雑記:腰からぶら下げるメモ帳を自作した。

施設で使う、腰からぶら下げるメモ帳を自作した。
カッターケースをpronoで購入。そのほか、メモ用紙に書けるように下敷、ボールペンに紐をつけるためにリング小も100円ショップのセリアで買った。ピンクのひもは、30年くらい前に買った釣りに使うひもで丈夫です。ただ色がピンクなのがいまとなっては似合わないな。

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ピンボケ写真でごめん::
下敷をカッターケースに差して使うためにこの形にカット。ノートもそれに合わせてカット。灰色のが下敷です。このメモは、腰からぶら下げて使うために少し大きくしたかった。実際に使ってみて、ノートが動きで擦れてめくれ上がったので、黒のダブルクリップ5個くらいで周りを止めて使っています。使ってみての感想は、ダブルクリップで留めると書ける面積が減るけれど、実用に耐えることができている。まだ改良の案が浮かばない。現在使っている最中で、不便さや改良の案が頭に浮かばないためこのままで使うことになっている。

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丸パンという、電子図書のカフェご飯みたいな本のを作った。パンはもっちりになってしまった。もう少し温度を上げ焼けばよかった。まあまあだった。添えた小豆は、生協の大納言の缶詰で奮発した。セットで食べるとおいしい。本にある通りにしてみた。バターがパンに載っている。
これを作ることができたのは、最近余裕がある証拠だと思う。調子が悪かったら作ろうとは思わない。満足した。

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 僕の地元では、作業所で働くのに計画を作るのだけれど、計画を作る職員の方にいろいろ電話で聞かれた。50分も話した。コロナだから対面できなかったらしい。疲れた。話してみて、自分のことを落ちこぼれだと思って日々過ごしているけれど、いろいろやっている僕は、結構頑張って日常を回していることを職員さんとの会話で自己認識した。それだけ、自分のことを聞いてくれる存在というのはありがたいものだった。ありがとうございます。
 この家の中のものは、僕が動かなければ、一センチも動くことがないのだから、僕は結構頑張っている。そういう視点をもらった、気づかせて頂いた。


・ 施設でトイレッとぺーパーとタオルペーパーを補充したりするのだけれど、高齢者が住むところのトイレに補充します。ただ補充しても芸がないので、トイレットペーパーを引っ張ってカットして使うわけだけれど、カットすると次に使う人が切れ目を探さなければならない。だから、少し引っ張って垂らしてセットすることにした。見た目はだらしないけれど、使う人にフレンドリーになるよう僕なりに工夫した。そういうところが楽しかった。


Alicia Keysのこのビデオを見て、この人はミュージシャンとして人に開かれているのを感じた。バックミュージシャンの顔を見てもにこやかで、Aliciaが周りの人を大切に扱っているのを見て取れた。僕はファンになった。この人はファンに対しても参加を求め、双方向の交流を持とうと動いている。ミュージシャンが取るべき方向性を教えて頂いた。アデルは、ゴツイ顔とどすのきいた声で圧倒しているが、開かれているようには思えなかった。
 Aliciaのビデオは、ミュージシャンは人々と共有するために存在する、というのを感じられた。



 施設はあったのだけれど、30分前に始めて、終わるのが30分後で、1時間の労働時間カットの3時間で全くうまみの無い日だった。早く出かけたり、遅くまでやるのは僕が遅いからなのか、分量が多いのか、要領が悪いから のようなのだからかもしれないが、僕のために仕事があるわけではなく、仕事があり、そのために僕が使われるという関係なので、愚痴を言っても仕方がなさそうだなあと雲行きを睨みながら肘や手足を突き出したくなる。(4時間勤務にしてほしかった)

 つくれる!! オリジナル・メロディ、自由現代社の、2010の本を読みだした。ギターもチューニングしてみた。続くといいけれど、どうだろう・・・


 カウンセリングの先生には、整体の先生が僕は才能があるのではないのかとカウンセラーの先生に話したというのを聞いた。僕は医学は暗いので、マッサージ師は向いているかもなと思った。だって、骨がどこにどうあって、筋肉のつき方はどうかなどアカデミックなことは苦手だから。
 また、父が入院して要介護5になってマッサージの真似事をしていたけれどそんなに悪い気はしていなかった。それなりに楽しんでいた。その線もあったなあとは思っていいと思う。

 
 出来て当然、あって当然という視点なので自信がないかも。何もないところから少し動いた、まわりにあってよかった、みたいな、視点を変えることができれば目線も低いし、自信が消えることもないかも。立ち位置が間違っているのだろう。それは親との関係性で、自分の立ち位置を誤ってきたせいかもしれない。10割出来て、10割あって当たり前という見方が変そうだ。何もないところに軸足が移ることができれば、ちょっとでHappyになれそうな気もする。


付録:これもAliciaと人々との時間と楽しさの共有を写し取っている。