父の銅像を引きずり落ろせ(イメージの父を普通の父にしたい)

 施設で掃除をしていて、つい先日の話だけれど、自分でこうしてああしてと描くようにモップを掛けたりすることができた日が一日だけあった。その日は調子が悪く掃除のペースとしては遅かった、けれどこの集団の中で自分の行動や決めたやり方を集団の中の一人として、一人分だけ描ける気がしてモップをかけることができた。

 普段の僕は、掃除をさぼってるのじゃないかと思われたら困るとか、手抜いていると思われる評価が恐いとか、周りの中で委縮し受ける評価がすべてでそれを良くしないと立場が悪くなるなあと、受け身で消極的な作業になってやってきた。だから、自分の行動を集団の中の一つとして置いて描ける気がしたのは、とても珍しく積極的な流れだった。こういう日が増えてくれば、僕も違ってくると思われる。

 集団の中の一つとして位置づけ、集団の中に描ければ僕は格段に成長できると思う。今はまだ委縮しているのがほとんどだ。
 対:父イメージ戦略としても、父に対して僕はどうだというのが育つことができればいいのかもしれない。父イメージに委縮しないで、僕はどうだというのを打ち出せれば、掃除もうまくいくかもしれない。
 
 裸の父に対して、水玉のパンツを穿かせグンゼの肌着を着せ、僕ならどうだと言えること。ここでもやはり文句を言うことかもしれない。父さんよ、勝手な人だったけれど、いつまでも偉そうにしていないで、柔軟な態度を身につけろよ、僕の心の父は、あなたは、卑劣漢だよ、勝手な人間でいるのはいい加減にやめにして、普通のコミュニケーションができる人間になれるよう努力したらどうだよ。なんてどうだろう。

 心の中の父はいつまでも祭り上げてあるけれど、引きずり降ろして普通の人の態度を身につけさせた方がいいのではないのか。いつまでも硬直しているから、僕の現実界の人間関係も悪いのではないのか。<おわり>