらなかったけれど、4日間体幹レーニングをやった。

・プロトレーナー木場克己の ジュニアサッカー Cコア・Bバランス・Aアジリティ トレーニング、カンゼン、2018、1400+税

 これ小学生向きの本で、トレーニングをするなら小学生の簡単なのと、1年くらい前に求めたやつだった。使っていなかった。初めて、6日前に読みだした。youtubeの動画バーコードがついていて、わかりやすい。これをやる小学生は意志の硬い奴だと、メニューのきつさから思った。爺さんの僕でもきついぞ。じいさんだから当たり前か。
 続くかは未知だけれど、楽しい。こういうことを一度やってみたかった。身体を鍛えるというやつを。若いころにやったことはあったけれど、ちょっとだった。こういうサッカーに特化した、この運動はキック力を高めますよと言う、ハッキリ目的が分かった運動は初めてだった。僕もサッカー小学生になれるか、乞うご期待。


〇 YA! YA! YA! 爺さんがやってきた。
 鏡の顔を見て、爺さんの顔になってきているのをヒシと感じた。輪郭、肌の深さ、色、感触が爺さんの顔になりつつある。僕の顔に爺さんがやってきたのだった。今日から爺さんライフを満喫しないといけないな。準備はできているのだった。

・老年の豊かさについて キケロ著 八木誠一、八木綾子:訳、法蔵館文庫、2019

というのを読んでいるのだった。硬い本で、今のところ一般的なことしか言っていない。もっと面白い論を聞きたかったので、いつでてくるのか、もしくは無いまま燃焼せず終わるかとも思う。お金を投下したので、ちょっとは楽しませてもらいたいなと思う。


〇 また父の借金問題が浮上してきた。親戚が口座に振り込めと言う。父の問題だから僕は関与したくない。それに、この借金問題が、多分父は巻き上げたのだろうけれど、話しが怪しくて嫌なのだ。父がなくなったら僕の肩にドッシリとかかってくるのは想像に難くない。親戚非難はしたくないが、怪しいのだった。



北村朋幹・ともき ピアノ 抽象曲+ベートーヴェン NHK BS2 朝5時 クラシック俱楽部で見た。

ピアノの弾き始めるまでの動作が面白かったのと、14分くらいから盛り上がってきます。音が粒立って聞こえる。抽象曲が嫌な方は、23分くらいからベートーヴェン

周りの咳に僕は責任を持たない。関係づけない。相手にその理由を持ってもらう。


 昨日は調子が悪く、攻撃を受けそうだった。全部敵だった。程度としては悪い方だった。
 施設でおばあちゃんがゲームを始めて、掃除しているトイレに来るのだった。そのため空けねばならなかった。手間が2度3度となり負担が大きくなった。それは今日も続いた。今日は持ち直して調子は通常だった。

 辛ラーメン:インスタントで赤いパッケージに入っている、いかにも辛そうなの を食べた。滅茶苦茶辛くて、想像以上だった。鼻水をダラダラ流し、涙をダラダラ流して食べた。とても苦行のような楽しい食事だった。おいしかったけどね。

☆☆☆ 僕は周りが咳をして否定してくると、自分と関係づけて何か気に食わないのだろうと思うのだった。その相手と自分の関係付けで、本当に相手が否定して、僕がそれを自分に向けてのものだ、自分と関係あると思わなきゃならないのか、という疑問を今日は持った。

 僕が音を大きな音を立て、それに呼応するかのように周りが大きな音を出したとする、それは気に食わないのだろうと、自分の音と周りの音を関係づける考え方をする。これを卒業したいと思った。

 僕が大きな音を立てて、それに実際に気に食わない周りが大きな音を立てても、それは周りの人間の感じ方考え方で、自分とは関係ないのではないのか、関係づける必要はない。相手にその理由を持たせて、僕がその理由原因を持たない考え方をしたいと思った。相手の考え方、感じ方、行動で、僕はそれに責任を持たない関与しない、という方向で行きたいと思った。

