フェイクか???


 まずはじめに、僕は頭が悪いです。
 作業所で、布草履の達人くたばれと心の中で唱えた。作業で見せつけやがってと。若い女もくたばれと。

 やっていて、皿洗いをしていて、姿は見えなかったけれど、スタッフがこちらに念を向けて、仕事できねえくせに、と言われた気がした。本当か思い過ごしかわからないけれど、とにかくそのことは最初から気づいていたが、そういわれた気がして心に引っかかった。スタッフも冷たかった。

 よく、仕事の借りは仕事で返せ、みたいなことを言う。野球の借りはグラウンドで返せ?? だったかみたいに。これは正論だ。布草履の達人に仕事のできるのを見せつけられて、それをくたばれと、やっかみみたいになったのは本末転倒に近い。

 稲盛和夫先生の話を思い出した。仕事に打ち込めと。僕は作業が大嫌いで飽き飽きして、血反吐が出るくらい、唾棄したいくらい嫌いなのだった。それを仕事は好きだけれど頑張れないみたいに捉えていた。僕は自分に向かってうそをついていた。もう着物解体など面白くもおかしくもない。そんなのくだらない、もう仕事などやりたくない、糞食らえ!! だ。
 ここで転換がある。本音は大嫌いなのに好きだなどとうそをついてきたが、嫌いでも、着物ほぐしには価値がある、やるに値する、大事なんだと打ち込む必要がある。本音は嫌いでも、意味があると打ち込まなければならない。打ち込んで打ち込んでやってみないと始まらない。

 僕は今まで作業を頑張っている、一生懸命だなどとやってきたが、自分にうそをついて大嫌いなのに好きだとしてきたし、一生懸命なぞとやっているはずがない。うそをついてやってきて頑張れてきたはずがない。ブレーキ踏みっぱなしでやっていると言い張っただけだ。
 着物解体なぞ糞食らえだけれど、価値を信じて打ち込みに打ち込んでみなければならない。
 もうあの作業所で中途半端でいてもしょうがない。嫌いな作業に打ち込むことを、価値があると信じるほうに賭けて本気でやりぬいてみないと僕は腐ったまま根腐れを起こす。もう腐っている。首まで腐っている。腐るか生命を吹き込むか賭けてみないとどうしようもない。
 作業所に通うからには、嫌いでも価値を信じる側に一票投じてやってみないともう首も回らないよ。もうあの作業所では追い込まれている。
 皆も僕に飽き飽きしている。どうしようもない奴だと。僕ももう作業所にうんざりしている。やってみるしか方法がない。崖っぷちだ。

 作業所にも、人間にも、作業自体にも糞食らえだ! しかし賭けてみないともうどうしようもないところまで来ている。
 僕は本気で打ち込んだことがない。歌以外では。この文章全部がフェイクかもしれない。