追記追記:
林へ歌いに行った。スマッシング パンプキンズ は、調子のよい時しかできそうもないので、いつでもできそうな坂本にしてみた。図書館へは時間切れで行かなかった。(そういう言い訳をした)逃げを打った。
thatness and thereness, gonana be a soldier(曲目わからず), perspective, ongaku と坂本をうたった。ノリノリもあれば、高くて声が出しづらく細い声もあった。まあまあだった。これらは得意なほう。
radiohead optimistic, pyramid song, knives out は、声が高かったりどう歌っていいかわからなかったけれど、歌詞が歌詞なので、よくわかっていないが、突き放して歌ってみたところもあった。声も声の裏にメッセージを込めて裏面交流した。言葉の額面通りではなく、孤独・寂しさ・怒りみたいなメッセージを塗り込んだ。まあ、高い声が出なかったので、健闘してみましたと言う感覚だった。
hundred reasons storied with unhappy endings, what you get と歌った。全く飾りなしで等身大、素(す)で歌った。面白くもおかしくもないけれどありのままの自分で歌ったのでよかった。自分のためとして。
いつもは歌は仕事と言う感覚なのだけれど、今日は遊びで歌っている感覚だった。楽しかった。この方向もいいかもしれない。自分の楽しみのための歌。あまり力(りき)んでいなかった。
・太極拳をはじめませんか
第2部 天人起動 2.万流帰一 まで進めてしまった。よく理解していない。
どうすればできるだろうか?で、逃げをなるべく打たないようにしたいと思った。それで太極拳、うた とやってみた。この本の最後:東洋医学のこころとからだ も読んでいるところ。おもしろい。僕は西洋医学よりすきだなあ。2番目の作業所の元祖・唯一無二は針灸のできる人だった。なぜマイナーな東洋医学なのだろうと思ったけれど、僕も惹かれだした。僕も齧ってみたい。
追記:
ヨシケイ(食材配達・レシピ付き)にお試し+1週間頼んでみたが、プラスの部分の料金がバカ高い。僕が頼みたいのは、一人一食700円もする。これでは続かない。僕の希望としては、一人一食300円くらいだ。そうでないと、食費ばかり金を食う。
それで、1週間 レシピ + (定番) で検索して出てきた本を買った。買ったことのない食材が入ってしまっているし、使わないだろう食材もリストに並んでいるが、適当に付き合いながら、適当にまともに時短で作りたい。休みの日に買い出しに行き、帰りはバスで帰ってくるという(行きもバスでいいが)、自分とゆるく料理をつきあいたい。
「逃げの自分」
平成30年2月3日 土曜日
「7つの習慣」クイックマスター・シリーズ 第一の習慣:主体性を発揮する 選択する力 (※安くて、小分け販売)(取組中)
をkindleダウンロードで読んでいます。
今回読んでいて、今までの所での最大の山場に来ました。
自己達成予言:反応的な言葉(68% No.695)
引用(kurage0147130の勝手気ままな取捨選択):
「
・「それはできない。時間がない」
(時間と言う制限が自分をコントロールしている)
~
~
・「仕方ない。やらなくてはならない」
(状況や他の人によって自分の行動が強要されている。自分で行動を選択する自由がない)
このように、反応的な人は「責任は自分にはない」「自分では選ぶことができない」という気持ちを、さまざまなバリエーションの言葉で吐き出します。~
なぜこういう言葉が問題なのでしょうか? それは、心理学でいう「自己達成予言」になるからです。
こういった言葉~ますます「自分にはできない」というパラダイムを強く抱えることになり、「でき
(70% No.708)
ない」証拠を自分自身に定着させてしまうのです。
~
~
ぜひ、「すぐに『できない』と決め付けないこと」を約束してください。そんなときには、「どうすればできるだろうか」と考えるようにしてください。主体的な人間への第一歩です。
」
(kurage0147130):次の、小見出しで(自己達成予言:主体的な言葉)良い例の言葉が書かれている。短いですが。それは割愛。でも、どうすればできるだろうか、と言う引用は、強力な言葉だ。全く後ろ向きでなく、責任もあるし、コミットできるし、変更可能だ。電子ブックでは、アリの行進に例えて、どんなものでもひるまず先へと進むイメージを与えてくれているが、僕は矢が折れ曲がるように、いつも挫(くじ)けてイジケテうな垂れてきた。
それを払拭(ふっしょく)する言葉が「どうすればできるだろうか」というもの。
作業所では、皿洗いとゴミだし、掃除機かけが僕がやった「どうすればできるだろうか」の行動にあたったと思うけれど、日常の生活での全般で続く諦めムードを吹き払うのに「どうすればできるだろうか」ほど建設的で前向きな言葉はない。使ってこなかった言葉だ。
うたも、英語で書かれたレッスンブックを持っているけれど、訳すのにひるんでできていない。これなんかも格好のターゲットにできそう。今の自分はまだひるんでうな垂れて、下を向いているが。
僕が僕のためのチャレンジとして「どうすればできるだろうか」をキーワードにできたらと夢想する。ここで腰が引けるのは、僕は散々逃げてきたから。逃げ人生だった。ここに言葉をはさむ余地はない。逃げを打ってばかりいた。今も逃げようとしている。