母・父・プール

 母は、実家の墓に入りたいか、と聞くと、父の墓でいいという。実家の墓に入ったら離婚した人みたいだ、という。
 僕が母だったら、実家の墓に入る。母は、父との結婚を壊さないということに執着しているのが分かった。それが母のプライドらしい。そこを曲げないために、他がかなりひん曲がっている。母の性格、父と別の施設にいること、僕に対して。


 父に野球ボールを握らせようとしたが、関節拘縮(こうしゅく)で曲がったまま開かなかった。理学療法士の方が隣のベッドに来ていたので父の手を見てもらった。2,3ミリしか動くというか開くようにはならないといった。父ももう望んでいなかった。僕はもっと前から、右手の握りだけでも拘縮しないように理学療法士のやってもらうよう頼めばがよかったと少し後悔した。

 父は音楽を先週から拒否するようになった。

 今日は父の顔を見て、ボケてしまったのかと思った。音楽は拒否するし、スピーカから聞かせたら、いらないと顔を動かし指示した。顔も硬直してもうだめなのかと思い、院長先生や、婦長さんに聞いたら、いつもと同じだという。

 父としばらくベッドにいて、意思疎通はできるので確かに変わったというほどでもないかなとは思った。

 父とベッドそばにいて、父が死んでいくのを見ていくのだなと、この病院の本来の意味と父の行く末が分かってしまった。
 僕は父と少しでも楽しくしていきたいと思っていたけれど。

 父が家に帰りたいという、僕が面倒見れないから無理だと答えた。院長先生にも在宅は無理ですよね、と聞くと、痰の吸引とかある、と言われた。お世話になっていても在宅ができるのだったらなあと思った。僕が作業所をやめ、専念するなら可能かもしれない。でもさいころは振ったし、作業所もやめたくないので、この父の消えゆく命を、衰えていくのを見続けるのが義務になりそうだ。僕が選んだといえる。背けることはできないというものらしい。

 父はベッドから逃げられないので、そのことでトラウマになるかなとも思ったが、僕が帰るというと、気を付けて帰れ、と僕におぶれとか言わなかった。帰るという前に、危ないぞ、危ないぞと2回父は僕に言った。体を動かそうとしているらしかったが、動かなかった。そのことで落ち込んでいなかったので、心はまだ何とか持っているようだ。




 プールでは、足の動きを重点的にやった。ビート板につかまり、平泳ぎのカエル脚運動をこなした。今日は画期的だった。
 足を開いて蹴り、閉じてまっすぐになりその時呼吸して、足が沈んだ時に足をお腹のほうに引き寄せ、頭を水に浸け開きながら蹴る。こうすると呼吸して足が沈ん時に足を抱え込んで、顔を戻したら蹴ることができる。非常にいい流れになった。本に書いてある通りだったか、正しいか確認をとっていないけれど、自分では進歩した気分になり楽しかった。気晴らしになった。
 始めと終わりは水中ウォーキングをした。

 今日は浮いてるのを感じたし、手も伸ばしてビート板をつかんでいた。

18 Thu


 こんにちは。

 今日も殴ってやろうが帰りの交通機関でたくさんいました。けれど、昼の薬を飲み忘れていたので、どこまで本当だったか自信がないです(本当にガチガチに踏み込まれていたのか? 過敏だった部分はないのか?)

 作業所では、やりやすい道行コートをやりました。(着物解体) 
 いい加減な気持ちで、いい加減な動作をしたので、一か所穴をあけました。それで、「確実な商品」を作ろうとしないといけないなと思いました。
 商品というのは、着物解体とはいえ、生地になるので、商品になる元です。それで商品です。確実なというのは、いい加減なものを作らないという、最初からいい加減を排除しようという意識のものです。それで、確実な動作で、確実な商品を作るとなります。

 お昼で終われそうだったので、お昼もやりました。できるか、できないかという持ち時間で、俺ならできる、というほうに賭けるため、できると心で念じました。そしたらギリギリできました。

 午後は、薄緑色の単色の道行コートになりました。雑なのを許さない、失敗は表に響く、やりづらいのになりました。なんとか、「確実な商品」という合言葉でこなせないかなと思います。ただし、調子の悪い日にやるのでどうなることか。難しかったら、スタッフに断って、待ってもらって一枚別のに変えてそちらをやろうかなと、今考えました。

 女性と寝たいです。

 
 ・そうえいば、日報に、ボスの道行コート精神鍛え直し着物をやっています。と書いて、目をつけられてしまいました。ボスの猛攻を誘いました。結局は、僕が真剣みがなかったです、と白旗を掲げた書き込みをして終結しました。書いている通りの浮ついた気持ちと、それを撤回する内容です。

・僕は52歳だけれど、若いころ、女性と付き合い、寝てこなかったので、今現在若い子と寝たいです。無理な望みとわかっちゃいるけど。よ~。

<おわり>

 


