糞、見せびらかし親父め、待っとれよ。

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 昨日は、いつもと違う変則シフトだったのに遅刻した。そのせいか、今日の割り当ては過重負担だった。ごみ集め捨て全部一人、共有部洗面トイレ全部、共有部廊下2F3F と、ヴォリューミーだった。終わるのが30分も遅くなった。何とか回そうと必死だった。ばかやろー。(とりあえずいってみた)

 おわりころ、僕の今日の調子は悪いのか? と思って、整体への道を歩いて、ひどく調子が悪いのに気付いた。整体で治してもらって、余裕ができた。それで僕がやったのは、周りのやつらのペニスを切断してやるという気合だった。これを周りのやつらにバラ撒いた。これでも食らえ糞野郎!!! とばかりにおこなった。

 このペニス切断は、本当のところは、父だろうと思った。父にペニスを見せびらかされ、僕はまだ乗り越えていないようだとかんじた。

 周りのやつらのペニス切断という気合は、僕を活性化させ、周りとのバランスがとれる布石になあった。やはり父を越えていない。父の下にまだ僕はいる、乗り越えていない、舎弟になっていると感じた。父のペニス切断というイメージが僕を能動的にさせる。この気合は、まだまだ使え、本当に隠れている抑圧と大いに関係ありそうだった。明日も朝早い。2回くらいだけ歌って寝よう。くたばれ糞爺の親父め!!! かならず乗り越えてやるからな、首を洗って待っていろ!!! と、気を吐いた。

カウンセリングでのセルフ・コンパッション

 カウンセリングを受けました。

 セルフ・コンパッションについて書いたブログを読んで頂きました。

 そして、幼稚園の時の男の子の僕がキリスト様に両肩を抱かれている所などをやって頂きました。


 しかし、僕はキリスト様をイメージする力が弱く、愛を受け取るイメージも弱い。それでこちらから愛を送るイメージをやったらどうかとなり、
 でも弱いので、日常で愛を送ったり受け取ったりするイメージをやって行ったらどうだと、カウンセリングの先生に提案されました。

 僕がキリスト様を登場させたのは、母は僕の愛を受け取らないし、愛をくれるイメージもない。父は論外。だからキリスト様というイメージ(僕にとっては大事な人型の愛をくれる存在です。本物とは別の、仮想僕にとっての愛の象徴をキリスト様と呼んでいます。

 カウンセリングの先生から提案して頂いたのは、キリスト様、熱いお茶をどうぞ飲んでくださいと、心を込めてイメージする。キリスト様、お風呂を沸かしたので入ってください。一番風呂ですよ、ゆっくり浸かって疲れを癒してください。キリスト様、お腹が空いたでしょう、僕が握ったおにぎりを食べてください。などと心を込めてイメージする。
 逆にもらうのは、今日もおいしいご飯を頂けるのはキリスト様のおかげです、おいしいです、おいしくいただきます。と心を込める。
 今日もねぐらがあって、洋服を着てファッションを楽しめるのはキリスト様のおかげです、どうもありがとうございます、などが僕のやり方として浮かぶ。

 カウンセリングの先生の言うには、ありがとうが分からない人も、一万回唱えると、無理やり回路ができて、ありがとうが形からわかり、定着するというもの。僕は父母から愛をもらわないで、拒絶もされたし、だからなおさら、日常に落とし込んで、日常で回路を作るべく、日常でキリスト様とコミュニケーションを取る必要がある。お地蔵様でもいいと思うけれど。僕はキリスト様。普通の人でもいいけれど、普通の人のイメージは持たないので、愛の象徴キリスト様を普通の人みたいにコミュニケーションを取る人型対象として設定して、そのキリスト様とコミュニケーションを毎日とって、無理やり愛の回路を作る、でっちあげる、捏造する、鍛造する、こしらえる、必要がある。

 愛の回路を作る大作戦を敢行する必要が出てきた。日常でどこまでできるか。いまやるなら、このブログを書けているのもキリスト様のおかげです、どうもありがとうございます。のような感じか。

