杭に頭をぶつけて、何か出てこないかなと、見当違いなことをしているらしい。

 最近は調子が悪い、中3日だったのが、中1日で調子の悪い日が来る。作業所ではみな敵みたいになったし、交通機関もうるさい。

 これに対抗するべく、男として死んでいるというキーワードから、今は母の顔を正面から思い浮かべて、その目をよく見るというので対抗している。本当は、イメージを締めたり刺したりしている。それは必要ないかもしれない。ただイメージの目を覗き込んで射抜けばいいだけかもしれない。これしか周りの現実の圧力に対抗する手段が浮かばない。あながち間違いとは言い切れない気もする。抑圧したのは母に対してだし、弱いのは母に対してだ。


 作業所のしつこい女に、ゲームをした。そのおかたは、スポンジをよく取り換える。今日も新しいのになっていた。その新しいので汚い鍋を洗った。スポンジは黒ずんだ。本当はたわしを使えばいいのだけれど、その女に当てこすりでゲームをした。ゲームをした私が全部悪いのかもしれない。意識で僕の頭を殴ったり、弁当箱を手荒に扱いその音を僕に向けたりして来ていた。それもスルーすればいいのに、対抗してしまった。その女は頭がよくないと思われるので、僕より高い位置に自分を置いて、僕を馬鹿にすることで自分を高めようとしている。それは、その女は僕に好意を抱いていた。僕はそれを知りつつ、妹のほうがいいと思った。そして姉を軽んじた。そのせいで、女は僕など最初から大したことはなかったのだと、自分の気持ちをすり替えたのだと思う。女の痛いところを突いたのかもしれない。僕にとっては女に意識でたたかれるというのは痛いところだ。ゲームの応酬をした。ここまで書いてきて、女と僕は同じ穴のムジナなのかもしてない。馬鹿なところはそっくりだ。相手も僕も引けを取らない。この話を書いている僕は非常に頭が悪いらしい。


 母に対して、まだ向けていない感情があるのではないのか。僕は抑圧しているから調子の波が大きいのではないのか。それは、くたバレエ、バレリーナおしんこ、死んじまえなまえなのかもしれない。
 これにも葛藤がある。母に甘えたいと正面切って言えていないし、満たされたこともない。将来的に満たされないだろう。母からは貰えない。別の人に当たるしかないかもしれない。

 何も出てこない杭に(くいに)頭をいくらぶつけても、どこへも行けないと思う。だから、カウンセリングの先生のマッサージが有効なのか。