どうってことないさ、と男としてぶつかっていきたい:


・ 今日の作業所はやることが多くて負荷がかかった。面倒だったと書かないのは、そういってしまうと成り立たなくなるから。どうってことないという心持で取り組む必要を感じている。

 トイレ掃除を終わって手を洗おうとしたらスタッフが洗っている。5分くらい。手でなければ部品か何かを。僕は邪魔されているのかなと腹を立てたらしい。そのあとも他の人が並んでいて5分くらいかかった。その間手を洗えなかった。スタッフに変な目で僕は見ていた。

 僕は子供で未成熟で自分のことしか考えていない。どうってことないさで取り組むしかない。面倒なたくさんのことがあっても、どうってことないさ、でやり過ごす必要がある。変な目で見た伏線はある。


 僕は調子の悪くなることが多々あるが、その時にコノヤローと思って周りに不満を持っている。殴ってやるという態度をとられるとコノヤローと思う。これも子供っっぽいなあ。どうってことないさで、やり過ごせばいいのに。僕は未熟だから子供のの反応しかできていない。


 大変なことがたくさん降りかかると、面倒だ、後回し、先送り、やらない、いまはできない、など、全部責任回避してきた。この根性が甘ったれている。

 大変な全部をどうってことないさ、でやり過ごして、男としてぶつかっていくべきだ。でなければ男でいる意味がない。優柔不断、臆病、回避、先送り、被害者意識、過度な攻撃を募らせる、みな僕が子供の 証だ・あかしだ 。



 今日の作業所では、少しは男でぶつかって取り組もうとしたけれど、余計なことを考えたりして、ノロっと作業をしたりもした。いつものことだけれど。
 なにかわからないけれど、僕は岐路に立っている。逃げるのは限界にきている。立場上、この逃げ腰を維持するのは困難だ。
 だから、どうってことないさ、で諸々に取り組み、圧力を跳ね返し、男でぶつかっていく必要がある。いつまでも子供でいていいわけではない。作業所も僕の古い皮を被った状態に歯がゆいと思う。作業員一人を占有しているのだから、脱皮が望まれる。




・ 道立近代美術館東山魁夷を見に行ってきた。樹を見て、その曲がりくねった姿に、苦しい、大変だ、という声を聞いた。それは僕の甘えた声と一緒かもしれない。樹は苦しそうだった。陰鬱にうなだれていた。でも、いじけているわけではないだろう。日々戦っているはずだ。僕が聞いた声は僕の気持ちを投射したからで、大変ではあるがうなだれているわけではないのだろう。環境との軋轢であの形になっただけだ。それ以上ではない。とおもう。僕の聞いた声は幻聴なはずだ。

 製作工程、スケッチもたくさん見られる、充実した展示だった。みな熱心に見ていた。スマホを鳴らすおおバカヤローになってしまった。すいませんでした。


・ この間は作業所で、プププーとおならを鳴らしてしまいました。顰蹙でした。今日は、おならをした直後に歩いてしまいました。臭いを周りにバラ撒きました。皆様は、僕を黄色い顔の臭い奴とラベルを張ってくれたことでしょう。ありがたや。嫌われたろう。

<おわり>