 これを読んでいる方で、同じような症状をお持ちで、愛の回路を作るなら、僕とスタートランは一緒です。一緒に頑張りましょう。では、バイチャ。

セルフ・コンパッション2

実践3 苦しさを抱きしめる 実践4 過去の傷を癒す 実践5 さらに深く探る

これらを読んで感じたものは
 僕が幼稚園で一人で母親に対して抑圧した時、孤独を感じていて、たった一人で母に抗っていた・あらがっていた というもの。
 だから、キリスト様に抱きしめてもらうという、大人の自分が抱きしめるのではなく、第3者のキリスト様に抱きしめてもらう、一人じゃない、愛されるべき存在だ、見てくれる人がいて、大事にされて、孤独ではないよ、というメッセージが、そういう形でかかわるのが一番いいと感じる。

今日一日を振り返って
 今日は調子が悪かった。みんな敵みたいだった(施設で)
 自分が調子が悪いと気づくまで、キリスト様に心の抑圧に触れてもらう、温かく、光に満ちた手で触ってもらうというイメージを使っていた。

無印で
 女がうるさい音を立てながらカートを押してきた(店員) 向こうが様子を窺っていて、僕はぽこちんを出っ張らした(勃起ではなく、持っている、存在しているというもの)。そしたら去って行った。
 男を抑圧している僕は、男としてキリスト様に抱きしめてもらうのがいいかもしれない。と思う。

また、
 p66のほかの人からコンパッションをコンパッションを受け取る

 は大事だろうと思う。キリスト様から大事にされているという、そういうメッセージは必要だと思う。その人をイメージするという、他者をイメージする力は僕は弱い。内向してきたから、外へ向かうエネルギーは弱いと思う。

本:セルフ・コンパッションのやさしい実践ワークブック(星和書店) を一日やってみて::::

 カウンセリングの先生が中島美鈴さんの本は使える、と言っていたのを覚えたので、

僕としては読んでみたいと、図書館とか買ってとかで集めようとした。

買った本として、

〇 セルフ・コンパッションのやさしい実践ワークブック、ティム・デズモンド 訳:中島美鈴、星和書店、2018/10 1800+税

僕は中古で購入しました。届いたのは状態のいい本で、助かりました。新しい感じの本で集めたかった。この本、クリーム色の表紙カヴァーで、植物が描かれている。good !

 で、やってみた感想を紙のノートに書こうと思いましたが、ユニクロ赤塚不二夫のノートを買っていた。まだ在庫がある。

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そのほか、スニーカー黒、ハイカット 古いバージョン売れ残りもサイズ展開多数で、僕が金をかけずにファッションを楽しむのに手を貸してくれた。

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で、おそ松くんの赤塚不二夫に手書きで書きつけた文を書き起こすと、


「 部屋でボディスキャンして、お腹に強張り・こわばり と重さを・硬さを感じていた。僕はキリストに抱きしめてもらおうと思った。

※僕はまだ信者でないですが、愛を惜しみなく注いで光をくれる存在としてキリストが最初に浮かんだ。もちろんこの僕のやろうとしていることにキリストを引きずり出して使って、ダシを取る気はないです。僕にとってのキリストで、本人キリストとは別物です。都合よく使おうとしているのでもありません。愛という対象として、真っ先に浮かんだのがキリスト様だったので、僕のノートに出てくる存在は、信仰としてのキリストではなく、僕にとってのキリスト様です。

p66 1. 他の人からコンパッションを受け取る

 キリストは手を差し伸べて僕のこわばりを包み、光で照らし、抱きしめられた。そのとき、実際に雲が晴れて光が部屋を照らした。(偶然なだけだが)
 キリストが僕のこわばりを愛し包んでくれた。

p103 自然なコンパッション
〇誰かに送る実践 1.
〇誰かから受け取る実践 2.
〇送って、受け取る実践 3.

 これをキリストと向き合って行った。
1. キリスト様が愛と共にありますように
2. (僕の名前)が愛と共にありますように (キリスト様から受け取る)
3. キリストと僕で愛を送ったり受け取ったりした。

 この回路(愛の回路)を使ったことがないので、面白い感じがある。これは使えると思った。そして効果があると。これは続ければ必ずいつか結果が出ると思う。

p112 実践8 喜びを育む

 本に、実践目標ともいうべき指標が出ていて、それを読むだけでも勉強になる。(とても良い文章)
 僕はカウンセリングを受けていて、突然自分は幸せだと言い出した。実際、トイレ掃除をしていることは幸せだ。(やっている時は苦しいが、目標は叶ったし) でも、本にあるように何一つ目標が叶わなくても今現在、僕は幸せと言えると思う。
女がいなくても幸せだろう(本にもそうは書かれていないが、類推できる)。何かがあれば幸せというものでもないと思う。自分で幸せだと決定していい。世間の指標ではなく。

