サカナクション 僕と花 にインスパイアされた /ヨガは笑える。魚のポーズ。

サカナクション 僕と花

歌詞で、新奇なものを求めるけれど、それは、自分が動かせる実感が持てないから、みたいな歌詞の世界が非常に響いた。
ヨガで先生に指導を受けているけれど、先生は前より背筋が伸びたり、ポーズが決まるようになったり、ちょっとした自分内変化を見逃さず伝えてくれる。僕はそういうの大したことないと感じてきた、というか、そのちょっとした変化に目をやる心の余裕、というか、自分のわずかの変化に大切なものを感じ受け止める、そういう感性の大事さをおっしゃっているのだろうと思う、を受け止めるアンテナがなかった。それへの架け橋を先生に毎回頂いているのだと思う。





ヨガを習ったけれど、先生の指導の下色々な運動をする。魚のポーズとかいう、先生に言われたからやったけれど、別にやりたくもなかったポーズだった。先生に、誰が作ったんでしょうね。と聞くと、3千年前のインド人とかが作ったのではないのか。古いらしいと。昔の人だから、魚とか動物とか身の回りの物に模して作ったのではないのかという。
 僕が言いたかったのは、こんな変なポーズを大昔の人が作りやって、それを引き継ぎ続ける人がいて、それを現在の札幌の僕がやるという、魔訶不思議な展開に、馬鹿馬鹿しくなるくらい笑っちゃうなあ、という感想だった。これは言わなかったけれど。
 僕はヨガを馬鹿にしているのでも、先生を貶めようとしているのでもない。ただ、馬鹿らしいと言う考えもよぎるので、ここに書いています。

 ヨガに金を突っ込んで、先生に習って、魚のポーズをするという、不思議な時間の、不思議な出来事に、ニヤケるなあということです。くだらない、と片づけたいが、これに地道をあげるという、笑える展開がなされている。


 体に矛盾が出ている。僕は抑圧しているので矛盾は当たり前だけれど、体に矛盾が出てきて表面化しつつあるのかなと思う。まだ遠いのかもしれないし、近いのかもしれない。よくわからない。

 整体の先生へは、ヨガの先生から教えてもらったところへも行きたくなったので、お伺い・おうかがい を立ててみた。どういう返事が返ってくるか楽しみだ。迷惑をかけることになるかもしれないが。整体の先生としては自分のところに金を落とした方がいいに決まっているので、どういう返事が来るのだろうと思っている。元々の整体の先生にはお世話になっているので、どういわれようが従おうとは思っている。義理はあると思っている。

 整体に力が入るのは、もう僕の残り時間も少ないと思うので焦っている。56まで、2年半。早く首の潰れは取れたほうがいいと思う。