 交通機関帰り・帰り道では、殴ってやろうがたくさん出没した。けれど、そんなに調子が悪くないので突っ込まれなかった。

 作業していてい、着物のミシン目を切るのだけれど、一本だけ掬(すく)いたいとき(すく)、今まで、できるかなダメかな なんて思ってやってきたが、

 2日くらい前から 僕はできる、と信じてやるようにし出した。昔の新聞の職業紹介で漫画家が取り上げられていて、キャラクターとかを動かしたいとき、キャラクターの描き方で信じて描く、みたいな内容を読んだことがあった。心から信じて念を送るくらいの気持ちで描く、というような内容だったと思った。

 それで、僕も、一本のミシン目を掬える、と自分を信じてやるようにしている。そうでないとためらいになってうまくいかなくなる。


 自殺する人は、なぜ生きるか生きる価値はあるか、みたいなことを考えるとと聞いたことがある。僕は今のところこちらでは障害はないが、自信のなさでは障害といえるほど弱い。だから、これからは、何かやる時、信じて、自分を信じて、俺はできる、みたいなことを思って取り組もうと思っている。

 いつも自信がなく、ためらいの気持ちで取り組んでいるから。自分を信じる気持ちで向き合おうと思った。鰯の頭(いわしのあたま)も信心から、ですね。

<おわり>

 いつになく明るい僕のブログ:


 昨日はゴチャゴチャ書きました。現実と向き合ってみて、今日を過ごしてみて:

☆ 男として取り組み、自分で動かそう(ノルマの着物に対して)としようとしてみた。実際に成功したかはわからないけれど、今日は動けたほうだった。


 <おわり>

※※追記 07/15 noMMon 51/70 記追※※

※追記は最後にあります。


 作業所の、僕に興味があった女性がいて、その妹のほうがいいと僕は作業所の中でゴチャゴチャしてしまった。しばらくたってから、その興味があった姉が冷たく来るようになった。

 今日の皿洗いで、その姉がタオルを取り換えるとやってきた。最近の姉の行動だった。僕は仲良くやっていこうとお願いしますといった。

 皿洗いが終わって席に戻ろうとすると、その姉が邪魔で席に行けない。僕はしばらく待っていた。妹が待ってるよと姉に声をかけて通れるようになった。



⊡これ、僕は姉に馬鹿にされているのだなと、家に帰ってから思った。姉は僕と仲良くする理由がない。そして僕は、仲よくしようなどと擦り寄った。
 僕は自立していない。うまくやろうとスリスリ尾っぽを巻いて姉にご機嫌伺い(うかがい)をしていた。


 
 昨日から取り組んでいる、道行コートミシン縫い、朱色のもの、だいぶ進んでいた。作業所に今日着くと、スタッフができたのから持って行った。すぐ使うからと言われた。それで急いで他のもやりだした。明らかに僕のパフォーマンスは上がっていた。でも、それが終わると、ダラダラと遅くなった。集中力も落ちた。


⊡スタッフに言われたときは頑張っても、終わるとガタ落ち。どう考えても自立していない。


 
 作業所での自立とはどういうことなのだろう。周りとうまくやろうとか、スタッフに気に入られようとか、先輩に目をかけてもらおうとか、これ全部僕のことだけれど、自立する言葉ではない。
 集団に所属していても一人で生きていこう、誰にも頼らず、言いたいことを言い、自分の言葉・行動・態度を責任をもって一人立ちさせようとすること、なのだろうか。
 一人で生きるとは、どういうことがわからないけれど、探らないことには始まらない。



・最高のコーチは、教えない。 吉井理人  Kindleダウンロードしました。

 目標の定め方が出ています。ちょうど読んでいる所です。やはりできそうな小さな目標を作り、それをこなしていき、大きな目標を達成する、という流れのようです。途中経過もそこでなぜ必要なのか全体の流れの中で見えるようになっているみたいです。

 僕の目標は、大目標が大きすぎ、そこへの途中経過が語られず、最初の小さな一歩と、最後の大目標だけが存在するような。すぐに結果だけ求めるような、安直な、本に出てくる高校生がヤンキースの活躍する若手になりたい、みたいなノリです。結果だけ欲しがり、最初の小さな一歩が、一気に大目標と直結しないと受け入れられない、アホ僕です。


 こう書いてみると、作業所の中でも、集団に所属するけれど、自分の目標を持ち、小さな一歩を実践するけれど、途中の段階もよくわかっていて、どうすれば、大目標にたどり着けるか、自分で組み立てることができる人が、自立するということなのでしょうか。

