追記しました10/27Sun: 手袋と帽子 / ワーキングメモリ障がいか?

追記:
 カウンセリングの先生との対話で抜け落ちていたことがあった。

 僕が家で手芸の勉強とかしなくても、本を読んだりしなくても、新聞を読んで時間をつぶしたり、ダラダラテレビを見てもそれを否定せず、無駄な時間を過ごす選択をした・そういう無駄な一つの世界を経験する、と捉えればいいのではないのか、みたいなことを話した。

 建設的な時間の過ごし方をしないで、家でダラダラインターネットをしても、そういう時間を過ごした、無駄だと自分を責めるというか否定しなくても、そういう時間を一つの世界・選択肢として大事にしてやることは、いずれ建設的な時間の過ごし方につながるかもしれないし、そうでなくても、先生がおっしゃったような気がしたが、英気を養うというか、休息に当てたみたいに捉えてもいいのではないかというようなことを話した、と思った。

 ようは自分の中の否定する行動も一つの世界としてとらえて、否定せず大事にしていこうみたいな話をした。ひろげれば、犯罪を肯定するわけではないが、そういう自分の社会的に認められていない行動も一つの世界として否定しなくていいのではないかと。自分の中の反社会的な気持ちも否定せず一つの世界として大事にできるのではないのかと。行動としての犯罪という意味ではなく、心の中の犯罪に属する気持ちも一つの世界として、選択肢として、心の中の一つとしてとっておいていいのではないかと。行動に移すという意味ではないです。自分を狭めない、否定しない、いろいろな自分を認めてやるという言う意味です。





・ スポーツ屋で帽子と手袋を買おうとした。au pay で払うつもりだった。店内にはのぼりが立っていてポイントカードだと10%引きだという。

 僕はレジでポイントカードに入りたいというと、まずクレジットカードのポイントカードを示された(これを僕はダメだと決めつけた。クレジットカードを増やしたくなかった)。他にただのカードはないかと問うと現金専用のがありますと言われた(これも僕はペイで支払おうと思っていたのでダメだと決めつけた)。ダメなのが続いて、僕は現金で支払った。店を出て、現金カードにすればよかったのに気付いた。そして、損をした、失敗したと自分を責めた。

 この経験の後、カウンセリングを受けた。そこでこの体験を話した。
 そして先生との話し合いで、僕のダメだと決めつけたのがよくなく、クレジットカードを使うことを否定せず、現金カードを否定しないで両方の方法を一つの世界とみればよかったと言った。そうすれば、クレジットカードを使うことも(入会)、現金カードを使うことも(入会)否定せず、両方の方法が選択肢として残った。僕はあれはダメ、これもダメと否定して自分を狭めている。自分を制限する装置を積み過ぎている。そうではなく、いろいろな方法を一つの世界、一つの選択してして全部残しておいて、それを並列に扱う・上下関係にしない・良し悪しにしない、そうすれば全部が生きてきて、僕を圧迫しないし制約されない。

 先生とのカウンセリングで、これを活かすことを生活の中でどのように使えるか問われた。そして最後に来週以降もこのひとつの世界として全部活かすことをテーマとして続けていくように過ごしてはどうかと提案された。
 これを先生に言われる前に、作業所でどうするかについても話した。

 作業所のテーラーSG氏はエネルギーをものすごく放出しながら仕事をする。僕はダメだとなってしまう。そうではなく、テーラー氏の世界も一つで僕の作業も一つの世界で、比べる必要はない。
 テーラー氏に否定されると僕はダメだとなってしまうし、実際テキパキと作業しているとは僕は言い難い。でも毎日向上させよう、テーラー氏の仕事ぶりに見習いたいとは思っている。
 ここでも、分離が必要かもしれない。比べる必要はない。テーラー氏に否定されたり、みんなに否定されてもテーラー氏の世界、みなという集合一人一人に否定されていると分けたほうがいいかもしれない。そして自分の世界を尊重する道を探ったほうがいいかもしれない。

・ 本屋からのメールマガジンで、ワーキングメモリの低い子供にどのように教えるかの本の紹介が来ていた。なんとなく気になってワーキングメモリを調べたけれど、難しくてよくわからなかった。もしこれが関係あるなら、僕は発達障害系の、学習障害か何かを抱えているのかなと思った。もしそうなら、僕は方法を学んで勉強に対する方策を立てることができるなと展望を持った。まあ全部間違いという話もあるけれど、僕は学習障害というのは正しいような直感を持った。いままで考えてもいなかったけれど。薄々僕は勉強ができないとは思っている。
 僕の中でテーマが次々遷移しているというのも説明できる気もするが。