誰も威張れない:個人が多数集まる集団:スペックが違うだけだ

 施設で、介護士の人のことを批判する気持ちを持った。あの人はこうでどうだと。

 で思った。僕は批判することで自分を偉そうな立場、上から目線でその人をわかったふりをしようとしている。

 その人のここがいけないからダメなんだと。それって、自分を棚上げにして、偉そうなところから鉈・なた を振り下ろして断罪する大バカヤローのすることだなと。

 そこには、僕はただの一人のちっぽけな人という、その人たちより最低かもしれない自分を正当化する鎧・よろい をまとっていると。僕はただの一人の阿呆・あほう 爺さんだという視点を忘れている。

 結局僕もその人たちもただの一人の人で誰にも人のことを上から断罪する権利はない。どの人も一つの世界で、一人の人は特性を持っていて、みな違うスペックで活動していて、誰も否定される存在ではない。一つの世界が多数ある集団が施設で、介護する人も入居者も一つの世界で掃除でかかわる僕もただの1つの世界として参加している。その人の感想は言えても、断罪する権利なんてないし、上から目線でやること自体自分を忘れている、ただの個人だということを。


 施設での作業時間も多くなってきた。作業にも慣れきた。毎日同じことを繰り返している。うんざりするし、逃げ出したいというのが本音。子どもの本音。やることの分量は、最近少し減っている。減らしてくれている。
 同じ負担負荷がかかり、ゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。なにがなんだかわからなくなりつつある。自分の信じてきた自分が見えなくなってきた。自分というこだわりが変な気もする。自分はこうだと言えなくなりつつある。多数の人間の中で揉まれて、作業時間も一定数を超えて、自分を囲ってきた枠がぶっ壊れそうだ。自分も他者もいらない。同じ職場に投げ込まれた人間がいるだけだ。疲れてもいる。僕は週休2日位だけれど、週1で働いている方もおられる。誰も自分が持てる以上の仕事を抱え、一杯頑張っている。誰も誰をも言えない。仕事が回り、施設が回っている。入居者も閉じこもって息苦しそうだ。このシステムってどうなんだ。改善点を変えれば良くなるのか? 誰も悪くなく、ただ大変だ。そんな印象を持っている。