ダメな自分は、親の色眼鏡で僕のじゃない。もう要らなくなった。親に返すよ。ダメな自分を抱擁する。

 夜中起き出して、いつものように、流し・コンロ、トイレ・洗面台を掃除した。コメも炊いた。(予約、玄米2合)
 織りと雑巾縫いもやった。織は好き勝手に織ってみた。割といいと思う。雑巾縫いも慣れてきたが、ミシンの直線は下手なままだ。寝る。




 スーパーマンを目指していた、と書いたが、ダメな自分を排除してきた、ともいえる。

 テーラーSG氏のようでもなく、布草履の達人のようでもなく、洋裁女氏のようでもなく、円座のKE氏のようでもない。これらの人は成功者で、力をふるっているスターだ。
 僕はこれらの人たちみたいになれないまま終わるかもしれない。そんなダメな自分をダメだと否定し、スーパーマンを目指してきた。でも本当に必要だったのは、自分のダメな部分を受け入れることだ。

 父は僕のダメな部分を排除してきた。父は、自分の他とは違う、と色分けして排除した。そこらのやつとは違うと。しかし、この排除、人生を半分しか生きていない。排除した部分は否定され、自分から疎外され、見えなくしてしまっている。

 
 もし排除せず、ダメな部分を受け入れるなら、人生を全部認め、120%生きられることになる。自分を狭くしてどうするんだ。自分は違うというの言葉が、自分を変えることのできない足枷・あしかせ にしてしまっている。
 ダメな自分、劣り、弱く、惨めで、格好悪い、そんな自分を愛することができれば人生は開かれる。親の与えた見方、ダメな自分を排除する、という呪縛から脱し、自分のダメを受け入れて、全部自分だよと抱擁してやれば、たちまち人生は倍になり、力強さは増し、ラッキーだよ。


 ダメな自分というのは、親の掛けていた色眼鏡で、僕のじゃあない。色眼鏡は親に返してあげる。もういらない。僕はダメな自分と共に歩んでいきたい。開かれた人生を胸を張って歩いて行ける。