 ここを関係づけていると、いつまでたってもグチャグチャで、訳が分からなくなってくる。僕が今まで関係づけていたのは親との関係で、特に父が不機嫌でお前が悪いから怒る、みたいな人だったからだと考える。僕のちょっとしたことに反応したり否定する人で僕は委縮してきたのではないのか。

誰も威張れない:個人が多数集まる集団:スペックが違うだけだ

 施設で、介護士の人のことを批判する気持ちを持った。あの人はこうでどうだと。

 で思った。僕は批判することで自分を偉そうな立場、上から目線でその人をわかったふりをしようとしている。

 その人のここがいけないからダメなんだと。それって、自分を棚上げにして、偉そうなところから鉈・なた を振り下ろして断罪する大バカヤローのすることだなと。

 そこには、僕はただの一人のちっぽけな人という、その人たちより最低かもしれない自分を正当化する鎧・よろい をまとっていると。僕はただの一人の阿呆・あほう 爺さんだという視点を忘れている。

 結局僕もその人たちもただの一人の人で誰にも人のことを上から断罪する権利はない。どの人も一つの世界で、一人の人は特性を持っていて、みな違うスペックで活動していて、誰も否定される存在ではない。一つの世界が多数ある集団が施設で、介護する人も入居者も一つの世界で掃除でかかわる僕もただの1つの世界として参加している。その人の感想は言えても、断罪する権利なんてないし、上から目線でやること自体自分を忘れている、ただの個人だということを。


 施設での作業時間も多くなってきた。作業にも慣れきた。毎日同じことを繰り返している。うんざりするし、逃げ出したいというのが本音。子どもの本音。やることの分量は、最近少し減っている。減らしてくれている。
 同じ負担負荷がかかり、ゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。なにがなんだかわからなくなりつつある。自分の信じてきた自分が見えなくなってきた。自分というこだわりが変な気もする。自分はこうだと言えなくなりつつある。多数の人間の中で揉まれて、作業時間も一定数を超えて、自分を囲ってきた枠がぶっ壊れそうだ。自分も他者もいらない。同じ職場に投げ込まれた人間がいるだけだ。疲れてもいる。僕は週休2日位だけれど、週1で働いている方もおられる。誰も自分が持てる以上の仕事を抱え、一杯頑張っている。誰も誰をも言えない。仕事が回り、施設が回っている。入居者も閉じこもって息苦しそうだ。このシステムってどうなんだ。改善点を変えれば良くなるのか? 誰も悪くなく、ただ大変だ。そんな印象を持っている。

モップ掛けは大変だ。(それは当たり前のことで、進んでやることだ)

日本浮世絵博物館秘蔵

歌川国貞 「三囲の初雪」 大判錦絵3枚続 文政10年(1827)頃

この浮世絵の画像はボストン美術館のものです。
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〇国貞 広重 国芳 コレクション 絵師たちが見た 江戸の楽しみ

 北海道立近代美術館を見てきた。上の版画が一番良かった。写真では伝わらないけれど、雪の寒い感じが伝わり、構図もいいし、僕は北海道に住んでいて1月生まれのせいか雪が好きだ、調子の悪い冬は歩くスキーを毎日していたし、吹雪の時も外出した(団地に住んでいた・だから遭難はない)、僕にはグッときた。

 浮世絵で、毛深い男、ごっつい男だったが、描かれていて、毛深いのもいいのだなと思った。僕は中学生のころから毛深いのは恥ずかしいものだと思ってきたが、(最近の美容の髭を抜いてしまうには抵抗を感じていた)、浮世絵の格好いい毛深い男を見て、毛深いのも格好いい人が筋骨隆々だったが見せると、ええもんだなと感じて方向転換したくなった。