 そうすると、僕は小さな一歩の毎日だけで、大目標がなく、途中も見えない、かなり危ない奴(あぶないやつ)、危うい存在(あやういそんざい)、みたいです。


 本がどのくらい使えるかわからないので何とも言えないが、コーチングの考え方らしいです。大学院も出られたとか。
<おわり>

・プールに入ったが、後退した。下手になった。目標をもってやっていなかった。
・カウンセリングを受けたが、一週間の振り返りで終わった。進歩なし。




※追記
 僕は大目標と、小さな一歩は描ける。その小さな一歩を確実に使えるまで練度を高める行動が抜け落ちていないか。

 本を読んでも、あー面白かったで終わり。身につかない、未消化で終わる。だから、カウンセリングの先生にも言われたが、ちょっとかじって終わりの人間と諦めたらどうだ、みたいにも言われたが、そういう人間だと、深める動作がないと。

 そうではない、身につくまで、使えるまで離さないで、使えるようになったら次へ行けばいいのかも。先を急ぎすぎて、全部未消化が積み重なって、できない、わからないで潰れる。徹底的に使い倒して次へ進めがいいのかもね。
 こういうことを読みました・これこれを覚えました。次、次、ではなく。これできた、ならば使ってみよう、どこにどう使えるかな、ひっくり返したり、スピードを緩めたり、休んだりもしながら、使い倒しまでやらないと僕の場合はダメかも。全部中途半端だから。



※※追記
 英語でやってみようとした。それでわかったのは、僕は目標地点に到達したら完全になるというものだった。不完全な最初の一歩から、完全な目標到達までの道を歩むと。父はイチローにはへつらった。それは誰も口答えできない存在だから。それは僕も同じ、英語ができるというのは誰もけなせない、というニュアンスに近い。だから最初の一歩は不完全になる。最初の一歩が不完全だから、すぐに目標に行こうとする。完全に向けて。
 そして最初の一歩は不完全なので、最初から完全を求めようとする。I'll だったら、今すぐ何かしますというニュアンスがあると習った。べつのほんでは必ずします、というニュアンスだとある。似ているけれどちょっと違う。その違いが許せなくなる。すぐ完全じゃないといけないから。書いてあることも全部覚えなきゃ。完全に使えるようにならなきゃ。書いてある事を鵜呑みにして。自分の工夫の入る余地はない。すぐ覚えなきゃ。

 結局主体的ではなく受動的。僕が何かをするとき受動的になる。自分で取り組むというニュアンスが乏(とぼ)しい。
 全部父母の下での勉強になる。このニュアンスが強力にある。この過去の関係性が、僕が取り組むときに前面に出てくる。
 そして社会性が欠けている。集団の中での僕の英語理解というニュアンスが乏しい。内向して覚えようとする。自分のうちに閉じて理解しようとする。社会に向けて覚えようとしたり、理解しようとしない。自分の能力と関係がある。できないと能力がない、無能力になる。無能になりたくないから必死になる。無能という言葉が怖い。
 他人に貼られるレッテルが怖いのかもしれない。自分で取り組まないから、他人のレッテルを信用する。

☆☆心を込めて取り組んだことがないのかもしれない。自分の心を入れて取り組む。心は社会に向けての心かもしれない。

 評価を恐れる。他人の評価。主体性のなさ。

ひきこもり読書!!! vs 構成員読書 ???

 地元の図書館にアイヌの本とか、西洋美術館のほんとか取りおいてもらって見てきた。

 そして100de名著スピノザを読み終わった。

 ・チーズはどこへ消えた。 も読み終わった。

 この図書館での読書を振り返り、少し変なのではないかと今感じた。今狙っているのは・最高のコートは教えない 吉井理人


 僕は振り返って、図書館の読書でも、交通機関の読書でも、頭の中に引きこもって読んでいる。引きこもり読書。

 そうではなく、集団の中の一人として、構成員として自分の頭の中で考えることを、集団の一つの回答・考えとして発表するような、読書を集団に投げかけるような方法で、皆は読んでいるのではないかと疑問を持った。構成員読書。

この方法が本当なら、僕は頭がよくなるかもしれない。今のところバカだが。馬鹿禿早漏極小猥雑間抜け薄のろ より愛を込めて。


:::追記:::ということは家にいるときも引きこもっている。町内の一人として動いて。市民として動いて。作業所の一人として動いて。自分が構成していると自覚がないのは:

 たぶん父母がろくでもなかったからだ。僕を一段下に見て、構成員として扱わず、圏外として構成員から外して接していたのが原因だ。糞馬鹿父母。本当かあ? というのこ残ってしまうが、頭がよくなったら、僕のこの考えも間違っていないだろう。

 いや違う。父母は構成員はしたことがない。引きこもり読書の人だったと思う。でなければ、家の中であんなにだらしなかったわけがない。父母ともに構成員になったことがなかったのでは。父母はたぶんボーダーな人だった。境界線上の人だったと思う。

