23 Sun

テーラーSG氏は、先週月曜日17 から作業所に通っておられる。後遺症もなく、頭がすっきりしないという以外は無傷で戻ってこられた。徳のある人だ。

 
 カウンセリングでは、母が金に執着するのは親戚との金の問題や金で苦労したからで、そのことには触れないほうがいいよとアドヴァイスを受けた。病気もあるだろうし。
 親をすげ替えるという話だが、そうすると僕の現実の親は否定されるので、先生はそれはしないほうがいいだろう、とのことだった。親はそういう人だけれど、僕は違う人生を歩む、というほうが建設的らしかった。そうナビされたので、誘導に乗って、その路線で行こうと思う。

 
 今日の作業所は、若い女性に執着することなく掃除機かけもできるだろうと踏んでいたが、まだそこまで割り切れないことが分かった。もう縁切りしたかったのできなかった。そこはちょっとショックだった。

 それで思ったが、僕は母に対して男という性を抑圧したから、母のイメージに性器を向け、母のイメージに俺は男だと言い続ければいいのではないかと、帰りの交通機関で試して、まあまあの感触を持った。僕は性を持つ存在として交通機関に乗っていた。

 周りの皆さんは、僕が性を抑圧しているので、隙あり、と突っ込んできたいみたいだった。そこは嫌だなあと思ったが、母イメージに対して作業を続けた。このまま、若い女と母に弱いままでいられないのでなんとか打開したかった。

 若い女の尻を追いかけて何が悪い、だけれど僕の場合はちょっと違う。母に対して弱いのと、若い女に弱いのが同じ構造で、同じ弱点になっている。だから母イメージと格闘する必要がある。いつまでも負け続けてたまるか。糞っ垂れのコンコンチキの馬の小便だ。なによう、ホッ、ホッのヨイコラショだ。何としても突破したい。

掃除道、鍵山秀三郎PHP,2005

イエローハットの社長さん?の御著です。
戦争で家とかが焼けて、父上が畑をやらなかければならなくなったときに、父上は畑の周りの雑草を刈ることから始めれれたとか。農家の人もそこまでしないだろうというくらい丁寧に刈ったそうです。家の中もきれいにして。

 僕の家はごみ溜めだけれど、父母ともに掃除をあまりしなかった。ごみ溜めはそこから始まっていた。けれどこの本を読んで、鍵山さんの御父上を僕の親にすればいいから、御著を大事にすればいいから、僕も掃除をするということを柱にできないか夢想する。とても立派な御両親だと思う。僕の両親にしようと思う、この本を大事にしようと思う。

 僕の親の足りないところは、本の中の親御さんの立派なところを盗んで僕の親になってもらえばいい。そういう作業がうまくできたらいいなあ。NLPはどうだろう。





 
・ プールに行きました。昨日までの5日間ずっと調子が悪かったので今日に期待はなかった。ただ、昨日の夜、リコーダー古典とか(童謡:春の小川/茶摘みも吹いた)の曲を吹いて、そしてオネアミスの翼の楽器パートのメロディーをリエゾンして歌った(バトルとか軍歌とか 完全版CDに軍歌は入っている ゲオのウェブでレンタルできる)。とてもストレス発散になった。

 だから今日は、水中ウォーキングだけでもして帰ってこようと思っていた。泳いで腹でも蹴られたら癪 しゃく だから。

 交通機関に乗って今日は普通の日だと、父母のところでも普通の日だと思ったので泳いできた。

 調子の悪い日なので目新しいことは何もなかった。ただ、ビート板につかまって息をして、前を向いて泳ぐけれど、水面を視界の真ん中でとらえても泳げることを知った。ここは新鮮だった。けれど、息継ぎ自体は上達しなかった。息をすると沈む癖は前と同じだった。姿勢が崩れていると思うけれど。まっすぐに泳いで、首をちょっと上げて息をするのだと思う。そこができてなかったのだろうと丘の上では思う。





・ キーシンショパンを聞いて、荒井直樹 『当たり前』の積み重ねが、本物になる 凡事徹底― 前橋育英が甲子園を制した理由、カンゼン、2014?(奥付を見るのも面倒、でもめくってみたらやはり2014だった)

