カウンセリング:2020/10/23 Fri :幼稚園の時の母とのトラウマ⇒全体、背景も見えた。

 カウンセリングを受けました。幼稚園の年長くらいの話だと思った。母に毎日食ってかかっていて、母に人のせいにしないで、と言われ、僕は抑圧してしまった。トラウマが発生したと思う。

 今日はその幼稚園頃に戻って、ホログラフィートークをやって頂いた。小さい僕は母が気に入らなかった。母のせいだと思っていた。毎日母に怒っていた。僕は母に話を聞いてもらいたかったし、謝ってほしかったのだと思った。これは今日気づいた。受け止めてほしかった。

 しかし実際の母がしたことは、人のせいにしないでと突っぱねて、拒絶し、雨戸を閉める言動だった。僕は送電線の切れた線のように孤独に断絶してしまった。
 ここでカウンセリングの先生と会話することで気づいたことがある。最近の流れでもあったけれど、母は父に冷たくされ、家政婦のように扱われ、まったく気持ちを汲んでもらえないひどい待遇を受けた。それをそのまま僕との関係に反射させてしまった。僕にも父との関係を引きずり冷たく接した。母は、お母さんという存在が子供をあやすように、受け入れ、承認し、交流してくれなかった。僕の甘えを受け止めてくれなかった。僕は全く母に甘えられなかった。

 カウンセリングの先生も僕の話を受けてなのか、母は父と離婚するという選択もあったのに、離婚せずダラダラと精神的に悪いものを引きずり僕を育てた、生活したというようなことを仰って、母役をやってくれた、頂いた。僕は母が離婚していたら、母との関係は正常にいったとおもう。先生も言っていたが、昭和の女性で、あの頃の時代の人は離婚するという今の風潮ではないので、母を一概に責められないと。
 しかし母の僕を拒絶するという待遇のせいで、僕はすっかりいかれてしまった、人間不信で、人との間に関係を結ぶという人としてのシンパシーを持てない存在になった。
 今回も現実の母の対応と、母を光の筒に入れて空に返し、理想の母を光の筒で地上に降ろした。理想の母は、僕を受け入れて、人間関係を築いてくれる存在、その母に甘えたり、言葉を投げかけて受けとめてくれる、そういう理想の母とのやり取りは時間切れで今日は行えなかった。次回に持ち越しとなった。

 母の心のありようを僕の心を通して、カウンセリングの先生との会話で推察でき、幼稚園の時のトラウマがはっきり輪郭を持った。今日のカウンセリングでは、(2年くらい前のEMDRはお世話になった)、だいぶゲインした。進んだ。僕にとってはとても大きな体験だった。

 母は拒絶したが、母には僕を受け止めるという選択もあったのにそれが母にはできなかった、とカウンセリングの先生も仰った。それは母を責める意味ではなく、母の選択で、それのあおりで、僕はイカレタ。母は生きるのが下手だったのかもね。人生を棒に振ったのかもしれない、社交ダンス、木彫り、生け花、カラオケ、麻雀、水中ウォーキングなどはやってきていたが。僕もかなりの痛手をこうむって、ダメージを受けている。いまだに悩まされているのが、しょうこになっている。<おわり>