・ 整体の先生に治療して頂いた。僕は、月1の整体通いをまだかまだかと楽しみにしている。それは首が潰れている歪みを取り除いてもらえるからです。それに頭打ちになっていた調子の沈みをなくなり、順調に首は伸びつつあります。
 先生にはお世話になりっぱなしです。僕の身体に手を入れてくださるのは非常にありがたいです。確実に成果が表れています。すごいことだと思います。

・ 川島永嗣 準備する力 文庫改訂版 をあと2枚くらいで読み終わりそうです。この本ほとんどの章が面白かった。10章のうち、2章は僕には興味が湧かなかった。他は全部引き込まれた。当たりだった。
 川島さんは、家庭環境が良く、親が親切で、兄弟間も仲が良い様だった。うらやましい。僕はいじけて育ったし、その後遺症をいまだに引きずっている、少しでも良くしようとしているし成果もある、しかし川島氏のような恵まれた環境にはない。良い家庭というのは、何物にも代えがたい、財産だと思う。その環境で育った川島氏だから成功が積みあがったのかなと感じる。うちの家庭は、父が悪く、母も飲まれ気味だった。僕はうちひしがれてきた。
 だからいま脱出しようとしている。


・ 今日モップ掛けをしていたら、熱血怒り先輩が、直角にやれと言う、(文句でもいいに来たのかと思ったら)、持ち方ではなく、床のリノリウムの目に沿ってモップ掛けをしろとの指導だった。わからないとき、難しくてわからないと言ったら、ちゃんと聞き入れてくれた。教えてくれた。前にもこの先輩、モップバケツでの水の切り方、右足ペダルを踏んで、左足バケツの上から押さえつける、を教わって実行できるようになった。
 いいひとなのだが、僕の調子が悪くなり、関係を壊す。
☆☆ モップをかけていて、苦しくなった、負担が多くて、その時、前にも思ったが苦しいのは当たり前ではないのかと。苦しいのを大変なのを厭わず・いとわず するのが仕事だし、人間なのではないのかと。僕は全部逃げて避けてきた。そういうのは良くないのではないのか。大変なのをよけず、大変だからこそ頑張る、進んでやる、そういうものではないのかと閃・ひらめ いた。 
 もしこれが壁だったのなら、僕はどんどん扉を開いて、何でも大変だが、進歩できるのではないのか。

2021/05/01 Sat : Zakki

 カウンセリングを受けました。父を許すというのをやって頂きました。許すと言っても、父の暴力や暴言を認めるわけではなく、とりあえず、父の部分を持ってもらう、父の暴言などは父の持ち物なので父に返してあげるというニュアンスです。

 カウンセリングの先生の支えのもと、父にカバンを持たせそのかばんに父の部分・暴言暴力など僕がおっ被せられたのを父に返して父に持ってもらうようにしました、カバンに詰め込んで父に持たせた。そしたら父はカバンを持って去って行きました。
先生とも話しましたが、父は根っからの悪人ではなく僕が父にデイサービスに行ってほしいと言ったら行ってくれて、僕はその時間、作業所に通えたのでした。だから父は去って行ってくれたのだと思います。


・あなたが伸びる学び型、古野俊幸、日経BP(ドラゴン桜・FFS理論)

 お金を捨ててもいいやと買った。儲けられるような気もしたけれど、少しでもいいところがあったら儲けものだと払った。
 これを買うこと自体、僕は自分の勉強に未練がある。勉強を伸ばせられなかった未練を持っている。


・ マインドフルネス低減法、ジョン・ガバットジン北大路書房
・ マインドフル・セルフ・コンパッション ワークブック、クリスティン・ネフ/クリストファー・ガーマー、星和書店
が届きました。

