カウンセリング(父裸イメージに水玉のパンツを穿いてもらった)

 先生に、カウンセリングをして頂いた。

 心理療法の僕の心の地下室に降りて行き、父と対面した。父はお腹を出して机に座っていた。その父に裸になってもらった。別に恐いということはないことが分かった。ペニスも恐いということはなかった。ただ、父自身がいきなり怒ったり憎しみを向けたり、迷惑な存在だったので父を恐れているのを感じた。裸のほうが、裸で父が怒ったということはあまりなかったので安全だった。ただ、ペニスを露出してソファに座りテレビを見ている父は嫌だった。
 僕は父の怒りを向けたり憎しみを向けたりすることと、父のペニスのこととかをごっちゃに理解していたらしかった。父のペニスが恐いという特別な感情ではないらしかった。父のペニス切断、ということで交通機関の人の圧力をかわそうとしたのは、父の圧力と周りの交通機関の人の圧力が同質のものなので、僕の中でごっちゃで撥ね・はね 返そうとしてしていたらしかった。

 カウンセリングの時間をオーバーしてから、先生の真骨頂が出た。裸の父に僕が買った水玉のパンツを穿かそうというものだった。いつも父は安物の3枚600円とかのものを次から次へと買ってきたのだが、僕はちょっと値の張る1枚千円はするパンツを選んで穿いてもらった。
 この裸のペニス露出の迷惑父にイメージでパンツを穿かせるという先生のアイデアは画期的だった。圧力を感じていたのが10段階の8くらいだったのだけれど、ほとんど感じないくらいになった。これは父自身というより、裸の父に感じる圧力に限定すると思うけれど、すごい力技の治療だった。僕は少なくても、父に水玉パンツを穿いてもらってすっきり楽になった。先生の治療にとても満足しました。ありがとうございました。

 父自身の怒りを向けたり憎しみを向けるイメージをどうするかはまだ解決していないかもしれないけれど、少なくても裸の父をコントロールする術を伝授して頂いた。<おわり>

 先生が仰っていたが、父の迷惑なイメージと同じ土俵でゴチャゴチャしているより、アイデアでコントロールするというのはかわしたり撥ね退けるスタイリッシュなやり方らしかった、先生がこう言ったわけではないが僕が意訳した。プロの力技でした。