父に男らしいとはどういうことか教えてあげればいい。(僕がお手本になる)

 今日は調子が悪かった。首が低かった。それで、薬局で伸ばした。帰りの交通機関で、苦しかったし、調子の悪い日は自分の問題と向き合わないとダメだと思った。

 それで、父の、水玉のパンツとグンゼの下着シャツを着た父と向き合おうとした。父に文句を言ってみた。いつも僕の気持ちの裏ばかり取り(僕のやりたい反対方向を誘導する)、いつも不機嫌で、気持ちの悪い父が嫌だったし、嫌いだった。いつも圧力をかけてくる。本当は大嫌いでどっかに行って欲しかった。不愉快だった。
 多分父は、僕が父の辞書に落書きしたり、いたずらするのに子供だという目線で見ず、邪魔してくる嫌な奴と捉えたのだと思っている。
 僕は父のことが憎いくらい嫌いだったと思う。そういう気持ちは表に出ず、心の底に沈殿していたと思うが。
 そして父は自分のプロ野球選手になりたい夢を追いかけず、出世を狙ったり、世間でうまく立ち回ろうとする道を選んだ。そんな気持ちの弱い、男らしくない、弱腰の父が大嫌いだ。

 そう、父は本当の素の裸の父は弱く、消極的で影の薄い存在だった。そういう父像を僕は心の中に住まわせていて、それがアイデンティティーになっている。僕の心の父は弱い存在だ。弱い父像が僕の心にどっかりと座っている。どうすれがいいのか。

ここまで薬局で考えていた。

 それで僕がうまくいかない、という面もあるかも。ならばどうする。弱い父を抱えて歩かないといけない。僕が父に教えてあげればいい。どうすれば強い父になれるか。どう振舞えば男らしくなるか。僕が父に見本を示してやればいい。ということを、路線を思いついた。

 明日もあるので、もう寝なくちゃ。Bye bye.
 ※子どもの扉がひらくとき
  を読んだので、最後のアイデアは生まれた。と思う。ちょうどこの本の次の段落で、年長さんが年少さんの面倒を見たり、教えたりする縦割りクラスのことを書いていた。年少さんに憧れる存在になろうと年長さんも頑張るそうだ。