楽器:(母の思い出)

 楽器について昔のこととか書きます。
 20歳のころ家を出て一人暮らしを始めた。親にひそかにアパートを決め、突然家を出た。母はびっくりしていた。そのアパートでクラビノーヴァ初代を買った。坂本龍一のようになれると思った。とてもバカだった。接続楽器も皆ローンを組んで買った。全然上手くならなかった。バイエル卒業まではいくけれど、手が動かなかった。ピアノもそんなに好きではなかった。ギターも買ったけれど、こっちは全くダメだった。コードが押さえられない。続かない。

 その楽器を持って親元に戻った。30歳の時。それまで、1年のうち4か月くらい働いて稼いで、その金で一年を回した。チラシを配った。
 僕は調子が悪くなる時期があって、それで4か月しか働けなかった。それも、30歳のころは全く調子が上がらなかった。周りの人とバランスが取れなかった。僕だけ低いみたいな状態だった。
 その楽器を持って親元に帰り、ベース、小太鼓練習台を買い足し、生活は始まったけれど、まったく楽器はダメだった。録音機材の、ヤマハのキュベースの一番安いの、名前を忘れたを買った。まったく上手くいかなかった。その楽器を50歳ころ手放した。

 楽器がなくなって、リコーダーを手にした。オンライン練習教室に参加した。こちらも長くは続かなかった。1年半くらいで、休眠となった。でも、リコーダーを吹いて、割とやりやすさを感じた。
 教室は休んでいたけれど、家で吹いていると、それを聞いていた母が、今日はうまくいったんじゃないの、とか言われるようになった。母に褒められることが3回くらいあった。リコーダーなら指は回らなくても、楽器に心を込め、歌ったつもりになれた。一番うまくいった楽器だった。教室で習った曲とか、童謡を吹いていた。稲盛和夫さんは、童謡を会社が終わってから河川敷で歌った。それで心の整理がついた、みたいなことを書かれていたけれど、そういう良さを僕も童謡に感じた。

 母は僕のリコーダーを聞いてくれ、僕の楽器を売ったり(ほとんどタダ)したのを、そしてリコーダーを手にしたのを温かく・あたたかく 見守ってくれていたのを感じた。これは母との良い思い出です。