 目次は、両方とも出版社にありますが、それも見ただけでも良さそうな本です。アマゾンレビューも良いのが多かったです。

 施設では、モップ掛けも担当しています。モップは今までの僕の、内側から外覗くというニュアンスの立ち位置ではなく(内向してきたためそうなっていた)、空間に自分を置く(椅子がそこにあり、入居者さんはそこにいて、部屋のドアは後ろにあるとか)という、空間に自分をはめ込んでいく感覚に変えていく必要を感じているし少しできる。そうしないと転倒させちゃったりしかねない、危険行為はしたくないので注意が必要。
 モップは疲れる。コツとして、両腕をシンクロさせて動かすと手に負担がかかるのを減らせるのを覚えた。今日は時間もいっぱいいっぱいまでかかって、全力だった。自分に対してご苦労さま、よく頑張りましたと労いたい・ねぎらいたい。

 モップは大変なのでやりたくないが、割り振られているので頑張っています。また、トイレと洗面台も、時間と量が決まってくると結構負担になる、今日は分量が多く大変だった。

 上のマインドフルネスの本・2冊は、読んで身につけて、自分を少しでも良くしたいという願望として買いました。どれだけ使えるかわからないけれど、足しになればうれしい。
 昨日はミズノのヨガを、寝てしまってほとんど参加できなかった。それで、
・友永式 朝ヨーガ夜ヨーガ DVDを見てやったり、
・股関節 スローストレッチ、藤本陽平 をやってみたりした。この本を試したのは2回目。

今朝は朝3時に起きたので、帰ってから1時間半くらい寝た。

 昨日は調子が悪く(中ぐらいの調子の悪さ)、許すというのも、怒・ド が混じったりして苦しく不利だった。突っ込まれそうだったけれど、冷静に対処できた。その反動で今日は調子が良い。大体、調子の悪さが続くのでなければ、調子の悪い日の次の日は良い。

 施設を一週間回せたので満足している。疲れている。


ラジヲ深夜便で ハーモニカ 山下純一 さんを聞いた。それでYOUTUBE 検索した。ものすごくうまい。プロというのが分かる。

!!!!許す・赦す!!!! (アンガーマネジメント:本の実践編)

Hopkinson Smith cello suites というのを入手した。この方のバッハはゆったり弾いて味わい深い。

三村奈々恵 マリンバ Nanae Mimura  クラシック倶楽部で見た。このビデオは音が悪いが、テレビなので良い音で見れた。マリンバなんかという何も知らない僕だったけれど、楽しんだ。


「許す」

 アンガーマネジメントの本で、「許す」というのを学んだけれど、さっそく昨日は調子が悪かった。

 殴ってやるとか、殺してやるとか、否定してくる感じだけれど(昨日は調子が悪い日ではあったが、最悪の日ではなかったので、程度としては軽めだった)、相手の否定と、自分のやられる側、受ける側の自分の両方を「赦す」という感じで行った。

 僕は攻撃されそうになると、相手を許せん、される側の自分もやれるのは嫌だと、やられるというのを許さなかった。それで怒って、拒否になり、相手も自分も許さなかった。許したら入られてやられると思ってきた。
 それを今回から、否定してくる相手もやられる側の自分も、両方同時に許そうとした。視野狭窄と身構えと硬直がなくなり、ゆったりと緊張しながらも構えることができた。意外と攻撃してこなかった。なぜかわからんが。許すと言っても、がら空きという意味ではなく、顔をあげて周りを見回しチェックはし続けた。ただ、懐が深くなりゆったりと、緊急事態だけれどゆったりとしていた。180度方向転換された。

 やられる自分も許そうとするので苦しいけれど、怒って硬直するやり方は施設を辞めることに直結するし、打開しないといけないので方向転換する必要がかなりあった。これが、本当に苦しい日にも実行できるか未知数だけれど、今までの方法は限界が来ていたので、棘・いばら の道になってもやらざるを得ないという選択肢のない状況でもある。

 そう、父も自分も相手も許すということができない人だった。その意味では父をこの方面では超えたかもしれない。父は怒り周りを非難し、やられるなぞとは考えることもできないようだった。だから周りに暴力を使ったりした。僕も攻撃されそうになると、相手も許せんし自分のやられるのも許せんと硬直怒り否定してきた。もう卒業したい。

 本で学んだことを試せる絶好の機会を昨日は持った。苦しいけれど。

本:::アンガーマネジメント(セルフコンパションの)

・コンパッション・フォーカスト・セラピーに基づいた アンガーマネジメント
  ―真の強さを育てるために、ラッセルコルツ、星和書店、2021/04/14 第1刷

kurage0147130:読んだ感想(体力がないのと、理解力がないので大雑把でゴメン!!)

