作業に打ち込んでみた。苦しくなって責任転嫁で、布草履の達人にごみの変な捨て方の矛先を向けたり、女性にごみ捨ての攻撃を向けたり、やった。汚い手も使った。しかし修正して普通に戻した。僕は甘えて育ったので、苦しくなったときにどうやって集中するかわからなかった。
結果としては自分が苦しい時は周りも苦しいと思い、修正できた。
昨日皿洗いで打ち込んだので、今日の作業でフラスカートの縫い糸取りに集中できた。打ち込んでやるというのが最低ラインだ。
僕は行いが悪いので、作業所での立場もないので、打ち込むことでしか表現できない。最低ラインをつなぎ明日につないだ。
作業所で自分にできるのは、自分のやることに打ち込むというシンプルなことだけ。これがみんなの共通言語らしかった。打ち込んでやるというのが、皆のやっていることらしかった。僕も少し飲み込めてきた。稲盛和夫先生の言葉を読んでおいてよかった。