本引用:今日から始まるナラティブ・セラピー(坂本真佐哉) と 雑記

今日から始まるナラティブ・セラピー、坂本真佐哉、日本評論社、2019年8月

エピローグ 社会構成主義は世界を救う、のか!?

位置No.2167

引用:


 つまり、自己の文化を主張するというよりも、相手の文化を受け入れることが、新たな文化の創造につながっていくことになります。その際、関係性が対等でないと、コミュニケーションが膠着したり、さらに複雑になったりするのではないでしょうか。
 そうして考えてみると、対人援助の仕事は異文化体験に他なりません。もっと広げて考えるならば、そもそも対人関係とは異文化体験そのものです。「正しい」とか「間違い」とかではなく、ただ「違う」ということを受け入れる必要があるわけです。
 すべての対人関係に対して、異文化体験であるという感覚で臨むことができれば、世の中はまた違った見え方になってくるのではないでしょうか。多くの対立は、相手に対する期待から生じるものであり、その期待は、相手も自分と同じ価値観をもっているということが前提となっているからです。~~~

kurage0147130:「確かに、異文化体験として他者と関われば、腹も立たないし、一人一人全く違うし関わり方は違ってくる。この部分はわかりやすく刺激的でおもしろいとおもったところ。」



 昨日は、五嶋みどりの midori aydin violin sonatas を聞いた。現代音楽はわからないので、五嶋みどりのヴァイオリンに自分を仮託してなぞるように聞いた。頭の中のごみが吸着されるように聞いたという感覚だった。すっきりはしないけれど、いつもと違う部分を使っている感覚。

 妻屋秀和 bass のCD  hakuju hall 2013 を途中まで聞いた。男の声で、男性という部分がはっきり出てくる歌声で、心地よかった。男に興味はないが声には惹かれる。男らしさと言うべきか、包容力と言うべきか。CDは音が俄然良く、仮託できる。


 施設で眼鏡をかけた。作業で眼鏡をかけるのは初めてだった。(自宅以外で眼鏡をかけた。
 上司はそれを見て研究員みたいだ、といった。僕は普通の人の典型的なメガネのつもりだったので、普通の人のつもりだ、みたいに答えた。どうも自分の狙っている線と他の人の受け取る線が違っているらしい。上司以外の人はどう受け取るのか。
 介護の人は僕の眼鏡をかけた顔をまじまじと見て去って行った。どう受け取ったのか。自分にとっての大変化で、他の人にとっても変化がよくわかる眼鏡らしかった。
 書くのを忘れていたが、間違ったレンズの入ったこの眼鏡、眼鏡屋さんは交通費として700円くれた。実際にそれくらいかかった。そして、割引だが、HOYAのレンズを入れてくれた。安い眼鏡なのだけれど、レンズはいいのにしてくれた。それが割引らしかった。なんかよくわからんが、眼鏡屋の間違いは清算された。また今度もこの眼鏡屋で眼鏡を作るだろう。それは、この眼鏡屋夫婦に儲けさせようと考えている部分もあるからだ。(地元の小さい眼鏡屋)