 荒井氏の野球本は情報が盛り込まれれていてトンデモ本ではなかった。スポーツものはよくトンデモ本のつまんないのが多いのでどうなのだろうと読み進めてきた。現在52ページ目。良い本です。僕は気に入りました。学ぶために読んでいます。中古メルカリ購入。

 今日は何も内容はありません。

ああ勘違い:(ビジネスパートナー:という語の導入について)

 今日も調子が悪かった。圧力もかかった。

 おもしろいこともあった。
 作業所で被害者面して座って険しい顔をしていたら、というか不穏な雰囲気を発していたら周りも不満気な態度だった。そのうちゲームをやめた。

 新しく入った人が、どうも敵視していた人でとっつきがわるかった、カップを持ってきて洗うという、洗っときますよ、と流しで言うと最後は決め目を残して去っていった。そこは気に入らなかった。そこが和んだところ。

 手話の練習で、全体でやっているのだけれど、またここで和んだ。

 流しに戻って、これは僕が悪いところもあることに気が付いた。僕は作業所で仲間という関係があり、そこに憧れていた。ユートピアのように。そこが甘えの始まりだった。ここはビジネスをするところで、仲間などいない。一人でいろんなことを取り組み、対処し、行動するところ。僕は仲間という憧れを理想としていたのだろう。仲間は甘えと同義語だった。ああ勘違い。


 恋愛も作業所で手に入ると思いこの作業所にやってきた。これも勘違い。ビジネスの場に恋愛はいらない。サンドイッチマンがどちらか相方をビジネスパートナーだと思っていると言っていた。そう、作業所の人間全部ビジネスパートナーだ。女と意識しすぎるのもよくない。こういうのは僕にとって一大気づきだった。

 はっきり言って、ぼくは大惚けバカ、総天然色、色惚け、アホたりんだったことになった。

☆ そう、たった一人で生きていかなければならない、それがずっと続く、まずここを押さえる必要があった。一人で取り組んでいく。ここが一番大事。

 

 帰りの交通機関は殴ってやろうとイキガッテいるのが2人いた。僕の調子は悪いが、今日の作業所でも動けたし、帰りもそんなにのさばられなかった。地元の帰りも気を使った。結構頑張った。さようなら。(不穏ではなく:

ここ4日間調子が悪いです。でも、昨日今日は動けた。作業所の女は話題で刺すとか言っていたが、僕への当てこすりだと主観的に思った。そのくらい僕の印象は悪い。作業所交通機関、みな敵というか僕に敵対する雰囲気になっている。

だからどうだといわれると困るが、僕は自分の調子をよくすることしかできない。否定されてもこうなのだからどうもできない。家で首が伸びた。明日はどうなるだろう。しばらく不穏な雰囲気は続くと思う。

作業所の着物の解体は、6着くらい道行コートばかりだった。あと、ハワイアンのフラスカート2着。これでもかと、やってきた。だいぶ鍛えられたよ。

これも、皆さんを味方だと思って書くというよりは、続いているので、事務報告みたいなものです。
御機嫌よう。さようなら。: 不穏ではなく)

カウンセリング:母に対する僕の態度、僕が母を愛する時期かも


 カウンセリングを受けました。胸に抑圧は先週はあったけれど、今はあまり感じられない。それなら急がないで、あるなあと長期戦でいいのではないか、みたいな感じで進みました。

 自分のパーツに会いに行く、地下室での母と・自分の心の母 とコミュニケーションをとっていると、先生主導で進みましたが、母は、

 うちの一族の嫁いで、まったく努力を顧みられず、褒められも助けられもせず、僕を育て、食事を毎食つくり、うちの家族のために頑張って、頑張っているのに父から敵視され、あげつらわれ、威張られ怒られ、散々の扱いだった。それでも母は離婚せず、うちの家族に献身した。そんな母に、僕を愛することを望むのは酷ではないかと、先生に指摘された。僕もそこは同感だった。

 母はひどい目にあって、その割には僕を愛したのではないのか。僕の成長のためには愛して貢献してくれなかったが、母なりの愛はあった。思い出すこともある。会話も交わした。でも受け止めてくれなかった。だから僕は母を批判した。そこがお門違いかもしれない。母は僕をある意味で愛した。僕の望む形ではないが。


