女を身体で判断するのではなく、人間力で見られないか? :自分も女も救済されると思う。

 僕の女性の好みは抱ける女という身勝手なものだ。女の身体を自分が利用した場合、女と認められる場合にお付き合いしたいというもの。女の身体を第一にしている。
 女の身体を利用する、と言う自分の都合ばかり考えて女を選ぼうとしている。しかも利用なんですね、自分の損得を基準に、得しようとして身体を見ている。どう考えても自分のことばかり考え、女性を見ていない。

 施設に看護師の女性がいます。身体から見る場合、僕の好みではありません。この女性、入居者さんに元気よく声かけをし、関係を築こうと積極的に関わっている。僕の想像ですが、たんに仕事の付き合いで入居者さんに声かけをしていない、人間的につながろうとして関わっている。
 この女性を僕が評価する場合、肉体から見る場合、除外される。僕は女の身体からこの女性を評価している。高得点をつけるかマイナスかを判断している。自分の利用価値で。
 でも、この女性人間的に評価する場合、高得点になる。いい女に分類される。僕は何に高得点をつけるか、何に評価を与えるか自分で決断し評価する必要がある。

 女を身体で見て、身体だけから判断するなら、たぶん僕は幸せにならないだろうし、いつまでもお付き合いできないと思う。
 でも、自分で判断基準を変更し、何に高得点をつけるかを自分で決め、自分の価値判断を盛り込もうとすれば、今まで見えていなかった女性が新たに浮かび上がってくると思う。

 この施設の看護女性、人間としてやっていること、人間として仕事をし人と積極的に関わり、きちんとして人間関係を心を開いて築こうとしている所は100点をつけられる。この、人間力に僕は高得点をつけられると思う。この価値判断を最重要とし、この価値判断を女を選ぶ基準に決めれば、たぶん僕は救済されるし、新しい女性が自分の目にも飛び込んでくるし、女性との関わり方も変わってくると思う。

 女を身体で判断するという、女に飢えている僕らしい、子どもらしい見方だけれど、身体基準を変更し、女を人間力で見て、人間力を評価すれば、女の別の面が浮かび上がり、新たな女との接点が見つかり、そのおかげで僕自身が救済されると思う。
 いつまでも女を身体から見ていないで、人間力を評価すれば、僕自身が救済されてくると思う。損得の自分の身体基準を女に押し付けるのではなく、女と言う人間を別の面から見れば自ずと・おのずと 僕自身が救済され女と新しい関係を築けると思う。
 女を身体で判断するという、女と自分も貶める・おとしめる 見方ではなく、自分も女も生きてくる人間力と言う見方を導入すれば、自分も女も生きてくると思う。そこには、別の人間関係が築かれると思う。人として女にどうかかわるか、どう見るか、自分の浅ましさを変更する良い機会に変更できると思う。(急には無理かもしれないが、徐々にでも)

 女で得しよう、得しようではなく、僕自身が人間として仕事をし、人間としての女が見えてくる気もする。