Rafael Aguirre のギター
世間では Cavatina という曲だと思うけれど、スパニッシュかポルトガルでは Solidarity というのか? よくわからないけれど。

この曲とても美しい、聞き入ると、泣いてしまいたくなる時もある。アギーレの首を動かしながら手を動かしながらを見ているとグッとくる。録音は悪いが。この人を知ったのは、BSNHKの朝5時クラシック倶楽部という番組。その演奏でアギーレさんを知った。とても素晴らしかった。弱音が特に惹かれた。弱い音がとても魅力的に感じた。声高に演奏しないし、テクニックに溺れるわけでもない。星空は運行している、というような演奏で淡々と確固とした世界が紡・つむ がれているように感じた。

雑記

整体の先生のところに行きました。またもや、押して欲しくないツボを見つけられ、グリグリとやられる、という表現のように治療されました。治療して頂きました。
 押して欲しくないツボというのは、僕の首が潰れている原因の、まだ発達していないツボらしく、先生は見つけられ治療のために押してくださるが、シークレットツボともいうべき、僕の弱点の・押して欲しくないツボなのでウウッとなるのでした。それだけ治療効果が高いと思われますが。

 先生にはよくして頂いていて、僕が首の潰れで頭打ちとなり、自己循環ともいうべき、調子の不調から抜けられないでいた、調子がある一定以上よくならないのを変えてくださったのは、2人の整体の先生のおかげです。

 先生に治療して頂いて1か月くらいで、仕込んでおいて頂いた部分が伸びて、次の段階へと向かうのでした。それだけ僕の調子を導いてくださり良くなっている証拠です。

 先生のところに通う日は、僕にとってのハレで、嬉しい日で、体に手を入れてくださるのでありがたい日なのでした。今回も居眠りしてしまいました。10秒くらいだったと思われますが。先生には安心して治療して頂けます。

 僕は自分にできないことを、4人の先生方によって快方へと向かっています。精神科の先生、カウンセリングの先生、整体の先生2名の方々。自分の力だけでやろうとしても無理なことを、先生方の力で導いて頂いています。


 作業所で、先輩の一人は熱い方です。すぐ怒られますが。共有部分4フロアくらいを毎日担当されています。ものすごく負荷がかかり大変だと思います。僕は今日ワンフロアだけやりました。モップかけです。モップはきついです。摩擦が大きく、腕を左右に振るとかなり疲労します。
 リーダー2名の方も、毎日ユニット(入居者様の生活廊下)ワンフロア担当されています。障害のある僕たちからも女性が1名ユニット・ワンフロアやっています。ユニットをやるのも負荷がかかります。
 僕が大変だと言っても、先輩方よりは楽だと思われます。その意味で、頭が上がりません。僕なりには頑張っているつもりでも、実際の負荷は少ないだろうと思う。

 一緒に清掃をしている女性に脈があるのかどうかよくわからない。なくてもよいが。

 食堂で、介護の中年女性がみそ汁を装ってくださった。手渡しで頂いてありがたかった。誰かに手渡しで頂くのは、父母と離れ離れになってから初めてだと思う。人間らしく扱って頂いた。

 メルカリで映画を売った。映画は利ザヤがあり、ポケットにお金が入る。もちろん映画一回分くらいのお金は安くなるけれど。(買った時の値段よりは安い値段で売っているという事です)(安く売らないと買っていただけない)

 精神科のお医者様にも診て頂いた。ハッピィだという内容に、先生も何かを感じたらしく、こちらを向いて話してくださった。僕も先生との診察でそのような内容になるとは思ったことがなかった。

・ まる得マガジンで はじめてのミシン が始まっています。僕は本屋で見つけて、これから追っかけで見る予定です。

雑記::::;

しつこく施設の話。

 8:30にはスタンバイしてスタートした。タイムカードは9:00にした。あまり調子は良くなかったのかもしれないが(終わりころ特に)、便器を磨いていて、便器自体に攻撃を向けようとした。僕は物とのバランスが、もののほうが一段高くて、僕は一段低いという関係だった。だから、ものに攻撃を向けられたのは進歩だった。そして攻略という言葉が浮かんだ。時間内で早く終えるためには、攻略しようとすることになる。それのさわりまではできた気がするが、すぐに調子が悪くなって気が散ってしまった。

