難易度の高いうんち 他:自分の気付いたこと

・ 施設で、便器にくっついた入居者のうんちを歯ブラシでこそぎ落としていますが、他に床におしっこがこぼれたりしていますが、これ、わざとだと思うと腹も立つが、難易度の高いうんちだと思うと、そんなに腹も立たないと思うんです。

 難易度の高いうんちは、こちらの手数が多くなり落とすのも難しい奴となります。技術を駆使して落としてやろうと。


・ 僕の通っている施設は、スポーツマンの優れた上司がいるので居心地がいいと思う。この上司じゃなかったらだいぶ僕の気持ちも不安定だったと思う。休憩取れよと言ってくださるし、僕のような休憩を取るのに罪悪感を持っていたような者にも、何度も言ってくださった。良い環境を作ってくれる上司です。

 
・ 一時、僕の調子は沈みましたが、最近は安定して楽に過ごせています。
 川口能活さんの、休日は休日らしく過ごす、というような見出しのように、休憩は休憩らしく過ごし、仕事は仕事らしく過ごせばいいのかなと思っています。
 僕は、歌などにも特別の意味を持たせようと躍起になってやってきました。しかし、この森田療法みたいなやり方は、形を整えるのに近いと思う。歌は歌らしく、最近吹いていたリコーダーの童謡は笛らしく吹けばいい。
 そう、仕事は仕事らしく過ごせばよく、それ以上の意味を持たせようと躍起になる必要はないのじゃないのかと思っています。
 家の掃除でも、家人としてきれいにしようとすればよく、ものすごく掃除をしようとする必要はないのではないのかと。僕は休日も掃除をしなければならないのにやらなかった、で終わってきましたが、脅迫的なスタンスではなく、家人としてやることをやる、くらいのゆるいスタンスで良いのではないのかと。休日も、部屋の掃除をしないといけないのに、やらないで終わったではなく、家人としてパパっと少しやればいいくらいの距離感。
 
・ 僕は、仕事でも、モップ掛けがこれしかできなかった、進まなかったと捉える。すごく否定的。半分しか終わらなかったとか思う。そうではなく、3分の一終わってだいぶ進んだ。半分終わってこんなにできた、みたいに肯定的に掃除を捉えられたらいいのにと思うようになった。それはドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書の、石井裕之さんの影響です。
 僕は自分のやることをすごく否定的にとらえている。おかわり どんどん話すための瞬間英作文 を交通機関の行きでやっていますが、家でやっていないと否定的に脅迫的に思っている。これも別の捉え方でいいのではないのかと。話せるように、声を出して家でやっていないが、交通機関で立派にやっていると。無理に今やる必要はない。出来るんだったら少しやってもいいよね、くらいのスタンスでもいいのではないのかと。ものすごく脅迫的に、やらなきゃならないけれどやっていない、みたいに捉えている。これみんな、親の勉強しなさいの亡霊に取り憑かれているみたいだ。内在化した親の言葉、雰囲気、威圧感をそのまま今の仕事や趣味に(英語とか)使っているみたいだ。親の亡霊は卒業したい。すぐには無理だけれど。<おわり>