 最初にお断り:レッスンを実践しながら読んでいないし、自分に引き付けてじっくり読んでいないので、理解も深くない、とりあえず大雑把に。

 怒ってしまうのは古い脳の部分の仕業で、相手も自分も悪気はない。しかし実害はある。怒るのに替えてコンパッションで自分に接する。要は怒るのに耐えて別の回路=コンパッションで対処する。その対処の仕方は読者に委ねられていて解答は出ていない、自分でレッスンを進めて答えを導き出す必要がある。
 怒るといういつもの道を使わず、コンパッションという新しい道を作って、その道をこれからは踏み固めて通る道として使っていこうよというもの。
 
☆☆☆・僕がこの本の大雑把な読みで得た最大の答えは、相手を許すこと。相手は悪い人ではなく、敵でもなく、自分の人生を歩んできた良い部分も持つ人である。その敵とみなす相手にも自分の人生を歩んできた道がある。その人も、怒ることで苦しい思いをしている、受ける自分も苦しい。最終的には、相手を許すことがこの本から僕が学んだ最大の果実だと思う。
 敵だと撥ね付けるのではなく、怒り敵対してくる相手を、憎んでくる相手を許す。その人も古い脳の部分を使っていて、苦しい思いをしていて、大変なんだ。その相手を思いやる気持ち。相手の敵に見える、憎んでくる相手を許す。それがコンパッションで大事らしいと、僕は理解したし、最大の回答だと思った。キリストの、ビンタされても頬を差し出せ、と同じで、相手を憎んだり敵視しないで、丸ごと受け止めて、相手の、相手も持て余している怒りや憎しみをこちらに向ける存在を許してしまう。ここが臍・へそ だと思った。この気づきはたぶん力を出すと思う。

 最初のほうのマインドフルネスで自分に関わるやり方は、ただやってみろで、雑念を受け流して呼吸に戻れ、くらいのものでザックリしている。それで、
・ マインドフルネスストレス低減法 ジョン・ガバットジン北大路書房 と、 

・ マインドフル・セルフ・コンパッション ワークブック クリスティン・ネフ クリストファー・ガーマー、星和書店
 コンパッションのやり方を学ぼうと思った。アンガーマネジメントの本にはコンパッションは詳しく出ていない。大雑把だった。
 4月は不調がやってきたが、毎年、7月も不調が来る。それまでに何とかしておかないと、自分が流されやられてしまう。今のうちに準備をしておく必要がある。

 アンガーマネジメントの新しい本をすぐに読んでしまえたのは収穫だった。今度はこの2冊から吸収したい。無駄な読書だったとは思わない。収穫できたから。許せと。



・ ヨガのネットではない、現実界の集いを欠席した。疲れたという理由で。明日から5日間、また、回さないといけない。僕はこの清掃の仕事を回すことに全力を注ぎ込みたい。いまのところ。
・ ミズノヨガはやった。楽しかった。
・ 部屋の壁にプレイメイトの写真をネットでダウンロードしてプリントアウトして貼って股間を膨らませている。壁は色鮮やかだ。関根恵子のヌードもある。
・ 牡蠣鍋をした。贅沢だった。3年ぶりくらい。カキを片栗粉で固めて、汁が旨味が逃げないように閉じ込めて、その他、白菜、ネギ、シイタケ、エノキ、を入れた。小さい鍋で作ろうとし、入りきらず大鍋にしたら、汁が大量に残った。それで、今朝はうどんで食べ、夜は鶏肉を入れた。明日は豆腐を入れたらいいかもしれない。そういえばショウガのすりおろしを入れ辛味にした。市販のしょうゆのだし汁をを入れ酒も入れた。いい加減にできている。すごく贅沢をしている。たまにはいいだろうと自分に許可した。いつもは冷凍食品。ぎょうざとか。