 調子が悪いような気がしたが、時間内にノルマを終えられて、上司とかにも普通に接して頂いた。めでたしでした。疲れた。
 ノルマをこなすのに、いつもは小さいスポンジを使っているけれど(洗面台)、大きいスポンジを使ってみたりした。それが時間を早くするのに役立った。

 欲しいものをすぐ買わないで、発酵させて、時間をおいてから買う検討に入るようにしているものもある。買う量はセーブできている。本のアイデアだが、少なくとも一日待ってから、3日待つとなくてもいいやのものも出てくる。それが節約と無駄遣いをしないのに役立っている。

 熱は冷めるものだ。偉そうに語ります。

 メルカリで博多人形が売れた。儲けはない。梱包にお金がかかるし、徴収金もある。友愛バザーに出す感覚だと思っている。欲しい人のところに物が渡る。なんせ送料がバカにならない。

 カウンセリングの先生にも話したが、僕は今happyだと言っていい。トイレ掃除はできている(下痢便対処可)・まあ満足している、部屋で歌も歌える、日常生活に不服がない・まあ満足だ、だから平和でハッピー。施設もやめる時期が来たら粘らず辞めてもいい・ものすごく調子が悪くなったら。しつこさと割り切り。
 先生と話したが、ADHDだけれど、僕は時間を守るのは得意だ。その点はありがたい。部屋は汚い。この間居間の掃除機をかけたらスッキリして、もっと早くしておけばよかったと感じた。

 織りとミシンを習いたいが、まだ度胸がない、踏み出せないでいる。

 女性と寝たい、汚い行為に耽りたい、動物として解放・つながりたい。

まだ施設の話です。

 今朝は、9:00出勤を8:15分くらいにはスタンバイしました。上司が付き合うというのでゴミ回収をすぐしました。結局、作業として早く出勤する必要がないのに早く出かけ、30分多くお金をもらいました。見合っていませんでした。帰りも、嫌な顔をされました。

 僕は満足したのでいいのですが、スタンドプレーで、迷惑をかけました。いつもに戻します。それでも30分前にはスタンバイしようと思います。勉強になりました。

 女性にカートを借りるとお伺いを立てました。初めて顔を見て話しかけました。よく見るとこういう顔だったのかと思いました。好みではなかったです。嫌いも好きもまだ話しかけただけです。僕自身にとっては話しかけたので一歩前進です。後は焦る必要がなくなったと思う。


 カウンセラーの先生に勧められた本、

ホームレス中学生 田村裕 幻冬舎文庫

 を交通機関で読み始めた。おもしろい、失礼だが。文章がうまいで。文がうまいなあというのが第一印象。内容は、家族解散の話で、僕の一家も解散してしまったので、そこのところに共感は持てるけれど、僕は路頭に迷ったわけではないので、田村さんのほうが数段大変で上だ。まだ最初だけれど、よく耐えたなあと思う。そこはすごい。

掃除は光:::施設を明るく照らす:::

しつこいですが、施設の話。

 今日も2フロア、モップかけをした。今日は昨日の半分の量なのに、ボディブローのように効いてきた。登山と同じなので疲れた。重くなった。負荷がかかった。これを毎日やっている先輩には頭を下げないといけない。

 便器磨きをしていて、掃除は光だと思った。きれいにすることで、施設自体が清潔に光に包まれる。僕たち掃除班は施設を光に包む仕事をしている。ほかの、事務、食事、介護班と共に、施設をよくしようと奮闘している。みんなで盛り立てようとしている。

 もちろん主人公は入居者で長い年月生きてこられた方だ。居住者の方々は昔は家族を養ったり、家庭を築いたりした方々だが年を召されて能力が少なくなった方々だ。居住者は主人公で施設内ではくすんでみえるが、光り輝いていることだろう。生きていることは光だ。生きることで光に包まれている。出来ないことは増えただろうが、光り輝く存在だと思う。居住者のために僕らはいる。

大変なのは苦手です(本のこと)。

興味はないかもしれないけれど、続き。
 
今日も8:30から始動、先輩の一人が休みなので僕がその作業を割り振られた。共有の廊下の廃塵・はいじん(掃き掃除・モップ(T字のようなグラウンド整備に使う道具に似ている)の先にフェルトみたいのをくっつけて押してごみを集め取る)、モップ作業。

