他者・自分・:世界は誰のためのもの? :もちろん他者のためさ。


 朝、コンビニの前で作業所の送迎車を待つ間、行き交う車を見たり人々の動きを見ていた。そして乗り込んで札幌の街を疾走する車から街のビルや道路、車の列を眺めた。
 その時思いついたのだったか忘れた、または前からうすうす気づいていたのかもしれない。それは、

☆世界の他者のためにこの世は存在している★

というもの。

 伝わらないと思うので説明すると、作業所の若い女は、助平爺たる僕のためにいるのではなく、若くて格好いい男に抱かれたいという願望のために存在している、または、僕を否定する作業所の別の女性はその人のために作業所はある・金を稼いだり・うまいものを食ったり・楽しい生活をしたいその女性のために世界は存在している。

 この発想の源は、道路を作ったのも、車を作り道路を走らせ、道路補修のおじさん方や、車というものを想像しこの世に送り出し毎年新車を作り続け売りまくっているのは、僕以外の他者の思惑によるものだ。そう、いいたいことは、

☆僕の欲望のためにこの世は存在していない★

他者のために世界は存在している、というもの。僕の欲求は世界の中では取るに足らず小さくささやかだ。僕を優先するために世界は存在しない。他者の欲求と同じように僕も持っているだけだ。

 前から思っていた、他者のために僕は存在すべきではないのか。他者に貢献するために僕の存在を使うべきではないのか。世界はこれだけの他者による輝かしい活動のためできあがっている。その他者たちの活動に、僕のほんのささやかな活動を付けたさせていただく、というくらいでちょうどいいのではないのか。53歳だから、あと7年、他者のために活動してもいい。余命をそのように使えたらよさそうだ。