 

川島永嗣6:武器とするには長所を伸ばす。

川島永嗣、準備する力、角川文庫

引用:p140~
自分のできないことにコンプレックスを持たない
 自分の光っている部分を再評価してみる

「 
 チームには、イタリア代表キャップも持っていて後にナポリの正キーパーとなる、モルガン・デ・サンクティスがいた。彼のプレーは半端ではなかった。そして練習でも、彼はひたすらパワー系のトレーニングをやっていた。自分の長所、すなわちセールスポイントのパワーを徹底的に磨いていた。その姿を見た時に、ふと自分に置き換えてみた。
「僕の長所がパワーなら、僕もパワーで勝負してもいいんじゃないか。楢さんの正確で安定性のあるプレーを追っていても、いつまでたっても、それは楢さんの長所で、僕の武器にはならない」
 自分の光っている部分を伸ばしつつ足りない部分は補っていけばいい。僕は追い求めるスタイルを変えることを決意した。自分の長所を再評価して練習のテーマをガラッと変えたのである。僕は、このウディネーゼでの体験をきっかけにして、楢さんに比べ「自分ができないこと」に対してコンプレックスを持たなくなった。逆に自分の強いところで勝負しようと思えるようになった。~

kurage0147130:引用者:
 この話、よくある話なのだけれど、テーマが前から気になっていた長所を伸ばすか短所を修正するかの話だ。僕は、前の作業所ではテーラー氏の背中を追った。テーラー氏はミシンが得意で全力でミシンを踏んでいた。そしていろいろなものを作るのだった。会社の大黒柱として活躍されていた。僕はこのテーラー氏の背中を見ていた。
 でもこの引用にもあるように、僕の長所を伸ばすほうがいいのではないのか。足りない部分は良く見える、アラは気になるしつつきたくなる。でも、いくら短所を伸ばそうと躍起になっても短所なのだからそんなに伸びない。良いところに目をやって、良いところを伸ばした方がいいのではないのか。
 手芸作業所ではなく清掃施設。歌も感情表現を伸ばして、リズム音程は二の次、楽器演奏も後回し。感覚を伸ばすことに専念し、論理や理屈の部分は憧れを持ってはいても追い求めない。僕も晩年になってきたので長所を伸ばした方がいいのではないのか。僕にも強みはある。手を抜かないとか。面倒な手順も必ず最後までやり遂げられる。(清掃での単純なものだが)
 テーマを絞って専念しないと輪郭がぼやけ、行く先も見えないし、時間ばかり流れる。川島氏の本を読んでいることだし、ここはいい機会として、長所を伸ばす戦略に切り替えたほうがいいのかもしれない。
 

光り輝く洗面台:::

施設:::

 施設では、カートを一台買って頂き、バケツ、箒、モップなどを揃えて頂いた。全部新品ではないけれど、そろったので、今までのように周りから借りなくても作業できるようになった。カートや物には僕の名前のシールが貼られた。

 僕より先に入り、頑張っている先輩は当たらないのに、僕に当たったので少しやっかまれていると思う。その気持ちはわかる。僕が手芸作業所にいた時も周りはうまいことやっているのに僕は蚊帳の外だった。その先輩も別の作業所に行けば認められると思う。