 ついにこの作業を僕がやることになった。はたから見ると楽そうだけれど、予想通りモップはキツイ。負荷がかかる。ホイホイ、ホイホイとモップをかけるけれど疲れがかかってくる。山登りに近い感覚。入った時に、一番モップが大変そうに見えたけれど、一番大変かどうかはわからないけれど、負荷はかかる。これをやることによって、掃除の全貌が見えた気になった。はたから見るのとやるのは大違い。やってみると、距離が大きいので負荷がかなりある。5、4,3,2F の共有廊下を担当した。掃除に対してのお腹いっぱいになった。他の作業もやった。ここには書かないけれど、昨日みたいなことをした。

 最後の時間に、午後からこの作業をやって、30分かけてワンフロアという速度だった。


 4日くらい8:30位から始めたので、上司が4時間半勤務にするか? と聞いてくれたが、今のところ4時間でお願いした。いつも8:30にしてしまうと、今より早く着かないといけなくなる。ちょっと自分の様子を見たい。どれだけ続くか、できるか? 


 僕は今かなり早起きをしています。8:30に着くためにはやくに家を出る。起きるのもそのためかなり早い。寝るのが早いのは僕の専売特許だが。早くいくには寝る時間も早くなっていく。8:30に固定されてしまうと、8:10分には着かないと。


 まあ、仕事を割り振ってもらって、やることがあるのはありがたい状況です。大変で忙しいのは仕事が動いている証拠です。僕は今ありがたい状況にいると言える。本音では、逃げ出したいという気持ちも心の隅っこにある。それはけっこう大変だからです。僕は大変なのは苦手です。だから本を全部読まず読みかけになっています。大変になってくると山を越えず投げ出す。いつもそのパターン。だから何も身につかない。

労働提供:甘えられない。

 関根恵子のヌードをグーグル画像検索で見つけてプリントアウトし壁に張っている僕です。関根恵子はべっぴんさんです。その顔立ちと乳に惹かれます。これ以上の女はいないのではないのかという理想形です。男の妄想をすべて消化するのではなかという完成形です。

 今日施設で、月曜日は上司がいないので一人でゴミ集めをすることになっています。30分前に準備が終わると、パートのリーダーが5Fでゴミ集めをして手伝ってくれていました(リーダーは8時出勤、僕は9時なのだけれど8:30から始動した)。これはありがたかった。一人でやると、土日の大量のおむつとかを集めなけれいけないのを手伝ってくれているのだから。1Fもリーダーが終えていました。5、4、1Fと手伝ってくれました。ぼくは3,2Fだけ一人でやればいいだけになった。


 9:30には終わってしまった。そして共有スペースの洗面を全部終えて10:30、1時間の余裕が生まれた。それでリーダーのところに行って、手伝ってもらって時間があるので何か割り振ってくれ、みたいなことを言った。そしたら4Fのユニット・居住者空間の洗面をやれ、との指示を頂いた。

 ユニットの掃除は緊張感がある。介護士さんもいるし、居住者さんもいるし、僕たち掃除夫もいる。そして1時間で全部やるというノルマもある。いつも通り焦ってやった。終えた。食事に行き、20分で全部終了。

 本当は休憩なのだけれど、僕は休みを取らないでいつもやっている。それは僕がのろいためと、寄りかかってもいられないため。早くノルマを終わらせたいためもある。今回も12:00から共有のトイレ掃除をやった。共有というのは、居住者さんの空間ではない、僕たち職員のための空間にあるトイレのことです。

 今回も休憩を取らなかった。本当は休憩欲しいけれど、それをやるとノルマは終わらない。僕のペースだと。泣く泣くすぐ取り掛かった。やりながら厳しさを感じた。ゴミ集めを手伝って頂いたのはありがたかった。けれど、祖の浮いた分、ユニットをやり、休憩もいつも通りなしでやり、結局甘えていられない。本音で言えば、手伝って頂いて浮いた分、のんびりしたかった。けれどそれはできない。手伝っていただいたのに、お返しをしないわけにはいかない、時間も余ったし。全く甘えられない。いままで、給料をもらい、昼食を出して頂き、仕事を頂き、みなもらってばかりだったけれど、今回から、僕も労働を提供しなければならないなあと思った。もらってばかりというわけにもいかない。甘えることもできない。僕にできるのは労働を提供すること。

