父母とカウンセリングの路線。

カウンセリングで取り上げて頂いたのは、

 僕が高校生くらいの時、母にスキージャンパーを買ってやるから待合せよ、というものだった。
 僕は欲しいのが買ってもらえると思い、期待して出かけた。
 水色の着たいのを見せて、これが欲しい、というと、ダメだという。母と同じようなグレーのにしろ、という。まるで制服みたいじゃないか。精彩もないし。買ってほしいのを買えると思い、母にしては珍しいなと思ってでかけたのに、全く無視された。

 中学生くらいの時は、父とスキー屋にでかけ、そのチェーン店で作っている、低価格のスキーを買いに行った。
 僕は、一番下の安いのから3番目くらい高いのが欲しかった。かっこつけたかった。しかしだ。うちの家訓は、一番安いのを買うべし。父の前では何も言えなかった。そのとき、現金つかみ取りに当たり、スキー代くらい、父は掴んだ。僕はなおさら寂しかった。

 これをカウンセラーの先生に言って、本当に対応してほしかった親の言葉で言ってもらうというものをやって頂けることになった。その路線でカウンセリングは進んでいく。
 たとえば、スキージャンパーこれが欲しいな、と僕が言うと、母は、それ派手じゃない、グレーのにしなよと言われる。僕は欲しいから水色がいいという。お前がそういうなら買ってやるか。と言ってもらうとか。もし突っぱねられても、それは最終段階で、途中の僕の気持ちは汲んだもらえるとか、そういうのをやって頂けることになった。僕も、母に蹴られてもいい、ただ、僕が欲しかったというのは認めてもらいたかった。最終段階は期待していない。

 父とでも、もっと高いのが欲しいと言って、父がダメだというのはわかっている。でも、お前は格好つけたくて、もうちょっと高いのが欲しいのか、と認めてもらう言葉をもらえれば、最後は蹴られてもまだましだ。最初から父母ともに僕を認めていないのが、癪に障る・しゃくにさわる。
 バカヤロー、学生だって、自分の気持ちがある。全く認めないのはアンフェア―だ。よく考えろよ、とは言いたい。

 こういう調子だから僕は自尊心が低いと思っている。そこをカウンセリングで取り上げて頂けることになって、長期的に良い路線だと期待している。短期で結果が出なくてもいい。最後に

・いつか笑える日が来る、奥田知志、いのちのことば社

のタイトルのように、この本はホームレスの方の本だが。僕は最後に笑えればいい、短期結果は求めないという路線だ。この本好きです。著者の目線がしっくりきて、信頼できると思う。上から目線ではなく、水平目線。読んでいてハッピーになる。ホームレス、ひとりひとりの方を紹介して、共に生きる、視野を与えてくれる。読んでいて楽しい。簡単な本だけれど、人が人を救うのは無理だと認め、そこは神さの登場を待って、あり得る話だと、自分の力の限界を認め、自分の線引きをしている。路線が明確で、立ち位置がしっかりしている。この著者の下でボランティアをしてみたいと思わせる。
 今は無理でも、いつかね、と今を焦らず、たとえこなくても、未来に希望を持とうという立ち位置を持つこと。希望の灯を携えて・たずさえて 歩こうとする姿勢を持ちたい。この本の表紙の絵のように。