みかん箱 / 父とのプール

みかん箱::
 スーパーの目玉特売品を買いに出かけた。目当ては箱ミカン2.5キロ。去年は4箱くらい買い、今年も2箱目を買った。
 帰りの自転車の前かごに箱ミカンを乗せ、直線道路を1台で漕いでいて虚しさを感じた。なぜだろうと考えた。それは僕にとってはやはりと呼ぶべき家族の思い出と直結しているから。
 僕が幼稚園、小学2年くらいまではミカンは木枠のミカン箱に入れられ15キロくらいで売られていたような記憶がある。部屋にはミカン箱の捨ててないのも置いてあったりした。昔は、ミカンは水みたいに食べることができた。テレビを見ながら、網籠に・あみかごに 山盛りに載せ、手が黄色くなるくらい家族3人で食べた。そう、僕にとっては一家団欒・いっかだんらん で、その当時の僕には家族は平和に思えたし、僕も普通の子供だと思っていた。僕にとっては家族との平和な原風景みたいに記憶している光景だった。
 ミカンが好きなのもあるが、箱を選んでいるのは(段ボール小箱)家族の団欒が欲しいという温もりを・ぬくもりを 求めているこころの願いだと思う。

 自転車を漕ぎながら、家族は終わったんだ、と心で言った。もう終わったと。父も母もいないし、家族は父母が介護になり解体された。もう終わったこと。家族団欒もない。 
 いま家族を求めるなら、僕が作るしかない。父母と僕の家族が終わったのだから。
 

プール::
 僕が幼稚園か小学1年くらい時の、父が勤める学校の夏休みのプールで:::」「:::

 僕は父に連れられ学校のプールに来ていた。真夏の暑い日。ジリジリするような日で青空が広がっていた気がする。
 僕はプールのヘリを歩いていた。突然水の中にいて、アップアップした。溺れてしまう。なんでプールの中にいて、そして溺れて死んでしまうのではないかという不安に満たされた。足がプールの底に着かない。助けてと。
 この記憶がとても古く55歳の僕は詳細を忘れてしまった。プールからどうやって出たとか。浮き輪を投げられて助かったのか? とか。
 もちろん犯人は父です。父が突き落とした。何で父がそんなことをするのか、小さい僕はわからなかった。父の性向も知らなかった、暴力的否定的不満的なのを。

 いま振り返ると馬鹿野郎な父に、ふざけるなよ、小さい子供に暴力をふるって、てめえ、いい加減にしろよ、と思うけれど、当時の僕はか弱い児童だった。自分では一端だと・いっぱしだと思い込んでいる普通の児童だったと思うが。これが覚えている一番最初の父の暴力だった。いまなら、お前も突き落としてやるからな、と言えるかもしれない。いま心で言ってみた。親父よ、お前をプールに突き落としてやる。それくらいのことをされている。こういう作業はとても大事かもしれない。EMDRのカウンセリングの先生に勧められていまここに書いている自分史だけれど。

 父にこんな言い方をしたのは初めてかもしれない。新鮮でさっぱりする。馬鹿野郎な父なので、どんどん言ってやればいい。よくもプールに突き落としてくれたな、お前を頭からプールに突き落としてやる。こころが柔らかくなるような、気がする。気のせいかもしれないが。

<おわり>