女性との関係だって、肉体をもらいたいと考えてきたけれど、そうではなく、女性にも僕は与えなければならないのだろうなあと思った。女性になにがしかの労働のような提供をしないといけないのだろうなあと。たとえば、晩飯づくりを半分半分にするとか。掃除機かけは僕が担当するとか。そのような女性にも提供しなければならないのだろうと想像がついた。


 僕が主体となって、労働を会社に提供する、早めに出て、休憩を削り、労働を提供することはできる、そのような提供をすることを僕はしていく必要がある。もらうのではなく、僕が自分で与えることをしていくと。本音は甘えたい。けれどやっていく必要がある。今回は転換点だなあと感じた。厳しいなあと。甘えることはできないなあと。

 午後のトイレも時間内に終えて、ノルマ達成。トイレットペーパーと、ペーパータオルを時間があったので少し補充した。労働者なのでした。

 本当は甘えたいけれど。甘えたくてしょうがないけれど、親に甘えたことがないけれど。労働を提供していく。 厳しいなあ。まあ、労働時間が短いけれど。
 今回面白くなかったでしょう。でも、僕にとっては一大事なのでした。

カナディアン・ブラス ビートルズ ペニーレーン

カナディアン・ブラス ビートルズ

何曜日だったかの朝5時くらいからの、NHK BSでカナディアン・ブラスの映像が流れた。ビートルズ・メドレーもやり、これが軽やかで全く力みがない爽やかな演奏に驚いた。トランペットを力みなく吹きこなす力量があるからできるだろうその演奏に引き込まれた。この演奏も、僕が見たメンバーと同じかはわからないけれど、軽やかで小気味よく、颯爽としていた。素晴らしい。CDかDVDで見たいと思った。テレビも録画しなかったのは今後悔している。

カウンセラーの先生に読んで頂く文章

先生 よろしくお願いします。

 自分の心の世界に関わらず、外側に目が向くようになったのは、
先生に、父問題・母問題・僕の問題をやって頂いて解決してきたのも大きいと思います。内面に問題が減って、外側に目が向くようになった。そして整体の先生に首を伸ばして頂いて安定してきている。
 僕は本を読んでも、話しても、見ても、心の世界に関わって目が内向してきた。自分の外側の現実界に目が向くように少しなりました。
 辞書に書いてあるのも、心の世界に遊ぶためではなく、現実界で問題を扱うため、現実界のルールや定義を提示して個人が現実界を扱えるよう言葉・英語を規定している、というものなのかもしれません。

 掃除をしていても、今日は内面に関わってしまって、現実の掃除に関わっている感触が昨日よりは少なかったです。
 掃除をして、現実界で何が行われ(自分の行動、掃除をしている、というのが現実で、/ 心の中でゴチャゴチャしているのは内面問題・心象問題に関わりすぎているためだと思う。現実で何が起きていて、自分は現実界で社会的に(施設での清掃・僕の場合)何をしているかの行動がすごく重要だという事に気が付きつつある、他の人は現実界でパンを焼いたり、食事を作ったり、事務作業をしたり、介護をしているのだろう(
施設)。僕はその中の便所掃除を担当している。今の僕にとってはすごく大事なこと。

 昨日上司との会話で、すごく助かっていると言われた。僕は作業が遅いし、睨まれているかと思って、言ってもみたけれど、丁寧な作業が評価されていた。ありがたかった。否定されると思っていたから、ちょっと意外だった。
 僕は作業の手数はなるべく省かないで、手を入れていきたいとやっているので、評価されてありがたかった。
 しかし、今日は今日の風が吹いていた。やはり今日も作業が遅いので、食事時間以外は休憩を取らず作業した。調子はあまりよさそうではなかった。帰りの交通機関での周りの僕に対する接し方を見ても。(今日の周りは、変な奴がいるなという態度だったけれど、遠巻きに接してきた。いつもは直接否定したいという輩・やから ばかりなのだけれど)

 自分の調子もあるので、いつ辞めてもいいように、その日ごとに全力を出していきたい。

 作業所の一人の女性が気になっています。40代の方だと見えています。職場だとまたごちゃごちゃになりそうですが、わりといまは感触がありそうだと独断と偏見で思っている。まだ2回くらいしか目を合わせていない。挨拶はするという関係。
 