 僕は母に受け止めてほしかった。そこは受け止めてもらえないまま今に続いてきている。だから僕は批判的になっている。そこは、僕の側が不問にすべきなのかもしれない。

・母さんがどんなに僕を嫌いでも、歌川たいじ、角川書店 (僕はキンドルダウンロード

を、最後の母を許す場面を読み返した。感想は、自分を認めない母は、自分の側が大人になり、母に対して受けて止めてやり、母に愛情をかけることかもしれない。僕が母に臨むことを、僕が母にするべきなのかもしれない。

・母という病、岡田尊司ポプラ社  (第7章 母という病を克服する 僕はこの章が母に対する地図であり羅針盤だと思う。ここを読むだけでもこの本は価値がある。立ち読みOK十分かもしれない。優秀な方は。僕はとろいので本を買った。

 ここを多分一度読んだが、その時は必要性を感じなかっただろうし理解できなかった。今回読んで、自分がどうなりたいか はっきり書いたりして明確化するのは大事だと。
 僕は、女性と結婚し、養子をもらって家族を作ったらいいだろうと思う。女性は僕と同年代で構わない。作業所の手話の時間で、60歳代の既婚女性に受け止めてもらえたことに感動したし、女性の存在意義は性的関係ではなく、愛着関係に良さがあるのかもと理解と視野が広がった経験をさせていただいた、その影響で同年代の女性が排除されなくなった。前は若い女の尻を追い掛け回す以外に目は向かなかった。
 ここに書いたのは、7章の今の自分に関係のあることで、もっといろいろ載っているし、地図だと思う。本を手に取っていただきたい。


 なぜこの2冊が出てきたかというと、カウンセリングの最後のほうで、先生に、母にやさしくしてあげたら、みたいな内容だったかニュアンスで言われた。僕は南風作戦ですかと聞いた。北風と南風の旅人のコートを脱がす作戦の童話の話のように。
 確かに、母に求めるのはお門違いのようだし、そちらを望んでもどん詰まりだ。だから、逆に僕が母を大事にして愛してやる。この方向は適切だし正解に思われた。前から、そのようなことは夢想したことはあった。今回先生からそちらを提案され、新しいことだと感じた。新しく感じたのなら正解かもしれない。

 

本: /プール日誌 ほか

・『当たり前』の積み重ねが、本物になる  凡事徹底― 前橋育英が甲子園を制した理由、荒井直樹、株式会社カンゼン、2014

 メルカリで安く買って読んでいる。
 掃除とか、作業所とか、プールとか、遊びの音楽に歌詞を合わせて合唱するとか、みな日常ばかり。
 日常しかこの世にはない。だから日常を光らせられれば、僕は生きてくる と目論んで購入した。

 カヴァーの、表紙の折ってある部分・カヴァーの裏側にこんな文章が載っている

引用:
凡事徹底(ぼんじてってい)

 なんでもないような
 当たり前のことを
 徹底的に行うこと、または、
 当たり前のことを極めて
 他人の追随を許さないこと


(kurage0147130):引用者:これを読めば、中身を読まなくても大体わかる気がした。でも、実際言葉を行動にどう落とし込むか、実行するか、本を読んで学びたいと希望している。



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 プールに行きました。
 平泳ぎの脚と息継ぎをやろうとしました。
 ビート盤につかまって

 息をすると、足が下がって大きく沈んでしまう。
 向上しないなあと思って、どうしようかと


 それで前につかんだコツ、水の上のほうを見ようとすると大きく沈みこまないのを思い出した。

 それで前を向いて、水面を視界に必ずとらえようと前を向いた。
 いままでは、歩くときと同じように下を向いていた。それを水面を視界にとらえる、前方をしっかりと向いてよく見るようにした。
 そしたらやはり、息継ぎをしても大きく沈みこむことはなくなった。
 ここまででエネルギーと意欲がなくなったのでやめた。

 終わりと最初は水中ウォーキングをした。お約束。





 父母のところに出かけた。
 母は褥瘡を洗うためいなくて、ドアにトイレットペーパーシングル・母の要望・掛けて帰ってきた。会わなかった。
 父は、今日はなじったりせず落ち着いていた。やはり僕の調子と連動しているのか。



