男=性⇒男性(身体感覚・身体経験)

 7・8月は調子が悪いのですが、今回は6月の今から下り調子になっていました。3日前くらいに気づきました。

 周りの圧力を跳ね返すのが大変になってきています。交通機関でも作業所でも圧力がかかってきている。
 悪い事ばかりではない。体験というキーワードが浮上してきた。僕は鍵をかけるようなことでも直前の行為が思い出せないことが多い。それで、体験しようと心の中で唱え、そういう状態に切り替えるように意識的にできるようにすると、わずかに体験できることが何度かあった。朝の作業所に出かける時の歩きの時間で、周りの景色、体の状態を体験できることが少しの時間持てた。だから、意識的に体験しようとして、そういうできる時間を増やすように習慣づけたい。僕はずっと頭の中に住んできたし、父もそういう人だった。だからこれは挑戦にもなっている。

 歯医者さんに出かけて、神経を抜かれた歯の、奥まで薬剤を注入するための削りとかをしてもらっている。神経は昔の別の歯医者さんで行ったらしかった。記録にないそうだ。今通っている歯医者さんは近所のかかりつけ医さんです。


 いま思ったけれど、カウンセリングでもそうですが、今僕の中で問題になっているのは父問題です。父憎しで感情が出てきた。しかしまだ途中だ。父が、ぶらぶら見せびらかしたのなら、僕だってぶらぶらしてるぞと誇っていもいいのではないのか。
 だから、性を含んだ、男としての体験(女性との体験という意味ではなく)、男としての体感・身体の体験・身体感覚の体験が重要になるのではないのか。その男としての体験というキーワードは自分のペニスを身体感覚として含んでいて、外に開かれていくのではないのか。

 本当だか妄想だかわからなくなってきたが、男と性はくっつくと思う。僕の話は観念が多いが、身体体験として男と性が浮上するキーワードになると思う。