 家の自分の部屋で計画を立てて、新聞整理をしましたが、時間内で終わらず延長してやって、他のことができなかった。他のことにまで影響を出して、新聞は片付いても、別のやりたいことができないまま終わってしまった、ということがありました。
 この問題はやはり、時間が来たら切り上げるべきなのでしょうか。その方がいろいろできてよさそうですが、時間切れのものは溜・た まってしまいます。
先生はどう思われるでしょうか。

 小走りに出かけました。5時ころ出かけて、頂上付近で前を行く人が気になり、別の道を行き違うコースを取りました。距離はいつもよりは少し短いかもしれません。

 英語を、の行きでやっています。英英辞典と英作文の簡単なの。

 台所の掃除洗いはやらない日がほとんどでした。トイレもほとんどしなかった。

 様は、首を伸ばして頂いて、次の日固まる、という事はなかったです。

 :::読んで頂きありがとうございました。:::

僕は幸せ者だ。(不完全で追い立てられた機能不全ではなく)

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 僕はいつも何か不自由な、満たされない、不完全な人間として感じてきた。だから何かを取り組むことで完全になるというイメージだと思う。

 作業所では、施設では、ユニットという居住者さんの場所にあるトイレ洗面台も少し担当することに、負担が増えることになって3日くらいたった。とにかくノルマを全部こなすことに全力を挙げてきた。それができて、今日は不満を持った。こんなに負担が多くてずっとやらなくてはいけなくて、いつまで続くんだと。大変すぎると。

 この考え方不健全だと思った。それは上司と別れの挨拶をして僕が不満を持っていることに自分で気づいたことから。

 僕はこの施設にトイレ掃除をやるために来たと言ってもいい。掃除をするために。その掃除のために来たという当初の目的は、この掃除夫の一人として負担すべきノルマをこなせる、まわせる力を僕は持っている、一日で与えられたやるべきノルマをこなせるということで夢はかなえられたと言っていい。僕はこの施設の掃除夫として一人前になった。明日のことなどいい。今日という日にこの施設の掃除を一人前としてこなせる力を持ったと言えるので夢はかなったと考えていいことに気づいた。
 負担が重いとか、ずっとやらなくては、とかは父母との間でかけるようになった、歪んだ眼鏡でみているからの不満で、感謝こそしてもいいけれど、恨むような心持ちは歪んでいると。
 ここまで掃除夫として育ててくれた、一人前にしてくれた施設に感謝するのが筋だと思う。僕は父母の色眼鏡を捨てるべきだ。一人前の掃除夫なのだから胸を張っていい。この施設の掃除を回しているのは僕なのだから。まあささやかな一部分だけれど。

 これに関連して、僕は何かをしなければならないのにやらないというのは、不完全だという感じ方は、本当のところ、僕は何をしなくてもいいのではないのか、何もしなければならないということはないという、しなくていいという状態が本当は正しいのではないのかと言えると思う。しなくていい権利。それを保有していると。何もしなくてもいいというという状態が本当の僕だと思う。
追い立てられるように焦っているのは、しなくてはという父母との関係で勉強しろと言われ続けた、圧力をかけられた古い眼鏡で見ているから。今の僕の本当の状態はなにもしなくていい。

 こう見てくると僕は幸せ者だという考えが浮上してくる。週1で走っているのも、中学生のころからやってみたかったことだし、それが叶って・かなって いる。
 前の作業所で着物の解体を担当したのもやってみたかったことだった。家で歌いたかった気持ちも叶っている。
今日は職場までに時間があったので、朝、スマホで写真を撮って歩いた。5枚くらい撮った。街中の景色の写真。見返しても、よく撮れていると思う。写真がうまいという意味ではなく、歩いたことの無い道を歩いた新鮮感が自分にとって感じられたから。

 僕は本当のところ幸せ者で、幸せを感じるのが筋で不全感に蝕まれるのは・むしばまれるのは、父母の色眼鏡を捨てないからだ。
 
 僕は幸せ者だ。

雑記:腰からぶら下げるメモ帳を自作した。

施設で使う、腰からぶら下げるメモ帳を自作した。
カッターケースをpronoで購入。そのほか、メモ用紙に書けるように下敷、ボールペンに紐をつけるためにリング小も100円ショップのセリアで買った。ピンクのひもは、30年くらい前に買った釣りに使うひもで丈夫です。ただ色がピンクなのがいまとなっては似合わないな。