 作業所は、チューリップ組(作業所の仮称)の着物ほぐし(着物の解体・糸取り)になろうと取り組んでいる。最近、きつい着物ほぐしばかりで結構大変。でも慣れてきた。早くもなってきた。
 着物ほぐしをやっているのは、僕とボスの親族だけなので、まあ僕が担っているところもある。親族を軽んじているわけではなくて。
 僕がチューリップ組の中の一員として、チューリップ組の着物ほぐしという役割を、自分で動かし、自分で進めていく。このチューリップ組の着物ほぐしの役割を全うする・まっとうする しようと取り組んでいる。

 昨日は後半、作業に集中できなくて、女性のことばかり考えていた。スタッフに合わせる顔はない。これに関しては失格だった。

 テーラーSG氏、無傷で戻ってくるといいけれど、前と同じ調子で。テーラーSG氏が、調子悪くなったら、どんなになるんだろうと、悪い想像はした(僕はよい人間ではない)。しかし、ぼやくテーラー氏より、全力で仕事に打ち込む前から知っているテーラーSG氏をまた見たい。もちろんテーラー氏は僕を批判するので、ジレンマだけれども。



 今日も安いスーパーで、安いニラをエコバッグからはみ出して、みんなにアピールして帰ってきた。僕って生活臭がして格好ええぞ。
 ワラジムシもゲジも、ムカデもみんな寄ってこい。かかってこい。(強がってみた)


 

 

カウンセリング、父母、プール。

・ カウンセリングを受けました。抑圧が胸にある、モヤモヤしたような黒い霧のような塊、赤っぽくもあった抑圧の輪郭をつかみたいといい、施していただきました。


 この抑圧に、身体に閉じ込められたトラウマの作者ピーターと同じ名前を付けて先生主導で進めてもらいました。今日のアプローチでは、この抑圧は、僕の今の状態・従順で素直というのではなく、攻撃的で怒りを含む敵意のような僕・幼稚園児で母に人のせいにしないでと言わせた=お母さんが悪いという態度で迫った攻撃的な僕が抑圧の正体ではないかと推測した。しばらくはこの胸の抑圧と一緒に暮らさないといけない。

 30年前は、お腹の抑圧がそのうち胸に感じられ、そして輪郭をとりくっきりとして、吐き出された。その踏襲を先生に話した。それなら順調だね、みたいなニュアンスだった。先生は一気に出そう、そうしなければと思われたのかもしれなかった。僕の説明がまずかったかも。僕は今日の進み具合はすごくて満足しました。

 
 この抑圧が、敵意のようなものかもしれない、というスタンスは新しかった。




・ 母のところに言ったら、下痢で、少し漏らした。パンツとタイツをトイレの流しでユニットバスで洗濯洗剤をつけて洗った。わざと漏らして洗わせたかったのか、タイミングだったのかわからないが、洗って干した。早くプールに行くという計画は変更された。


・ 父は首の枕を直せと、頭を上げることで要求したので、下にずらしたら、テレビのほうを向きたいという。なんでやらないんだと難癖つけてきたので、わからなかったからできないと突っぱねた。父は怒りで自分の意見を押し通そうとするところがあるので要注意だ。最後は緊張感をもって父と対峙しさよならした。来週来ると。糞っ垂れ爺さん、結構頑張るんだ。頼むぞ、父さん。


・ プールは、平泳ぎの練習をした。頭を前を見ながらまっすぐ泳ぎ、少しの動作で頭を空中に出し、また水面下に戻すという動きかな、と探っていく中で思った。ビート版を使わないで呼吸しようとしてうまくいかなかった。背泳ぎビート盤腹抱え25メートル。ほとんどをビート盤の平泳ぎの足の動きと呼吸に費やした。自分の思ったことを練習して実施して、余暇時間は楽しい。


・ そういえば今日は父母ともに僕をなじった。この野郎ども、ふざけるなよ。いつもいつも否定しやがって、いつまでも負け犬でいられるかよ、この糞野郎ども。このくらい言っとかないと否定ばかり言いだすから始末が悪い。今日はここで反抗しておいた。ご機嫌よう。

<おわり>

 テーラーSG氏は、くも膜下出血で手術を受けられた。前と同じように復帰できるといいと思うけれど。どういうリスクがあるかわからない。

 僕自身のことでは、トイレ掃除、皿洗い、ごみ集め・出しと、雑用をやらせてもらっているけれど、毎日のことでだんだん嫌になってきた。負担と感じるようになっていた。
 正直、やりたくないという気持ちでやった。不機嫌は不機嫌な人にとって敏感に察知されるので反応している人もいた。リッパーがなくなった。

