カウンセラーの先生との、セルフ・コンパッションのイメージ

カウンセリングとセルフ・コンパッション

 先生に、今日も働くことができて、ありがたいです、キリスト様/キリスト様もお忙しいと思いますが頑張ってください、とコンパッションの使用例を2つくらい言った。もう一つは、今日もご飯が食べれて助かります、キリスト様もパンくずを使ったり、みんなに食事をあげることに腐心したり、ご自分の食べる分をひねり出すのに大変だと思いますが楽しくやってください、みたいな例を言った。

 カウンセラーの先生は相手への共感があるし、思いやりもあっていいのではないのか、みたいなことを言われた。

 いくつか会話を交わし、別の場面で、僕の会話は教室の正面のスピーカーの上の磔刑のキリスト様に、暗い閉じ込められている独房の中からこのキリスト様に話すような感じて話していて、孤立感の中で上の2つの例みたいなことを言ったのだと答えた。僕の段階は最初の一歩くらいのものらしい。

 先生によると、キリスト様という抽象的な僕の思い描くキリスト様ではなく、血の通った生身に近い人間に上のような言葉かけをできればいいらしい。そしてそれは、キリスト様から、職場の上司や仲間などの具体的な人に言葉かけと、言葉貰いをするような親和的な会話ができるようなのを目指すといいらしい。

 首にかけるキリスト様と12聖人?とかの、その玉を触りながら会話するというをクリスチャンはするらしい。願い事のような、キリスト様との会話をするのは先生もいいなあと感じたらしい。外国の方たちらしいが。

 僕の到達点は遥か彼方らしいけれど、方向は違っていないようだ。ただ本当に最初の一歩の段階みたいだった。現実感が薄いから。


 今日も、ミズノのヨガに参加させて頂いた。楽しかった。苦しくもあるけれど。