母    父   

2014/11/11(Tue) 火曜日


・ 最近僕も一品料理を作っていたりするけれど、母に居酒屋料理みたいだねと言われた。そういわれると僕もそう思う。本に出ている料理は、和食の基本的なものではなく、居酒屋メニューみたいだなと。

 最近母の作る料理が旨くて、おいしいと感じている。僕は両親の世話になってから17年くらい経つけれど、そのあいだ母はずっと料理を作ってきた。でもうまいとあまり感じてこなかった。僕は病気で、沈んで、躓いて、停滞してきた。味も開かれなかった。けれど、母は心を込めて僕たちの料理を作り続けてきたのだと思う。母に感謝している。僕たち家族の食卓を守ってくれてありがとう。これからも僕たちの料理を作ってください。よろしくお願いします。(面と向かって言えたらいいけれど、いまは旨いとしか言えていない。)


・ 作業所へ行く前に、トイレ掃除のおばちゃんや、工事現場のおじさんと会うけれど、彼女ら彼らの活動があるから、僕は快適に過ごせている。他の人の活動のありがたみを少し感じる。


 今日は作業所でスタンプ押しと、下絵をなぞる作業をやらせてもらった。帰りにプールに寄った。

 プールでは、水に浮いて前へ進む感触が良かった。おもしろかった。初めて泳いだと感じた。


・ 僕は、父との暮らしでいい思い出がない。父とサッカーや野球をやったけれど、一度も楽しいと感じなかった。ナルシストの父は僕に関心がなく、常に僕より上のうまい奴として振舞い、僕を叩くことに専念していた。父は常に優越を示そうとした。父は僕を踏み台としてしかみていない。たまに優しいそぶりを見せるけれど、それも気が向いただけの話で、唾の吐き方もキチガイみたいにゲーゲーおかしな音をさせて不快にさせる。

 僕は父の変な接し方により、委縮し続けてきたと思う。父は人間的なことはまるでダメな奴だ。僕にとってはマイナスで、人間関係を作るうえでハンディを増長させるだけの存在だ。父との人間関係を超えないと、僕は潰れてしまう。父は絶対的にモデルにならない。病気としてだけ父は存在する。父自身が病人だから、病人としての人間関係しかできていない。

 父を超えるということは、父の病んだ僕への接し方で僕が育んだ、僕の病気的な人間関係を正すことだ。委縮している僕の人間関係をオープンにしていくことだと思う。

・言いたいことが言えない人―「恥ずかしがり屋」の深層心理、加藤諦三 を買った。