 直後に思ったけれど、雑用は大したことではない、どんどん大変なこと自分のところに来い、という心持でいないとダメだなあと思った。いちいち大変だなどと思っていたら、やられてしまう。自分の不機嫌はよくないと思った。

 僕の良くない癖、大変だ、面倒だ、もそんなこと思ってもしょうがなく、ひょいひょい飛び越えていかないと人生は止まらないし、待ったなしだ、後回しにしたまま一生終わってしまう。

 作業所でも過渡期なのだと思う。乗り越えていく必要がある。最初から雑用が負担になる時が来るのは目に見えていた。想像はついていた。逃げることはできない。


 とても低調です。僕については書くことはないです。

 テーラーSG氏は、最近耳が悪くなられたが、今日はとても変だった。いつものすごい気合でミシンを踏むのではなく、おじいさんのようにパッとしなかった。

 僕は栄養失調ではないかと思うが、お医者さんの見立てはどうなのだろう。今日行くはずなのだけれど。

 
 作業所の糸除きは、またフラのスカートになった。ミシンの直線の長いもの。2メートルから3メートルありそう。
 調子が低いので、この間書いたようにはいかない。ノロっぽいので、糸を拾ってやるのがモタモタ、だから裏に回り、いつものように布と布の間にリッパーを差し込んで糸除きの普通のやり方になった。絶好調というやり方ではできないのでした。明日もこうなるのか。少し苦しい。見苦しくもあるかも。

昆虫・マイマイカブリ、スズメバチ


 朝から草取りで、マイマイカブリをみつけた。大きくて格好よく、幸先・さいさき の良い日だと思った。

 作業所へ出かける前の公園でのストレッチ中に、スズメバチに目をつけられた。僕の体の周りをブンブン飛び、黙って去ってくれることを望んだが執拗に絡まれた。
 それは僕が濃紺のシャツを着ていたからだと思われる。確か蜂は黒っぽい服装に絡む癖があると思った。舐めるように羽音をさせながら飛び、僕に絡む。一分以上ずっといたと思う。
 それで、明るいところに出ようとした。木陰にいたので暗いシャツも目立つし、明るい日向に蜂を連れながら移動した。まあ、結局去ったんですね。

 終わったと思って、またストレッチをして、移動しようとしたら、飛んできた。また絡まれたが、今度は早めに去ってくれた。刺激しないように、いなくなってくれるように望んでいたので一件落着。
 糞っ垂れの朝から緊張した、緊張を強いられた、嫌な日になった。まあ、成功したが。

<終わり>







 


 ご察しの通り、最近低調でした。

 書けることはたくさんありますが、書かないと思います。

 昨日、自分の都合で夜のプールに行きました。照明が落ちて、暗くて、水の中を泳いで、その感覚が不思議な感覚だった。今カウンセリング、スカイプをして頂いて、そこでもこのことを話しました。

 話してみて、その夜のプールの感覚が大事な気がした。

 抑圧もカウンセリングでは扱えなくて、僕の側の調整不足、何も進展ないまま終わった。

<とりあえず おわり>

5/27 Mon


 バイクトライアル最高 DVDが届いた。

 コンセプトがうさん臭く、違法な行為もしている。それなのに、コピーするなと言っている。(演出に不満だ。出演者に不満なわけではない)

 後輪を上げて、前輪を足でこすりながら動かすというのを初めてみた。この世界のことは何もわからないので、目新しい。高いところから落ちるのは、最初から飽きた。
 技術が確立されていて、自分の走りに絶対の信頼を持っているから、危険を伴うことを安全にできるのだと思う。(高いところを、前輪を持ち上げてぴょんぴょん 跳んだりとか。)
 3分の1見ました。



 牛乳パックで椅子はとりあえず終わったみたい。数がそろったから。

 着物の解体をやっています。お客さんが着物を持ち込まれて、衣装に変える、その下準備の糸取り作業、生地作り。僕の後の作業は、仕立ての人がやる。


 今日作業所の手話の時間で、60代の女性と練習したけれど、女性の胸に目が行き、やはり女性として意識した。僕を敵視したり変なメガネで見ていない方なのでやりやすかった。相手が僕より大人なのかも。良くしていただいたのでしょう。感謝します。

