心臓、嫌いだ、自分史 (カウンセリングより)

 今日は、の心臓の病院に行きました。
 検査をしてもらって、心電計を首からぶら下げて帰ってきました。
 会社の検査で、洞性徐脈と出ていたし、母が心臓病を持病として持っていて、それ関係で亡くなったので、一度検査を受けておこうと思いました。

 昨日は、会社でも介護士がやたらと冷たく(最近の傾向です。僕は最近調子が悪いです。)、帰りの地下鉄では殴ってやるが多発し、防戦するため全力を傾けました。そして地元の駅で、風除室のドアを押し返して、後から付いてくる女を締めだした。そしたら女は、ドンドンドンと、階段を上がって、「てめえ、危ねえだろ」と割と小さめの声で、顔をゆがめてこちらに言い放った。
 僕は、耳に手を当て、聞こえないよ、と言うポーズをとってもう一度喋らせるよう仕向けたが、女は僕を抜かして行ってしまった。女も気に食わないとああも豹変するものだと勉強になった。
 僕は女が気に気わなかったわけではない。3つのドアの内、手前のドアを使わず、僕の使った奥のドアを開けて続いたのが気に食わなかった。
 それと、なぜ女に冷たくしたのか家で振り返った。なぜああいう行動に咄嗟に出たのか。自分で予期しなかった行動だった。

 そこで解釈が成り立った。僕は女が嫌いではないのかと。母は、僕を認めなかった。それに対する怨念がある。だから、女は大嫌いではないのかという仮説を作った。これは自分の行動を振り返り、表面的ではなく裏の意味を探ぐり、新たに意味を吹きこんだ創造だった。そして今日の病院行きの道で、プラスして「父母も大嫌いだ、くたばれ」と言うのをつけ足した。
 この2つを柱として今はやっていこうとした。これは、今まで意識してこなかった自分の心の声だろうと仮説し、積極的に自分を掘り起こすことを意味する。自分に対する積極的介入です。
 成果ですが、女も他の人もきちんと見ることができて、顔も上がっていいことずくめでした。ただ、この世界観が殺伐としているというのがあるけれど、心は意外と平常でした。結果、意外とほかの人は冷たい世界に住んでいるのかもなと言う、自分内引きこもりが長かった僕の感想でした。


自分史:貝のひな人形、操り人形作り

幼稚園の時母と、高田さん家で貝のひな人形や紙粘土の操り人形を作った。
 
 幼稚園の時、母は高田さんと親しくしていて、出かけていき、貝のひな人形を作った。ハマグリか何かの貝に布を巻いて、接着剤で二衣(ふたえ)とかに着物を貼って、顔を書き込んで完成という、単純ですぐできるもの。
 そして、紙粘土で胴体、頭、足、腕を作り乾燥させておいて、別日にねじを打ち込んで、身体のパーツを一つにつなぎ、紐をくっつけ(どうやったか覚えていない)、上の木の棒で操るというもの。これは人形を作る楽しさはあったが、白いままで完成だった気がする。色を塗ればよかった。それと、あまり遊ばないで放ってしまった。
 この2つは記憶に残っている。

自分史:父とパークゴルフ

 地域活動支援センター、A型に通う前、働いていないとき、父とパークゴルフをした。
 僕は親元に帰ってから、ゴルフクラブを毎日振っていた。だから真っすぐ飛びます。非力なので飛距離はありません。
 ゴルフクラブを振っていてもゴルフ打ちっ放しには行けず引きこもっていた。それで父とパークゴルフをすることで、ゴルフがどんなものか試したかった。
 地元家の近くのパークゴルフ場で父やった。ぼくはまあまあだけれど、上手くはなかった。父はカップにねじ込むのを得意としていた。この経験でゴルフにはあまり向いていないと思った。どういう感覚が求められるかは分かった。
 父に連れられ車でゴルフ打ちっ放しにも行った。弾道のまっすぐさ、非力を確認した。バンカー練習ではまあまあだったけれど、一人でもっとやりたかった。
 父とパークゴルフを経験し、感覚と限界が分かり良かった。若さゆえのいきがりはあったけれど、限界も分かった。