言葉がなくなりそうだ。


 今日は、作業所でボールを縫っていて、握力が落ちた。全く進まなくなった。いつものパターン。調子が悪い。

 糸がすれているので、やり辛く、切れやすく、それは放棄した。別のにしたら調子も戻っていった。

 そしてそれを中断して、着物の糸取りを命じられた。ボスが買い付けた道行コートだった。ミシンだったが、下糸が白く、上糸は生地と同じ朱色でやりやすい。そこが救いだった。

 こんなに裏仕事が多くて、裏仕事専門なので、カメムシが机の上でひっくり返って何も掴めずバタバタしてあがいているように、僕も無力感でもがきたくなった。完全に裏返ってしまった。


 ギターでも触って憂さ晴らしをしないとやっていけない。このままでは発酵しそうだ。納豆のように。

7/10 Wed

 スピノザの続編と行きたいところだけれど、話が難しくなってきた。神の話を書きたいけれど、きちんと書く気力がない。

・ いい加減に描くと、神の姿の形を変えた分身のようなもとして人間も水も草もある。実体は神だけで、人間とか草木は分けてもらった神のべつの状態だと。人間のさまざまな個体は、神のいろいろな状態を映したようなものだと。正確に書いていません、いい加減です。
 
 神のいろいろな状態を映したものとして、多数の個人、多数の草木動物がある。だから人間草木動物も神だと言える。ただ実体は神だけで、あとは神の様態のバリエーションの子供みたいなものだと理解した。

・ 心身二元論ではなく、心身並行論。精神も身体も同時に存在する。同時に成り立っている。

・ また、社会契約説ではない。社会契約説は、国家と個人がいつかの時点で契約を交わすが、スピノザはその時々時の移ろいの中で不断に契約を交わしているとみる。あいつを殴りたいというのは不履行だが、それをしないよう不断に自己と戦って法を守ろうと試み続ける時間が現在から未来へと試されている。その時々の社会との契約。アクティブな感じのする内容みたいだ。

 
 頭がよくないので、正しいことは書いていない。本を読んでね。僕の頭ではこんなところに落ち着く。

 第2回まで読んだ。3回は自由。



野球ボールを縫ってきた。4年ぶりくらいなので何も覚えていない。何とかちょっとは進んだ。1個完成させていない。勝算はありそう。でもまだ下手糞。
 
練習なしで本番だからきつい。毎日やりたいと思う。

 

・チーズはどこへ消えた。 
のストーリの2章まで読んだ。読後の感想、活かしの3章まで行っていない。

 感想としては良さそうな本だけれど、売りたい続編も読まないと理解できそうもない。単純な話だが、ポイントが絞り切れなかった。キンドルなので、マーカーを引いて理解しようとしたが、2回読まないとよくわからないや。また、続編のような一番頑固で後れをとった小人ヘムの話が必要だとも感じた。ヘムの話なら、より明確になりそう。おもしろいけれど、すごくはない。無駄でもない。よいところはたくさんあるが、すごいわけでもないと感じた。

 眠くなってきた。寝たい。生協の個配を記入したら寝る。
<おわり>

07/09 Tue スピノザ引用:


 ヨシケイを休ませてもらうことにした。父の面倒を見ていた時期からの付き合いだったが、必ずメニューを作るのも面倒になった。週2日だったが、それすらやりたくなくなった。1回に2人前、2日続けて同じメニューを食ってきた。

 
 作業所は、スタッフに教えてもらいながら、硬式野球の目を縫う作業をやらせて頂いた。最近作業所でやっているらしかったが、僕の出番が来るとは思っていなかった。

 土にまみれて薄汚れているボールの補修という、やってみた感想としては、台所の排水溝に手を突っ込んで洗っている感じ、だった。

 最初はプロが下ろして、次が高校野球で、最後が草野球という話は聞いたことがあるが、作業所は、とにかく草野球で使うものらしい。


 夢のある作業だが、思いっきり裏方だ。たぶん僕に向いている。僕は前の作業所で、革のキーカヴァーを縫っていたので適応できる。


 しかしやってみると、最初なので糸が絡まり、最初の縫い目に針を刺すのが結構難しい。なれたら手順を報告する。自分の確認のため。



 偉そうにしゃべっていますが、だんだんマイナーなことをやっている。
 アマゾンのメールで、

・チーズはどこへ消えた  。

という20年位前の本の紹介をもらい、そして今回役立つと思っている。すぐ読もうと思う。アマゾンで前書きが読めます。本の写真のクリック経由。




NHK 100de名著:エチカ、スピノザ、2018/12

ですが、思いっきり重要情報があり、のめりこんでいます。

僕の胡散臭い引用をします。

例えば、p34付近を僕の言い方ですると、ギターは僕にとって自己表現になりそうだが、バレーボールは自己表現にならない。バレーは下手糞。

 ギターは僕の力を高めてくれるから、

本からの
引用:p34:スピノザはこのことを「活動能力が高まる」という言い方で表現します。
~~
~~
 私にとっての善いものとは、私とうまく組み合わさって私の「活動能力を増大」
p35
させるものです。~~」




p40,41付近
kurage0147130の曲解の要約:

 馬というくくりだと、シマウマも競走馬も農耕馬も同じくくりになる。けれど、性質で見ると、シマウマは人を乗せないし、競走馬は畑を耕せないし、農耕馬は早くは走れない。それぞれに特性がある。この馬の、全部馬だよというくくりをエイドス・「形相」のくくりという。

それにたいして、各個体が持っている力に注目し、性質の力で見ると、シマウマはサバンナを疾走するし、競走馬は人を乗せ競技場で競争する、農耕馬は人のために畑を耕し労働してくれる。それぞれに特性を持っている。


引用:p42:「~活動能力を高めるためには、その人の力の性質が決定的に重要です。一人一人の力のありようを具体的に見て組み合わせを考えていく必要があるからです。エイドスに基づく判断(「男だから」「女だから」)は、その意味で実に抽象的であると言うことができます。ここにも『エチカ』のエートス的な発想が生きていると言えるでしょう。
どのような性質の力を持った人が、どのような場所、どのような環境に生きているのか。それを具体的に考えた時にはじめて活動能力を高める組み合わせを探し当てることができる。ですから、本質をコナトゥスとしてとらえることは、私たちの生き方そのものと関わってくる、ものの見方の転換なのです。」

p39:「   
「コナトゥスconatus」というスピノザの有名な概念です。~「ある傾向を持った力」と考えればいいでしょう。

 

引用者kurage0147130:ここまでのp42までしか読んでいません。すごく刺激的で面白い。自分のことだと、音楽は好きだけれど、映像はそれほどでもないとか、本は読みたいけれど、テレビは見続けたくない、バレーは苦手だとか、卓球も苦手、そういう、自分の能力が対象との組み合わせで「活動能力が増大」し、「低下」もする。

ここまでが僕の胡散臭い理解でした。本を読んでね。

僕は汚い作業得意っすよ。
<おわり>

7/8 Mon Man Men


 正直に言いますと、現在このブログ、来ていただいているかたは1名のみです。その方が来なくなると、誰もいなくなります。


 今日は、昨日女にゴチャゴチャやられたので、女はイカンとなっていた。不機嫌というか。それもよくないのを家に帰って思った。暗い顔してバカだったなあと。どうってことない、で取り組めばよかった。

 女が否定して来ようが、殴りに来ようが、ぼくがやられて消えようが、どうってことない。そんなに重要ではない。

 僕が自分のできることにできる範囲で取り組み集中すればよいだけの話だ。

 
 昨日は、ギターに触ったり、電気ハンディピアノに触ったりした。楽器なんてどうってことないと思う。使いこなすのは大変だが、触るのは簡単だ。リコーダーもちょっと吹いた。自分の心に響くことをしたいが、どういうやり方をすればよいのかわからないので、できなかった。

 今まで否定ばかりする親と暮らしてきたので、そいつらがいなくなったので、勝手放題やっていいのだなと思う。音楽も手加減する必要がなくなった。やりたいだけやればいい。親には僕はかなり否定されて生きてきた。その面では、あいつらバカヤローだ。ただ、調子の悪い時に世話になったので、世話になった恩義はある。

07/07 Sun 七夕様:. 。

 作業所では、若い女がバカにしているらしいので、避けて掃除しないできたのを掃除した。ガールズトークを展開したのも気に入らなかった。

 交通機関では、周りがやけに意識していた。調子は悪いが、突っ込まれるというほど悪くもなかった。よくはなかった。

 このブログもアクセスがほとんどないので下火なのだなと思う。これを読んでいた人が読まなくなれば誰も来ないかもしれない。それもしょうがないでしょう。

 きょうも、もっこり元気よく前向きにやっていきたい。合言葉は、もっこりもりもり。



・カウンセリングは、今の母は統合失調所と認知症で変になってしまったので、昔の母の記憶を思い出す方向で進んだ。先生が、首をすげ替えるのは、人間を変えるのは変だけれど過去の記憶の母と今の母を取り換えるのはいいだろうとのことだった。

 今度母のところに行ったら、昔の母との思い出を少し喋ってみたい。たぶん黙っているだろうと思うが。
 今の母は何ら生産的でないが、過去の記憶の母との思い出は心の中では輝いていた。先生にそちらに誘導されて喋ってみて、母の昔の記憶の明るさに暗澹たる今との違いを大きく感じた。

・プールは、ビート板を持つ手が肘で曲がらないで、まっすぐ伸ばすように持って、泳いで呼吸するといいのかな、と思った。最近、泳ぎの本とかDVDを見ていないので上達からは離れている。水慣れして、泳ぐというのも日常になりつつあるような気もする。