 今日は暑い日だった。アスファルトの照り返しがきつかった。僕は歩かないで済んで楽ができた。(なるべく日陰を進んだ)

・ 草取りをした。去年、地面近くの草を刈れる高い鎌を買ったので、それで切った。手でちぎる負担がなく楽でよかった。虫君との交流はなかった。
 土曜日にシャワーを浴びた。自分で髪を切ったりとか。10日ぶりくらいだった。(髪は洗っていたが
 



・☆ 大変だ、面倒だ、疲れる、やりたくない、は禁句だ。これを言わなければできることはたくさんある。これさえ言わなけば、僕はぐんぐん前進できる。

 言い訳が一番の病だ。僕は自分にたくさん言い訳をして、言い逃れをして、時間と能力をドブに捨てた。自分の首をガンガン絞めてきたことになる。そのツケは支払ったので、これ以上支払う必要はないと思われる。でもやっている。言い訳していることは自分が見ている。自分の無意識、身体が刻んでいる。全部言い逃れと自分の心に登録されている。見て見ぬふりをして、臭いものに蓋をしてきた。

 

tvが9年目で壊れてしまった。

・ TVが壊れた。スイッチが入らなくなり、電源ランプが6回点灯する故障のサインを出した。回収に来てもらうのに、8千円も出した。処分するだけで金をとられ、損した気がする廃棄だった。父の部屋から自分のところに持ってきていたtvを居間に回した。


・ タダで、もらった和綿の種を、雑草をひっくり返した、シャベルを立て掘っ繰り返したところに蒔いた。昨日から水に浸けておいた。

 雑草がはびこり、ほっ繰り返しても土が柔らかくならなくて、雑草の中に種を埋めていった感じになった。隣の家はきれいに土を出したところに蒔き、ビニールもかぶせる丁寧さを見せていた。
 汚いところに埋めたのであまり期待できないなあ。これから雑草取りもしなきゃ。

・ 部屋の掃除とかもためると大変になるので、都度やらないと。ためると後ろにやることが行くというタスクになってしまうので、適宜掃除することにしないと。タスクは回してやる必要がある。日常で転がす。僕は今までその日にやらないで後ろへずらしたので、部屋が荒れてしまっていた。




 僕の住んでいる所はそんなに暑くならなかった。でも、電気屋からの坂の帰り道は軽いギヤを多用し疲れないようにした。今まで電気屋に行きたくなかったのは、頑張って漕ぎすぎて疲れてしまっていたから。今回先手を打っておいた。

カウンセリングと実際の母。

 オネアミスの翼 王立宇宙軍 サウンドトラック コンプリート(ゲオのネットレンタルで入手) prototype D (歌詞はネットにあるよ・一緒に歌うのに使用)

 たぶん、いわゆる軍歌を大きな音のミュージックとともに高らかに一緒に歌った。憂さ晴らしになった。

 このcdを今日は堪能した。ギターメロディーも声を合わせて大きく歌った。





・ スカイプでカウンセリングが行われた。地下室の母に会いに行き、施設を母の実家にのある県に移すという案が浮かんだ。心の母は、喜んでくれた。実際に母に言ってみようと思った。たぶん断るだろうとは思われた。母の普段の言動からして。

( まず通帳を持っていき、あまり減っていないだろうというと、これからたくさんかかると言われた。少しは安心すると思ったのに、ハードルばかり上げやがる母だった。

 そして、母に出身の県に移ったらどうだと持ち掛けると、考えが甘い、何考えているの、そんなこと言って、兄弟など来るわけない、そんなこと言ってがっかりしたと、僕を否定して、好意を台無しにして、なじる始末だった。だから僕の肛門が委縮するのだなあ。母は感謝などなく、僕を否定して傷つけることしか考えていない。父のやり方と似ていて、モンスターなのだった。

 そして、僕が幼稚園の時の「人のせいにしないで」と言われた、「お母さんが悪い」と僕が食って掛かった時に母に言われた言葉、これはやはり僕を傷つけ否定するニュアンスを持っていたと断じていいと思う。母は昔から変なところのある人だったのだ。人を傷つけてもなんとも思わない一面を持っていた。そういうモンスターを持っていて、でも、父との関係で苦しい思いをして、モンスターを飼い 慣らすのではなく維持したか肥大化・ひだいか させたのだった。

