周りの咳に僕は責任を持たない。関係づけない。相手にその理由を持ってもらう。


 昨日は調子が悪く、攻撃を受けそうだった。全部敵だった。程度としては悪い方だった。
 施設でおばあちゃんがゲームを始めて、掃除しているトイレに来るのだった。そのため空けねばならなかった。手間が2度3度となり負担が大きくなった。それは今日も続いた。今日は持ち直して調子は通常だった。

 辛ラーメン:インスタントで赤いパッケージに入っている、いかにも辛そうなの を食べた。滅茶苦茶辛くて、想像以上だった。鼻水をダラダラ流し、涙をダラダラ流して食べた。とても苦行のような楽しい食事だった。おいしかったけどね。

☆☆☆ 僕は周りが咳をして否定してくると、自分と関係づけて何か気に食わないのだろうと思うのだった。その相手と自分の関係付けで、本当に相手が否定して、僕がそれを自分に向けてのものだ、自分と関係あると思わなきゃならないのか、という疑問を今日は持った。

 僕が音を大きな音を立て、それに呼応するかのように周りが大きな音を出したとする、それは気に食わないのだろうと、自分の音と周りの音を関係づける考え方をする。これを卒業したいと思った。

 僕が大きな音を立てて、それに実際に気に食わない周りが大きな音を立てても、それは周りの人間の感じ方考え方で、自分とは関係ないのではないのか、関係づける必要はない。相手にその理由を持たせて、僕がその理由原因を持たない考え方をしたいと思った。相手の考え方、感じ方、行動で、僕はそれに責任を持たない関与しない、という方向で行きたいと思った。

 ここを関係づけていると、いつまでたってもグチャグチャで、訳が分からなくなってくる。僕が今まで関係づけていたのは親との関係で、特に父が不機嫌でお前が悪いから怒る、みたいな人だったからだと考える。僕のちょっとしたことに反応したり否定する人で僕は委縮してきたのではないのか。