(対人関係:)顔と性を含めて全体を見ていると言えるのか。僕は性への視線を逸らし続けてきていた。


 カウンセリングを受けました。その前に母に会いに行った。母の全体を見ていない、顔だけ見たり部分しか見ていない。母の性を見ようとした。母の顔と性と合わせて全身を見ている、等身大を見ていると感じた。

 これを明日の作業所でやってみたい。



 カウンセリングでも母の性を含めた母の全体に会いに行った。地下室では暖炉がともり、その上にガラス玉があり、暖炉が母の性だとすると、ガラス玉は僕の抑圧らしかった。ガラス球を撫でているとお腹の抑圧と直結しているのを感じた。ロッキングチェアーもあったので揺らしながら座った。それは、ロッキングチェアーは性を意味するというのは本で読んだことがあったし、カウンセリングの先生に言ってもそういう意味を持つのは確かだと、そういうニュアンスを含んでいると答えていただいた。

 こういうアイテムがいくつか出てきたが、時間切れで終わった。

 でも僕は大満足だった。今日のカウンセリングの地下室はとても大事な気がした。特徴はつかめないし、ハッキリしないけれど、なぜか満足した。母の性というのが、母の全体、僕の全体、他の人の全体を掴むのに大事なのかもしれない、と感じたからかも。

   
 風呂に一週間は行っていない。気になる。頭だけ毎日洗ってごまかしてきた。