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ピンボケ写真でごめん::
下敷をカッターケースに差して使うためにこの形にカット。ノートもそれに合わせてカット。灰色のが下敷です。このメモは、腰からぶら下げて使うために少し大きくしたかった。実際に使ってみて、ノートが動きで擦れてめくれ上がったので、黒のダブルクリップ5個くらいで周りを止めて使っています。使ってみての感想は、ダブルクリップで留めると書ける面積が減るけれど、実用に耐えることができている。まだ改良の案が浮かばない。現在使っている最中で、不便さや改良の案が頭に浮かばないためこのままで使うことになっている。

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丸パンという、電子図書のカフェご飯みたいな本のを作った。パンはもっちりになってしまった。もう少し温度を上げ焼けばよかった。まあまあだった。添えた小豆は、生協の大納言の缶詰で奮発した。セットで食べるとおいしい。本にある通りにしてみた。バターがパンに載っている。
これを作ることができたのは、最近余裕がある証拠だと思う。調子が悪かったら作ろうとは思わない。満足した。

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 僕の地元では、作業所で働くのに計画を作るのだけれど、計画を作る職員の方にいろいろ電話で聞かれた。50分も話した。コロナだから対面できなかったらしい。疲れた。話してみて、自分のことを落ちこぼれだと思って日々過ごしているけれど、いろいろやっている僕は、結構頑張って日常を回していることを職員さんとの会話で自己認識した。それだけ、自分のことを聞いてくれる存在というのはありがたいものだった。ありがとうございます。
 この家の中のものは、僕が動かなければ、一センチも動くことがないのだから、僕は結構頑張っている。そういう視点をもらった、気づかせて頂いた。


・ 施設でトイレッとぺーパーとタオルペーパーを補充したりするのだけれど、高齢者が住むところのトイレに補充します。ただ補充しても芸がないので、トイレットペーパーを引っ張ってカットして使うわけだけれど、カットすると次に使う人が切れ目を探さなければならない。だから、少し引っ張って垂らしてセットすることにした。見た目はだらしないけれど、使う人にフレンドリーになるよう僕なりに工夫した。そういうところが楽しかった。


Alicia Keysのこのビデオを見て、この人はミュージシャンとして人に開かれているのを感じた。バックミュージシャンの顔を見てもにこやかで、Aliciaが周りの人を大切に扱っているのを見て取れた。僕はファンになった。この人はファンに対しても参加を求め、双方向の交流を持とうと動いている。ミュージシャンが取るべき方向性を教えて頂いた。アデルは、ゴツイ顔とどすのきいた声で圧倒しているが、開かれているようには思えなかった。
 Aliciaのビデオは、ミュージシャンは人々と共有するために存在する、というのを感じられた。



 施設はあったのだけれど、30分前に始めて、終わるのが30分後で、1時間の労働時間カットの3時間で全くうまみの無い日だった。早く出かけたり、遅くまでやるのは僕が遅いからなのか、分量が多いのか、要領が悪いから のようなのだからかもしれないが、僕のために仕事があるわけではなく、仕事があり、そのために僕が使われるという関係なので、愚痴を言っても仕方がなさそうだなあと雲行きを睨みながら肘や手足を突き出したくなる。(4時間勤務にしてほしかった)

 つくれる!! オリジナル・メロディ、自由現代社の、2010の本を読みだした。ギターもチューニングしてみた。続くといいけれど、どうだろう・・・


 カウンセリングの先生には、整体の先生が僕は才能があるのではないのかとカウンセラーの先生に話したというのを聞いた。僕は医学は暗いので、マッサージ師は向いているかもなと思った。だって、骨がどこにどうあって、筋肉のつき方はどうかなどアカデミックなことは苦手だから。
 また、父が入院して要介護5になってマッサージの真似事をしていたけれどそんなに悪い気はしていなかった。それなりに楽しんでいた。その線もあったなあとは思っていいと思う。

 
 出来て当然、あって当然という視点なので自信がないかも。何もないところから少し動いた、まわりにあってよかった、みたいな、視点を変えることができれば目線も低いし、自信が消えることもないかも。立ち位置が間違っているのだろう。それは親との関係性で、自分の立ち位置を誤ってきたせいかもしれない。10割出来て、10割あって当たり前という見方が変そうだ。何もないところに軸足が移ることができれば、ちょっとでHappyになれそうな気もする。


付録:これもAliciaと人々との時間と楽しさの共有を写し取っている。