カウンセリング(技は誰にでも開かれているもの、と思いたい / プール


 カウンセリングをして頂いた。地下室の父に男としてぶつかる、という趣向。

 階段を降りて行き、ドアを開け、暗い部屋に父の顔があった。その父の左前方の机にろうそくが燃え、炎が左から右への風で揺れていた。
 父と相撲を取りたいと先生に言って、父と相撲を取った。まわしを握って右下手投げで父の左足を地面につかせた。そこだけは感触はあったけれど、全編あまり父との相撲は現実感というか感触が乏しかった。

 ボクシングもさせて頂いた。父も結構強く、僕はパンチを食らい左足をついた。でも結局は相打ちで引き分けに終わった。僕の右ストレートと父の右ストレートが互いの顔にヒットして引き分け。これもそこだけは感触があったが、あとはあまりなかった。

 こう書くとあまり収穫はなかったみたいだがそうではなかった。先生にも感触が乏しいと言ったので、先生もまだあまり進まなかったと感じられたのかもしれない。


 帰りの交通機関で思ったのは、(紙にすぐメモしたこれから書くことをここで起こします) 、

☆☆地下室の父と相撲をとったり、殴り合ったりしたけれど、力では父にかなわなくても(寄り切りで勝つことはできないだろう・圧倒的にノックダウンもかなわないだろう)、技で勝つという手がある、と思いついた。
 それは、相撲で下手投げで勝ったという点で思いついた。

 相手に力が及ばないということは、それはかなわないという意味ではなくて、僕の側の思い込みで勝てないと思い込んでいるだけだ。
 技で勝つという手がある。あの小さい炎鵬(しこ名は合っているか?正確に覚えていない) が大型力士に勝っている。

 技を駆使すれば、力の及ばない相手に勝てると思う。
 僕は力の及ばない、力の差ばかり見ているけれど、そうではない。
☆★技という誰にでも開かれた世界があると思う。

  • ここまでがメモを起こした-

 テーラーSG氏のミシン技は神がかかりだ。力が及ばないと考えてきた。圧倒的に強いと。
 でも僕の捉え方は間違っている。コツコツと技を身に着け、磨けば、その高みに近づけることは可能だと思う。
 織も、織り方は僕の知っている平織りだけじゃなくいろいろな技法がある。それを一つ一つ身に着け、自分の力を上げる道は僕にも開かている。
 技というのは、誰にでも開かれた、底上げをする力だと思う。高みにいる人に誰でも近づける道を開いている。

 それはカウンセリングの先生に導いて頂いた、父を右下手投げで破った経験(心理療法の成果)、力ではなく技で勝ったということから導かれた僕の宝物だ。今回のカウンセリングは成果はなかった、次回以降に持ち越しと僕は直後に思ったが間違っていた、これは大きな成果だった。カウンセリングが終わった時は気づかなかった。交通機関に乗って気が付いた。



 プールに行った。水中ウォーキング5周、プール5往復半、水中ウォーキング3周半で展開してきた。
 5往復半の泳ぎは全編ビート板を握った。最初の1往復はバタバタとやった。2往復目から最後まで平泳ぎのカエルキックを展開した。(格好悪いところが気に入っている)
 息継ぎができるようになりたいと思い練習した。注意点は、ストリームラインで泳ぐこと。僕は頭を下げ過ぎて泳ぎ抵抗を多く作っていた。頭は、前を向いて身体をまっすぐにしようと努力した。身体を伸ばそうとした。
 
 なぜ息継ぎできないか? 僕はストリームラインがきちんとしていない点、息を吸うとき上半身・身体全体に力が入りすぎている。吸うぞ! と、なっている。そうではなく、腹式呼吸でスッと吸えばいいのではないのか? このように、間違ったことを複数していると思われる。グーグル検索で、息継ぎ 泳ぎ 初心者 NG  というワードでいい情報が出ているかもしれない。まだやっていないが。

 コロナの影響で、待合室の椅子がひとつひとつ等間隔に置かれ、換気も行われていた。僕が作業所にコロナを持ち込んだら居られなくなるだろう。僕がかからないことを祈る。ニュースでもバッシングのすごさを聞いているので、拾いたくない。