悪役のプロレスとギリヤーク尼ケ崎さんを見た。

・● プロレス見に行きました:新日本プロレス。看板選手?棚橋選手を10Mくらいのところで見ました。色気の匂い立ついい男でした。人気のあるのが分かりました。
 場所はリングから近いのですが、リングは高い位置にあるが、客席が地面に平置きなので前の客の頭で良く見えず、40%くらいは視界が遮られていた。なので、試合の情勢がよくわからなかった。良い席なのか悪い席なのかよくわからなかった。2階席のほうがよく見えそうだった。

 僕が一番印象に残ったのは、マイキーとアーロン・ヘナーレの一戦。ヘナーレがこの日の中で一番好きになった。試合も熱のこもるいい試合だった。迫力を一番感じた。他の試合は、相手とのコミュニケーションのやり取りがあまり面白く感じられなかった。この試合には、本気度を感じた。外人戦の方が迫力があった。

 プロレスラーというのを金を払って初めてみたが、役者たちという風格を感じた。役をずっとやってきた凄みがあるのだろう、堂々とした迫力があった。

 リングでは、ドタンバタンと、リングに身体が叩き付けるものすごい音を聞いたけれど、視界が例によってよく見えず、状況が分からなかった。

 イーヴィルとタマの試合で、Evilがタマをリング外のスロープに投げ落とすのを見たけれど、痛かったろうなあと思った。あの硬いスロープに、まあ板張りではあるだろうけれど落とされるのを自分の身体で受けるというのはきつそうだった。身体を鍛えていても体重で受けるという恐さを見た。

 プロレスというのは、暴力をショーにした特殊な世界で、身体を鍛えた人たちがやる、暴力の爆発を見せつける肉体芸の分野だと思った。まえに、アルバイトで中島センターの客席の椅子を並べて隣と連結するのをしたことがあった。あの時悪役に初めて惹かれた。
 今回も善人役よりは悪役に応援した。善人役がスポットライトを浴びて、悪役は陰で支える脇役というのあると思う。悪役は強くあって欲しいし、暴れてほしいし、無軌道でいてもらいたい。型に嵌らない・はまらない 悪のエネルギーを炸裂爆発放射させてほしい。お坊ちゃんの対極でいてほしい、という僕の見る目の願望がある。

 僕の周りの観客は善人に応援して爆発して見ている人が多かった。カメラを持った黒ずくめの2人組は悪役をカメラに収めていた。僕のようなのは少数派らしかった。でも、いないわけではない、数が少ないだけでちゃんと存在している。惡の華というか、誇り、気高さを感じたいと思う。


・〇 土曜日はギリヤーク尼ケ崎を初めて直接見た。20年位前地元に来たけれど、新聞配達を休みたくなく、見損なった。あれは大失敗だった。
 90歳の御年を迎え、車いすに乗って登場、最後はござに座って頭から水を被るという、老人虐待みたいな図だったけれど、ギリヤークさんは舞台を務め果せた・おおせた。それは凄い事だった。翌日のフェイスブックには誇らしげな顔が載っていた。それだけのことはやったと思う。

 千円献金しようと出かけたけれど、本人を目の前にして、あの舞台の主人公に僕の日当代を払ってきた。そうなることは想像していたけれど、やはり奮発して帰ってきた。ギリヤークさんは慈善でやっているのではなく、生活費を稼ぐために来たのだろうから、それに見合った支払いをした。
 風邪を引かないといいけれどと思った。ギリヤークさん、来年も来てね。

 弟さんのサポート、女性の黒子さんのサポートで成り立った舞台だった。黒子さんは一切の裏方を買ってやっているらしかった。大変そうだった。ギリヤークさんは幸せ者だね。
 舞台は、中島公園の地面で行われていた。雨降りの日だったので、粘土質の地面は水溜りだった。靴も汚れた。舞台の円形の、ただの地面に丸が書かれただけの、そばにテントが2つ張ってあった。控室として使用するためのもの。150人から200人くらいは集まったと思う。傘や合羽を着ての鑑賞だった。