整理・老い //

一日中家にいて、整理をした。厄介だったのは、父母の介護の書類の裁断。名前を裁断した。

あとは、部屋の整理。父母が帰ってくることはもうないので、自分で使いたいように使えるように父母の残していった整理されていないものを、主に居間と台所のもの、を捨てたりした。書類も厄介だったとか書いたが、そんなにでもなかった、時間は食ったが。

 食器棚2と、本棚1も処分する。ソファーセット(応接用)も処分したい。これらのものも、中のものを整理している。本棚以外の食器棚はほぼ終わった。本棚も本の処分は終わっている。記念品がまだ入っているが。

 いつでも引っ越せるような状態になってきているし、そうしたい。僕自身もいつ死んでもよいように遺言を残そうと思っている。カウンセリングの先生との対話でアイデアを頂いた。遺言を残すという実際の行動はいままで思いつかなかった。後見人は選びたいと思っていたが。今は自由は効くが60
過ぎたら、だんだんボロも出ると思う。56でYMOのメンバーはヨボヨボしだしたと感じたので、ピークはあと2年半。それ以降は自由は効かなくなるとみている。

 自分の死ぬのを前提にしなければならない年齢になってきている。その範囲内で、光りたいとは思うが、どうだろう。今が花だ。父母を見ていると、散るのも大変だ。生きながら散っていっている。寂しい思いをしているのは確かだと思う。一生懸命だとも思うが。父母は制約が多く、制約に潰れそうになっていると思う。社会も老人として扱うし、自分も動けないし。吉本隆明も、最後は、何メートル歩けるかを自分の光として、目標にして日々を過ごしていたみたいだし。道新の氏の文章を昔読んだ。皆老いて去っていく。自分も引き受けねばならない。それも一大事業だ。