・ ギターでも手に持ってみたい。弾けないだろうが。

 先生は、できるんじゃない、と励ますのか気やすめか、軽く言っていたけれど、コード進行も毎日やればできるかもね。作業所の手話も、五十音、だいぶ慣れてきた。僕は覚えていないのでみんなの中では落ちこぼれだけれど。なんでもやればできるかもしれない。小さくまるまる必要もないだろうし。

 ワールドロックナウ 渋谷陽一 の曲でも、プリンスやレディオヘッドみたいなのではなく、下手そうなのもあるし。あの人たちを基準にする必要もないだろう。自分ひとり食っていけるミュージシャンとの立場なら、案外可能かもね。それが結構ハードル高いのかもしれないが。

 作業所でも小さくなってきたが、家でも小さくなる必要はないだろう。今時小さくなるやつは僕くらいだろうか。

 自分の目指す位置が高すぎるのと、自分の実力から目標にすべき場所を決めるべきだと思う。両方とも下げることになる。自分で自分を支えればいいのだから、売れなくても、うけなくても、評価されなくても、まずは自分が満足することをやるほうがいいだろう。そういう凄くない自分がレベルの低いところを目標にして、穴をあければいいと思う。突き破るということ。もっこり表現になりました。おあとがよろしいようで。ちゃんちゃん。
<おわり>

2019-07-04 Thu 新津春子/マルクス・アウレリウス

ご無沙汰です。

 日曜日は全くの調子の悪い日でした。月火水は自分ではいいと思っていたのに、周りは殴ってやると交通機関とか帰り道で見られて嫌な気分だったが、いつものことなのでバランスをとろうとした。

 今日は割と普通に過ごせて助かった。新しいことも始めた。新津春子・空港清掃人/プロフェッショナルNHKの影響もあった。テレビの中で心を込めて清掃する、という言葉に強烈に印象付けられた。




最初に、マルクス・アウレリウス、自省録、NHK100de名著 岸見一郎
からの引用が多くなります。


手帳に、
引用:「すべての人間は協力して生きる同胞だ、という視点を持つこと」:p65

という前回の引用を貼っています。
 この言葉には強力に影響を受けました。


 この本の引用として、

引用:p91 「お前がこんな目に遭うのは当然だ。今日善くなるよりも、明日善くなろうとしているからだ。(八・二二)」

引用:p96:「ここではない別のどこかに自分の人生があると思わないで、ここで生きるという現実しかないことをアウレリウスは自分に言い聞かせています。」

引用者:kurage0147130:
「よく言われている内容と同じで目新しいことはない。でも、僕は夢見がちな少女のように、どこかに素晴らしい別天地があると、そこへ切り替わるんだとやってきた面がある。
 作業所暮らしの今の人生をここでやっていくという、あちこちへ意識が飛ぶのをやめて、ここにフォーカスして安住する絞り込みはすごく大事な気がした。」




この冊子は読み終わった。理解できて消化できたかというと怪しいが、とりあえず終わった。
 NHKで新津春子の心を込めて清掃するという師匠からのアドヴァイスを実行して、コンテストに出場する、その1位になる肝の言葉が、これだった。



・僕の始めた新しいことも、作業所で心を込めて作業するだった。座っていても歩いていても、心を込める。僕は心ここにあらずの、あちこちへ飛んで行ってしまう、不安定さだったので大事な言葉になった。

 そして、心を込めるというのは、アウレリウスの皆のためではないかと思った。 皆というのは作業所の皆さんのこと。心をなぜ込めるかというと、皿洗いをしていて皆の食事の後片付けのため、みなが気持ちよく食事をして快適にするため、作業所の皆のため。僕自身のためではあるけれど、皆のためにある。これは、新津春子が掃除をして、空港が気持ちよくなれば、この空港きれいだねとなればうれしい、みたいなことを言ったことば、自分が褒められるより、空港がきれいだね、となることを望む、というアイデアを僕が借用した。




 交通機関を降りて、心を込めるという生活が板についたら、僕はどうなるのだろうと思った。いままで、攻められる、攻めるの攻防だったけれど、僕の側が、やっていること、見ていること、聞いていること、に自分を拡張して心を込めるのであれば、この構図はいらなくなるのではないかと思った。皿洗いなら、キッチンの干してある布巾にも心を込めるはずだ。(落として洗った) 

 洗剤やコンロにも心を込める、拡張すると思う。

 心を込めるを生活でやっていきたいと思って、続くかわからないけれど初日だった。



・ケースワークの原則、バイステック、誠信書房 
黄色い本を読んでいる、途中まで読んで、難しいなと思って投げ出して、前の部分を関係なく、続きから読んでいる。実例は、ケースワーカーとクライエントの気持ちを理解するようになっている。
 難しくなったら、また投げ出そう。
 母とコミュニケーションをとろうと思って、読みだした。