 僕は今、担当量がすごく増え、疲れることが多くなった。ありがたいことだ、使ってもらえるのは。いっぱいいっぱいまで作業している。
 僕が掃除した後の洗面台は光り輝ている。自慢ではなく、そうだった。自分のやったところがどこまでだか分らなくなり、戻ってみると、光り輝いていた。それで上司に褒められ時、僕は自分の力だと思った。褒められてうれしかったのはあるが。
 しかし、掃除の基本を教えくださったのは上司だし、上司の基本をきちんと踏まえれば、手を抜かず手をたくさん入れれば、ピカピカになる。あとは、洗剤がいいのを使っているのだと思われる。万能洗剤と呼んでいる。10倍か5倍に薄めて使っている。
 キホンを守り、手をたくさん入れ、基本に忠実にやればきれいになる。

 今日はヨガを習ったが、身体をいつもと違う動き・施設とは動作が違う、をやったのでスッキリしちょっと前向きになった。疲れている時は身体を動かした方がいいというのはこういうことかなと思った。一方向だけ使っていると疲れるので、身体を動かして血の巡りを良くしてやるとサッパリするのかもしれない。


・ 手芸作業所では、いくらやろうと認めてもらえず、みなに溶け込めなかった。今は大変だけれど、手応えがある。

 今日は、じっこが僕の作業するトイレに割り込んできたり、皆でトイレをずっと使い掃除のできないトイレが発生した。そのため何度も足を運び、時間ばかりかかり進まないというのも起きた。4回くらい通って、5回目くらいで掃除できた。その時は、時間を過ぎて、サービスで作業した。バカヤローじっこ。きちんとしてもらわないと困るよ。僕は炎上したことがあるので、つい先日、だから皆でかかってきやがるのだった。バカヤロー。

 上司が認めてくれたのも、僕の作業量が増え、大変さを共有しているからだ。台車とネームをもらったが、それは僕が自分のエネルギーを刻んで支払っている、結構なエネルギー、そのためだ。前の作業所では空回りして、上手く表現できなかった。

川島永嗣5:準備する力:角川文庫(交通機関で読めるぞ)

ピアニスト、二コラ・アンゲリッシュ : BS1NHK AM5:00 クラシック倶楽部で見た。


川島永嗣:準備する力 ー夢を実現する逆算のマネジメント 文庫改訂版 角川文庫

 僕にとってはものすごくよい本。僕は自信を持っていない。川島氏は中学生のころから才能に頼らず、コツコツ積み上げて能力を高くして、一つ一つ課題をクリアして積み上げて実力をつけ、不可能に思える目標を手に入れていく。そのプロセスが書かれている。ただ、具体的なハウツー本ではなく、アウトラインが示されているだけなので、自分のことで問題を解決したければ、スピリッツを盗み、川島氏の真似のように自分の問題に対しても課題クリアする方法を自分で見つける必要がある。そこは自分の力だ。
 ただ、川島氏ができるなら自分にもできるのではないかという淡い期待は抱かせる。川島氏は能力は高いと思われる。ただ、努力して全部掴んできた人なので、そのプロセスは読んでいて引き込まれるし、追体験できる。そう、川島氏の問題を通して、自分の問題も解決できるのではないかという錯覚は貰える。自分の問題でやるとなると、少なくても毎日対象と向き合い、続け、その中でノウハウを築くしかない。川島スピリッツをもらって、自分で頑張って取り組むことだ。肩ひじ張らなくていいと思うが。

 川島氏がこれだけ乗り越えてきたのだから自身はすごくあると思う。もちろん本にあるように折られたりしたが、それも乗り越え自信をつけたと思う。
 この本のいいところは、追体験させてくれること。一人のなんでもない少年が、どうやって壁を乗り越えたかアウトラインを追体験させてくれる(具体的な詳しい話は出ていない)。普通の一人の人・非凡だと思われるが、サッカーを通して、壁を乗り越え、一歩一歩掴み、切り開く姿を見せてくれる。一人の個人の視点で書かれている所が、オープンで、僕らに対するプレゼントで、お前にもその勇気があるはずだと教えてくれる。(実際には言わないが)

