上昇志向という毒、平衡感覚という薬

 EMDRカウンセリングの先生に一週間のことをまとめて話している。先生は、ドウシシャのシーリングファン付き天井照明や、アイリスオーヤマの掃除機を(コードレス・モーターを立てて使うやつ)使われている。僕は、上昇志向なのでブランド物がいいと思っている。先生はそのように安くていいものを見つけて使うのが上手いみたいだ。僕も安くていいものを使うのは好きだが、どうしても上昇志向というフィルターのサングラスをかけていて、高くていいものに移行しようとする。

 今日もカウンセリングの地下室の骸骨男と会う治療でも、骸骨男・僕の分身と会って、料理を作る・カレーを作るのをこの骸骨男と一緒にやったが、カレーのルウをゼッピンを使ったりした。先生は使ったことがないという。僕は少しでも狡いので・こすいので、上昇志向、ちょっとでも高いのがいいだろうと、移行しようとするが、先生はそんなことをしない。先生は普通の暮らしを志向していて、僕が前に言ったゼッピンではない、プレミアム熟では共感してくれた。そしてカレーに、マギーブイヨンのキャラメルみたいのを入れ、ガラムマサラやタイム?だったかも入れていると言ったら、なおさら共感されないみたいだった。僕もおいしいのを追及しているが、上昇志向というフィルターサングラスを少しでもかけようとする。
 この上昇志向、父の影響でこうなっている。バックパックはドイターだし、ノースフェイスいうブランドは一個も持っていない。僕はアンチ・ノースフェイスだ。しかし心が上昇志向だ。靴も革靴を揃えようとしたり、何かと上昇しようとする。厭らしい。嫌らしい。


 僕は先生から平衡感覚を学んでいる。先生は、ブックオフとかセカンドストリートの古着を買ったりする。僕も真似したりした。先生は安くていいものを選ぶが上昇志向はない。僕はどうしても上昇しようとする。少しでもいいもの高いものに移行したい。良くなろうとするのと上昇志向は違うと思う。僕は良くしようとするけれど、その影に上昇志向が含まれている。先生に学んだように、食べ物も、おぼろづきの高いコメなんかではなく、ななつぼしでいいのではないかと思う。これは最近実践できている。これも先生の影響だ。すごくおいしいを追及するのではなく、ちょっとおいしいでいいのではないのか。高級志向に走るより、庶民的な平衡感覚が必要ではないのか。
 照明はパナソニックを買った。これは、パルックプレミアムを買って、物の見え方が立体的魅力的に見えるという経験をし、照明買い替えも物が良く見えるパナソニックにしたいという気持ちからだった。でも、10畳以上の照明に2万8千円を注ぎ込んだのは庶民的ではなかったかもしれないと思っている。買った感想は、蛍光色に電球色を混ぜて照明できるので、夜の寝る時間帯には睡眠に移行しやすいのではないかと思っている。物の見え方は、パルックプレミアムほど良くなく、LED電球とはこんなものなのかという感想だった。ただ、蛍光色の全灯にした、眩しいくらい明るいのにしたら、物は魅力的に見えるけれど、眩しいし電気代を考えて(LEDだから電気代は考えなくてもいいのかもしれないが、前の癖で電気代を考える)使わない。あまりこの照明のありがたさを感じる結果にはなっていない。

 僕の上昇志向は父から来ていると思っている。父はケチるけれど上昇志向ばかりだった。そこにはあまりいい印象を持っていない。先に書いたように、庶民的な平衡感覚、バランスを考えて、高望みばかりしない、上ばかり見ない、というのはどう考えても必要ではないのか。照明は失敗か成功かわからない。でも、食べ物や他の物を買うときに、上ばかり見ないで、ほどよいもの、程よい価格のものを選ぶ、というのは必要だと思う。先生に生協の220円の牛乳を飲んでいると言ったら、先生の家の近くのローソンで150円くらいで売っていると言われた。みたら、成分調整牛乳だった。母は成分無調整牛乳にこだわった。僕もそれに倣ってきた。しかしセイコマートのチラシでは、成分調整牛乳を150円くらい(2本セットで、1本150円くらい)で買えて、食パンも、110円くらいで買えてお得になっている。ちょっと遠いセイコマートだけれど、先生に倣って通って買っている。わずかの節約だが庶民的な平衡感覚では必要だと思っている。先生の影響を受けた。

 変に上昇志向、高級志向に走らず、庶民的・程よいお値段のもので暮らすという、平衡感覚・バランスは、これからの僕を考える時どうしても必要だし、そちらに舵を切った方が良いと思う。物を選ぶとき、庶民的バランスを大事にできるようでありたいとは思う。
 上昇志向は毒と心得、庶民的バランス感覚を使うよう心掛けたい。