 新津春子のコンテスト一位は彼女のためというより、子弟の努力の記念のためなのかもしれない。
 新津春子は、気持ちの良い笑顔を見せる。かわいい人だ。

プール日誌:新聞:本  (雑記)

 プールに行きました。背泳ぎは混んでいたのでやらず、水中ウォーキングと平泳ぎ真似事をしました。

 平泳ぎですが、頭を前を見ながら泳ぎ、視界に水面をとらえ続け、呼吸の時に少し顔を出すという、ほぼ身体をまっすぐの浮いた状態にしようとした。結果、身体の沈みが少なかった。水に良い意味で慣れてきて、首もそんなに潰れていないので前を見ながら泳ぐことができ、呼吸もまあまあできつつあるような、自分の中ではゆっくりだけれど進んでいっている(泳げるようになるという目標)感触を持った。ずっとビート板を握って練習した。満足した。

 水中ウォーキングも、おばちゃんが多くて、端っこいっぱいいっぱいを使ってできなくて、途中でカットしたり折り返したりして現実の状態に適応しながらやった。泳ぐのも蹴られないように注意はした。水の世界は独特で、粘るような絡みつくような不思議な世界だ。泳ぐという活動も特殊だし。普段の生活に泳ぐがないので、別世界に足を踏み入れているという月に行くみたいに不思議な感じがする。(わかって書いていませんが、ちょっといい加減な表現。


 カウンセリングも受けました。今日は地下室はやっていただかず、振り返りだった。そこで言ったけれど、僕の家族は社会の嫌われものばかりだなと。社会にとって有用な人間ではなく、いなくてもいい、いると鬱陶しい嫌われる者たちだ。
 今度母に、僕と父を支え続けて、お母さんは大変だったね、父はいい加減な変な人だったし、子育てと父の面倒、家の管理と全部背負ってきて。みんなお母さんがやってきたことだものね、みたいなことを声掛けしてみたいなあと、カウンセリングを受けて思った。先生も勧めているようだった。



 僕が作業所でやることは、どうってことないさ、といろいろな難題・自分の負荷を重いと思わず、ひょいひょい歩けるようになるための呪文の言葉として自分自身に対して言っている。被害者の役でもなく、お飾りでもなく、主体的に、積極的にかかわって、負荷を気にせずやるには、どうってことないさ、という言葉は大事だ。


本:

・ 会計と犯罪、細野祐二、岩波書店
この本をここに書いたのは、読んだわけではなく、


北海道新聞、2019/06/28金曜日 朝刊7面 聞く語る のコーナー 「犯罪会計学を提唱する 元 公認会計士 細野祐二さん」というタイトルの特集を読んだから。

 僕は理解力がないので、正しいことは書けない。ここに当たって読んで頂戴。
僕の理解としては、キャッツという会社の粉飾決済にかかわったという罪で会計士の資格を失った。抹消された。でも、これもでっち上げだと細野さんは言う。資格がなくなってからのほうが有能な仕事ができ、数々の会社の粉飾決済を見抜いてきた。
 そして一番興味を持ったのは、元日産のゴーン社長は、無実だと細野さんは言う。僕はニュースを見て、巨額の富を食い荒らす害虫だというイメージで悪のレッテルを貼ったがそれと反対の意見で、ゴーン元社長の主張する意見を肯定しているようだ。この役職ならもっと数千億円もらってもいいけれど、数十億なら少ないほうだ。ゴーン氏に貪ったというなら・むさぼったというなら、取締役会でヤジを飛ばせばいい・主張すればいいというような内容だったと理解している。

 検察の正しいというイメージと対立する意見だった。僕にとっては。立場が違えば見えているものは違うというべきか。
 粉飾決済と司法を補い合う関係でみるのが、犯罪会計学の学問、新しく作ったらいいという意見らしい。

 ここまでが新聞に書いてあった内容の僕なりの理解。限界。
 なんせ僕は理解力がないので僕の頭でわかる以外のことは書けない。
 


・100de名著 マルクス・アウレリウス、自省録、岸見一郎著、NHK 2019年4月

 これを読んでいる。3章途中まで読んでいる。
 テレビは4回目だけ録画して見ていない。

 この本、冊子、読んでみて僕と相性がいい。100de名著は、読んでも印象に残らないのが今までだったが、これは僕に響く。

 アウレリウスを殺そうと思った部下を許してもいいと思ったと。部下は、殺すのが良かれと思って計画したがそれは誤った判断でそういう結論に至った。誤りは誰にでもあるもので、主張・思考の正しい道筋を辿らなかったからそう行き着いただけで、正しい判断をできなかった、判断ミスとして許していいと思ったらしい。実際は捕らえたやつにすぐに殺されてしまって許す猶予がなかったらしいが。

 第2回:「他者」と共生する
 p65 引用:

「~今回は、他者という「外」なる煩いに、どう処していくかということを見てきました。そこから自由になるには、

☆☆☆すべての人間は協力して生きる同胞だという視点を持つこと、(引用者kurage0147130が星三つの記号を挿入しました、実際には星はありません、重要だと思われたのでハイライトしました) 
 

 自分を害そうとする人があっても、自分もまた同じ過ちを犯しうるということを知ること、怒りの情念から自由になれることを見ました。
~」


(引用者:kurage0147130):この星三つの言葉はこれからやっていくのに、自分を回すうえで土台になる栄養だと思う。骨格というべきか。人間とどうかかわるか、その根幹の 見方。ありがたく受け取ります。読んでよかった。相性抜群。菜根譚西郷隆盛、夜と霧の人とはあまりなじめなかったので。どの人も重要そうだけれど、しっくりこなかった。

 そういえば、カウンセリングの先生にボヘミアンラプソディー映画をすすめられた。すごくいいと。いずれ見ようと思う。高いのかなあ。音楽はクイーンのを使っているのか、カヴァーしたのか、先生はオリジナルだったとか仰っていたが、裏をとっていないのでわからなかった。
 レディオヘッドトム・ヨークの新作がTシャツセットで発売になる。僕はそんなにファンでもない。プリンスのほうが好き。
 

どうってことないさ、と男としてぶつかっていきたい:


・ 今日の作業所はやることが多くて負荷がかかった。面倒だったと書かないのは、そういってしまうと成り立たなくなるから。どうってことないという心持で取り組む必要を感じている。

 トイレ掃除を終わって手を洗おうとしたらスタッフが洗っている。5分くらい。手でなければ部品か何かを。僕は邪魔されているのかなと腹を立てたらしい。そのあとも他の人が並んでいて5分くらいかかった。その間手を洗えなかった。スタッフに変な目で僕は見ていた。

 僕は子供で未成熟で自分のことしか考えていない。どうってことないさで取り組むしかない。面倒なたくさんのことがあっても、どうってことないさ、でやり過ごす必要がある。変な目で見た伏線はある。


 僕は調子の悪くなることが多々あるが、その時にコノヤローと思って周りに不満を持っている。殴ってやるという態度をとられるとコノヤローと思う。これも子供っっぽいなあ。どうってことないさで、やり過ごせばいいのに。僕は未熟だから子供のの反応しかできていない。


 大変なことがたくさん降りかかると、面倒だ、後回し、先送り、やらない、いまはできない、など、全部責任回避してきた。この根性が甘ったれている。

 大変な全部をどうってことないさ、でやり過ごして、男としてぶつかっていくべきだ。でなければ男でいる意味がない。優柔不断、臆病、回避、先送り、被害者意識、過度な攻撃を募らせる、みな僕が子供の 証だ・あかしだ 。



 今日の作業所では、少しは男でぶつかって取り組もうとしたけれど、余計なことを考えたりして、ノロっと作業をしたりもした。いつものことだけれど。
 なにかわからないけれど、僕は岐路に立っている。逃げるのは限界にきている。立場上、この逃げ腰を維持するのは困難だ。
 だから、どうってことないさ、で諸々に取り組み、圧力を跳ね返し、男でぶつかっていく必要がある。いつまでも子供でいていいわけではない。作業所も僕の古い皮を被った状態に歯がゆいと思う。作業員一人を占有しているのだから、脱皮が望まれる。




・ 道立近代美術館東山魁夷を見に行ってきた。樹を見て、その曲がりくねった姿に、苦しい、大変だ、という声を聞いた。それは僕の甘えた声と一緒かもしれない。樹は苦しそうだった。陰鬱にうなだれていた。でも、いじけているわけではないだろう。日々戦っているはずだ。僕が聞いた声は僕の気持ちを投射したからで、大変ではあるがうなだれているわけではないのだろう。環境との軋轢であの形になっただけだ。それ以上ではない。とおもう。僕の聞いた声は幻聴なはずだ。

 製作工程、スケッチもたくさん見られる、充実した展示だった。みな熱心に見ていた。スマホを鳴らすおおバカヤローになってしまった。すいませんでした。


・ この間は作業所で、プププーとおならを鳴らしてしまいました。顰蹙でした。今日は、おならをした直後に歩いてしまいました。臭いを周りにバラ撒きました。皆様は、僕を黄色い顔の臭い奴とラベルを張ってくれたことでしょう。ありがたや。嫌われたろう。

<おわり>

24 Mon

掃除道、鍵山秀三郎PHP、2005

 この本は、僕の読んできた本の中でナンバー1 だ。
 掃除の大切さを説いていて、読みたかったことが書かれている。掃除の仕方は、もっと詳しいのが欲しい。ちょっと読んだ時からものすごい影響を受けた。
 掃除の会に入会できるなら入りたい。きちんと習ってみたい。

 一昨日から家の掃除に力を入れている。少しずつきれいになっている。たのしい。