実践3 苦しさを抱きしめる 実践4 過去の傷を癒す 実践5 さらに深く探る
これらを読んで感じたものは
僕が幼稚園で一人で母親に対して抑圧した時、孤独を感じていて、たった一人で母に抗っていた・あらがっていた というもの。
だから、キリスト様に抱きしめてもらうという、大人の自分が抱きしめるのではなく、第3者のキリスト様に抱きしめてもらう、一人じゃない、愛されるべき存在だ、見てくれる人がいて、大事にされて、孤独ではないよ、というメッセージが、そういう形でかかわるのが一番いいと感じる。
今日一日を振り返って
今日は調子が悪かった。みんな敵みたいだった(施設で)
自分が調子が悪いと気づくまで、キリスト様に心の抑圧に触れてもらう、温かく、光に満ちた手で触ってもらうというイメージを使っていた。
無印で
女がうるさい音を立てながらカートを押してきた(店員) 向こうが様子を窺っていて、僕はぽこちんを出っ張らした(勃起ではなく、持っている、存在しているというもの)。そしたら去って行った。
男を抑圧している僕は、男としてキリスト様に抱きしめてもらうのがいいかもしれない。と思う。
また、
p66のほかの人からコンパッションをコンパッションを受け取る
は大事だろうと思う。キリスト様から大事にされているという、そういうメッセージは必要だと思う。その人をイメージするという、他者をイメージする力は僕は弱い。内向してきたから、外へ向かうエネルギーは弱いと思う。