恋人論(安全基地)


 父という病、母という病の作者の方の別の本で、相手の安全基地になるというのがあった。相手を受け止めることだと思う。

 作業所のスタッフの方で、男だけれど、僕を受け止めてくれる時がある。僕がきちんと作業していると受け止めてくれる。僕はたいていは別のことを考えたりして上の空だったりするから、いつもは受け止めてくれない。そして、昼、皆より僕が遅く食べるけれど、食事を僕の席に置いておいてくれるのはそのスタッフの方だ。これはだいたい毎日。そういう意味では毎日受け止めて頂いている。

 話は戻って、カウンセラーの先生に、僕はもっとモテるのではないのか、と言われた。ぼくはぐらついた。女の尻はたくさん追いかけたほうがいいという疚しい・やましい 心が頭をもたげた。
 しかし、受け止める、安全基地という考え方からすると、一人の女性から求められ、その一人の女性を受け止め、相手を大事にするのが男ではないのか。デパートのショーウィンドーの商品のように女性を扱うのではないと思う。相手と受け止め合って、やっと男になれるのではないのか。ささやかな営みが受け止め合いで築かれるのではないのか。
 いくらモテたって、いくら求愛されたって、それで男になるわけではないと思う。そんなものはいらないのではないのか。相手との関係性でただ一人の人との関係性で男になるのではないのか。このようなことが頭に浮かんでいる。