こころの父と相撲。母へ通販。

pretender 今日も挑んだ。3回目までは慣らし運転。4回目最後の盛り上げでぶつけた。男心を描きぶつけ出した。5回目、全編盛り上げようとして、全編沈んだ。でも5回目の収穫は、歌の世界を描くことがわずかにできていたところ。6回目、歌の世界を描くことに集中した。最後の盛り上げはやはりぶつけ描き出した。でけた。ばんざい。おつとめおわりました。寝ます。


・ 作業所の若い女を性として見ていたけれど、若い女がなぜここにいるか、と思ったとき、技術を向上させるためだと気づいた。彼女らはミシンの技を向上させるため日々奮闘していると思われる。
 彼女らは技を磨くけれど、僕は何もないなと思った。僕のやることは雑用とか裏方だからなと日々思っている。しかしだ、僕のやることも技と技術を向上させることはできるし、そんなのと同居できるなんて思ってもみなかったが、これはできるんだなと転換していいと思う。
 皿磨きの技を磨けば、厨房でバイトできる。着物の糸除去は他では役立たないが、技術を向上させたら能率が上がりミスは減ると思われる。雑巾かけだって、技を使えばきれいに仕上げられる。いくらでも向上させる余地がある。僕の気持ち一つ分の余白がある。自分で塗っていけばいい。

・ カウンセリング、スカイプをして頂いた。
 地下室の心の父とまわしを締めて相撲をとった。まわしは裸のすっぽんぽんで男の性を表現できると思った。まわしを締めて父と相撲と取るというのは、父も僕も性を含んだ存在としての前提を含んでいる。僕は出合のぶつかり合いで止まってしまったが、技をかけることで、まわしを取って内またで浴びせ倒した。相撲の前の腕相撲では、父に対して両手を使って勝っている・片手では父にかなわないので、僕は両手にした。
 父に技で勝ったように、作業所の作業も、技を使えばいい。その時正面突破の正攻法ではくても、姑息でも、ずるくても、よこやりでも、いいのではないのか。僕には正攻法しか見えていない、父と同じく視野が狭く不器用だから、でもこの年になってしまったら時間はないし、横入りでもいいから、汚い手に僕が分類するやり方でも技術的に使えば、一つの手段でアリなのではないのか。
 
 そしてその正攻法でない手でも、まわしを締めて性を含んでの男として体験していければ一番いいのではないのか。体験というのもキーワードで、積極的に深く関わる方法のことを指している。この体験は、静的ではなく、ぶつかっていく男の荒々しさを中心に持っている。燃えるような体験。積極関与。


・ 母と会った。服はいらないのかと問うと、うんとは言わない。最後には僕がいらないよね、といって終わったが、ほんとは欲しいが、カタログで選ぶ能力が使えなくなっていると思われる。カタログを見るかと問うと、話が止まってしまうから。僕はベルーナでクリックして注文をさっき済ませたところです。全部着れなくてもいいと思っている。2点でも3点でも、着られるのが一つでも入っていれば合格だと思う。かあちゃん、あとどのくらい着られるか。さびしいけれど、そんな気がする。母が逝ったら、次は僕の番だ。僕が送ったら、僕も誰かに送られる番になる。寂しいけれど、僕も崖っぷちに突っ込んでいっている。老化と死。冷たい言葉だ。硬い響きの。千の風、のような詩は必要とされている。

・ ヨガは、身体の感覚がストレッチのポーズとかを繰り返すと、違ってくることを教えて頂き、実践した。仰向けに寝ても、背中の感触がストレッチした後と前では感覚が違ってくる。自分の力で自己の身体イメージを変えられる。おもしろいところをやって頂いた。