 僕にとって、川島氏の本と出合えたことは素晴らしい体験となっている。具体例はないけれど、すごくオープンだ。この人には、僕らに自分の実例を示すことで、僕らに後をついてこい、もしくはお前の壁を壊せと鼓舞する気持ちがあると思う。熱い意志があるから書かれたのではないのか。これだけ提供してくれる人はいないと思う。文章もうまいし、おもしろいし、熱くさせてくれるし、最後まで読みたいという気にさせてくれるグイグイ引っ張る力がある(文章力)、もしくは、やはりみんなに伝え共に生きている仲間として頑張って壁を超え夢を掴もうという意志だと思う。それを伝えたいのだと思う。温度のある本だと思う。素晴らしい。まだ途中までしか読んでいないが。

自分ほめ(低い自己評価対策)

自分ほめの本を買った。秀和システムの本。目次が見られる。目次を見ると内容が分かり、買わなくてもよいかなと思ったが買いました。自己肯定感が少ないので良いかなと思う、低い自己評価対策。この手の本では、細かく書かれていて親切そうだ。秀和システムというのも安心感があった。まだ届いていません。

www.shuwasystem.co.jp

雑記

ドミートリ―・コルチャック :クラシック倶楽部で見た。この人の歌が好きだ。テノールらしい。このページは音が悪いけれど、曲がいいので載せました。




本当に「英語を話したい」キミへ  読み終わった。さわやかな印象で終わった。

フランクリン自伝 は、小さい字でぎっしり組まれた本で、中公クラシックス のせいか、学術っぽそうだ。読んでいないのでわからんが、後回しになった。第六章 十三の徳目の樹立 の、

引用:「
p192
九、 中庸 両極端を避けること。激怒するに値する侮辱をたとえ受けたにせよ、一歩その手前でこらえて激怒は抑えること。

kurage0147130: この、侮辱を受けても激怒しないというのはとても良い事だ。父は、些細なことで激怒して収拾がつかなかった。悪いお手本だ。僕はそれを見て育ったので、激怒に対する免疫がなかった。普通だった。
 これからは侮辱されても激怒しないで、その手前に踏みとどまりたい。良い事を教・おそ わった。


 ある日突然 40億円の借金を背負う ―それでも人生はなんとかなる。湯澤剛 PHP研究所

 あまりにひどい状況だと、心では死ぬなんて思っていなくても、身体が動くことがあるそうだ。見出しにあった。読んでみて、納得できる話だった。あまりにがんじがらめになったら、人間どうなるかわからない。その恐さを感じた。

 

施設;;::

 昨日は、首が潰れていて、炎上した。前々日も、じっちゃんがものすごい勢いでドアを開け、使わせろ みたいに来た。まあ、すぐ明け渡した。2回目もまたきた。3度目でトイレ掃除ができた。しつこかった。それだけ僕にとってロスタイムだし、無駄な動きが多くなって負担になった。
 次の日は、介護士もドアを勢い良く開けた。そして昨日は炎上だった。全体的に僕に対してうるさくなり、絡んできそうだった。あそこまで敵意が来ると、跳ね返すのにえらいパワーを使う。最終的にはペニスを僕が隠しているのが原因だろうと、ペニス抱きしめ・コンパッション で対抗し、成功を収めつつある。これをやらないと潰されそうだ。くそう、うるせえ。男とか、ペニスとか、抑圧者である僕のウィークポイントだ。周りはゲームで祝祭だと思って攻撃するのだろうけれど、こちらはえらい迷惑だ。すごく大変だった。今も疲れている。

 施設の作業量も増やされた。出来るであろう量を申し付けてくるけれど、僕にとってはいっぱいいっぱいだ。だんだん負担が重くなる。一人前の量だとか前に書いたけれど、その2倍くらいは大変になりつつある。終わるまでの時間も長くなる。
 手は抜きたくないので、意識的には作業を間引いて手抜いていない。でも、失敗して手順を飛ばしてしまったことはある。