 母とは話は通じない。甘い考えで母と付き合わないほうがいい。母は別物でやはりモンスターだ。バカヤローで糞っ垂れでコノヤローだ。あの人は僕にとって大事ではないのかもしれない。母に対する僕の期待は捨てたほうがいいと思う。幼稚園の時からそうだったが、僕は期待したから抑圧したのだと思う。そうではない。あの人は別物だ。抑圧した僕が間違っていて、明らかに僕は馬鹿だ。どんどん母を攻撃したほうがいいのかもしれない。だれに、がっかりする権利がある。母は自分に絶望しているのかもしれない。そんな気もする。

・ ぷ^るー、嘘、プールに行った。今日は一周間が空いたので楽しかった。息継ぎできないなりにチャレンジした。そういう意味でもよかった。ビート板を腹に抱えて背泳ぎのように足をバタバタして片道遊んだ。他はみな平泳ぎの練習にあてた。足の使い方をやろうとしたがあまりパッとしなかった。やろうとはしていた。息継ぎをして片道泳ぎ切れなかった。足をついて一休み入れた。
 あと、水中ウォーキングも平泳ぎの前後に行った。今日は夕方出かけたので、小学生低学年か、幼稚園児がたくさんいて、ロッカーも込み合った。


・ いやあダイソーに毛糸を買いに行ったのだけれど(作業所の捨て織り用)、そこにジーンズを切ったのをまいたのがあった。裂織にいいなあ。今日は買わなかったが、欲しかった。5ミリかもうちょっと太い幅の巻かれたがあった。ダイソー侮れず。定期的にチェックしないと乗り遅れるぞ。ダイソーはどこに発車するのか。流行列車だろうけれど。

<おわり> ー 僕は母に対して甘いと言わざるを得ない。愛がほしかったから甘いのだろう。そういう意味では僕は甘ったれで依存的で幼稚だ ー

作業所はみんなが矢面・やおもて だ。


 今日の作業所ですが、午前中はド真剣で生きるというスローガンでよかったが、午後はペースも熱意も落ちた。午前中のようなわけにはいかなくなった。

 この作業所は、それぞれに抱える問題が大きく、仕事量も増え、たいへんになってきている。僕も昔のままではいられないと思う。

 午前中は牛乳パックの椅子づくりの下準備役を、かなり一生懸命できた。午後は散漫になった。


 ヘルメットと、膝・肘・手のパッドが届いた。身に着けると、胡散臭い52歳がいた。怪しい。これで一輪車はかなり変な人だ。乗れなかったらなおさら変だ。
 一輪車が届くのが、6月中旬以降になるらしい。早く始めたいが、無理だった。プールも行きたいと思う。

 ヘルメットもそこそこの金額を出すと、使いやすい、優れものみたいだった。最初は紐の長さ調節とか、アジャストとかわからなかったが、いじくっているうちによくできた製品だとわかった。構造自体はプラスチックの内側に発泡スチロールが張られていて、その内側にフィットするようプラスチックの調節がついているものだった。
 フリースキーエアリアルのフルフルダブルフルの選手が被るようなタイプのを頼んだので、僕が被るとかなり胡散臭かった。気に入って買ったが、ロードサイクル用のヘルメットのほうが無難だったかも。格好良いのが無難に見えたかも。

 今日は小便が床にまかれなかったが、テーラーSG氏も、布草履の達人も揃って、トイレ掃除中にトイレにやってきて、譲った。それどころではなかった。牛乳パックの椅子部品作りで必死だった。トイレ掃除も一生懸命やったが。


☆・ 真剣に生きる姿勢を身に着けるのがこの作業所でやるべきことで、これは普遍性がありどこでも通用する。まず仕事を普通にできる人にならないとどうにもならないままになってしまう。




 家の裏に住む人は、もと着物の仕立て屋さんで、いま庭の手入れをまめに行っている女性だ。この2つをできるということは、かなりの実力者だ。僕は足下に及んでいない。同じ分野の僕は末端だ。僕は着物解体だから、下位に位置する。仕立て屋はやはりこの業界では強いだろうと思っている。(本当のところは知らない、着物業界のことはよくわかっていない。通っている作業所を目安に書いています)